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あきらめという新しい視点、後篇

環境や状況で、可能性や行動も違うし、人それぞれの視点もあれば、考えもあり、ひとつの物事についても見え方は千差万別である、というのは常々思っていますし、それをクチにも出して話してますし、このnoteでも「あくまでも自分のこと」として書いてきました。

「あきらめ」についても、いろんな「あきらめ方」があると思います。私はこれまで、どちらかというと健康に過ごしてきました。その中で、メニエール、帯状疱疹、胆嚢炎(胆石症)、急性腸炎などなど、ソレなりに不具合もありました。その都度、私の中では「治す」と思ってつきあっています。ちなみに胆石は市立病院の先生判断により、摘出しないまま、発見から約20年いまだ持ってます。そういう意味じゃまだ治ってませんが、でも基本健康です。

帯状疱疹の経験

帯状疱疹の時。赤いブツブツに「あれ?これなんだろう?」と思ったのが金曜日夕方でした。その後土日に入り、近所の病院は休診。結果月曜日に診察に行ったのですが、その時にはずいぶん広がっていました。先生に「ぼくもいろいろ帯状疱疹診てきたけど、こんな酷いのひさしぶり」って言われるほどで。あの時の燃えるような痛さは、乳がん術後の動けない時よりも辛かった記憶。あの時は「痛み止めは身体に良くない」という思い込みがあって、抗生物質は飲んだんですが痛み止めは飲んでなかったんです。そしたら看護師さんに怒られました。「飲んでください!神経がその痛みを記憶して、痛みが引きませんよ?」と。神経が痛みを記憶???そんなこと考えたこともありませんでしたが「この痛みが続くことがあるの、、、?」と思ったら絶対イヤで、すぐ飲み始めました。

2週間身体が動かないという経験は初めてで「痛いー痛いー」と声に出すことで少し痛みが和らぐような気もして、横になりながらもよく声を出してました。ヨガインストラクターの友人に話したら「それは呼吸法のひとつですね」と言われて、なるほど、人間の身体の仕組みって面白いんだな、と思いました(この面白い、は面白がってる面白いではなく「興味深い」interestingの方です)。

その頃、iPhoneでいえば「3」のとき。twitterを始めて間もない頃で「手もとで検索すること」にまだ不思議さを感じていた頃でもあります。今よりはまだ情報も少なくて「なんでもかんでも」の情報は見つからなかったんですが、情報が少ない分探しやすかったおぼえもあります。今のようなネット社会のダークサイドを知らずに、ただただ便利だなあと感じていました。その時に調べたのが「免疫力の上げ方」。帯状疱疹は免疫力が下がることで現れるから、免疫力を上げなくちゃ!という一心。とにかく痛かったので、自分で何か方法はないか?と探しました。

商品としての健康食品は探さず、「免疫力を上げる食材は?」と調べてました。そして出てきたのが「豆腐、発酵食品、緑黄色野菜、きのこ類」。それをベースに私なりに食べ方を考えて、選んだのは「豆腐、味噌、小松菜、舞茸、ヨーグルト」です。帯状疱疹の時は「食べる」という行為さえイヤで。だから料理するのも面倒。でも薬は飲まなくちゃいけない。。と、とにかく自分のクチに入れるまでの工程を減らすことを考えました。で、まず思いついたのが「飲むヨーグルト」でした。

朝 飲むヨーグルト(飲むだけ、最高)

昼 白米(この当時、玄米派でしたが、健康な人には健康食材だけど、免疫力が落ちてる人には胚芽に含まれている毒素が良くないと聞き白米にしました)、煮物(病院帰り、通り道のスーパーで買うお惣菜。野菜だけのもの)

夜 味噌汁(豆腐は切るのも面倒で、パック豆腐を丼にバーンと出す→鍋に舞茸と小松菜で味噌スープを作り→豆腐に上からかける)

これを「免疫力上げたい」というオモイで、ほぼ毎日1カ月やってました。

このように、私はどちらかというとシツコイ人間でして(笑)しかも極端。思い込みが激しいわけではなく(当時はそれもあったかもですが)「やらないよりはやったほうがいい」と実行するタイプ。それが効くか?効かないか?はやってみないとわからない。でも、科学的根拠はしっかり信じる、という。実際「痛み止めってこんなに効くのか?」というのは帯状疱疹のおかげで知ることができたので、その後は病気のたびに、病院で処方されたものは素直に飲んでいます。

とにかくコレと決めたら「あきらめない」んです、私。今思えば、そんな性格のせいで厄介に感じてた人もいるでしょうし、若さもありました。「なんでもやれる!」という怖いもの知らずな若さを、30代まで持ってたんですよね笑 ウザいと言われてなんぼ、というか。そんな私だったんです。

前篇からの続き

で。先日の鹿児島読売テレビさんの取材での話。こう訊かれました。「好きなことを続けていくコツって何ですか?」突然訊かれたので、コタエは準備してなかったんです。でもあまり考えずに出てきたコタエが「あきらめることじゃないですか?」だったんです。担当リポーターのたのうえさんが「え?逆じゃないんですか?」と。
確かに、以前の私なら「あきらめないこと」と言ってるかもしれません。でも「あきらめること」ってこんなに必要なんだな、と感じてたんだと思います。不可能を可能に出来ない&がんばったらいけない事実が在るってことに初めて気づいたんですね。ただ気が抜けてただけなのかもしれませんが(笑)

手術後に知った「乳がん術後のリスク」。私は、社会復帰を早めたいために、可能性として治療によるリスクの確率が低い全摘を選びました。抗がん剤治療、放射線治療、それによる副作用、その可能性を少なくしたんです。もちろん、全摘したからって、治療を免れるとは限りません。でもその確率差は全摘と温存では何十%もありました。ステージも低いのに?なぜ全部取る必要があるのか?という人はいました。それでも私は総合的に見て、少しでも自分が元気でいられる可能性の高い方法を選びました。結局、切って終わりではなかったんですけど(これは知識不足)。

選択肢には、その人の優先順位や環境や立場や、いろいろ関わってくると思います。そもそもそんなことさえ言ってられない状況の人もいるでしょう。でもあくまでも、これは、私の生活と私の状況の中での選択。他の誰でもない、私のこと、です。私は今、元気です。それでもリスクがある。やれないことに対してもがいていても何も始まらないからこそ、あきらめることで見えてくるものを大切にしようという気持ちが、自然と湧き出たようなインタビューになって、私自身も驚いたことでした。あの時の取材班に確認していただければわかるかもですが(おぼえてないかもだけど笑)本当に無意識で。「あれ?私、なんで「あきらめる」って言っちゃったんだっけ?さっきのインタビューの質問なんでしたっけ?」と、ディレクターさんに確認したほどで(笑)。

でもそこで初めて、自分に生まれた「新しい価値観」に気づけたことは嬉しかったです。ああ、私はコレまでの私ではないんだなあ、と。さびしさも感じたけれど、「私はラッキーなんだ」と、再確認していました。

現世終えるまで変化していくであろう、視点

新しい視点が増え、減った視点もあります。視点をズラしたものもあります。その上で老後に向けて、って話すと「早すぎる!」と突っ込まれもします。でも、自分がガンになったことに変わりはないから、今後のことは考えておかないと、と思います。ガンに限らず、他の病気になるかもしれません。でもソレは誰にもわからないことです。脳梗塞だって怖いし、病気に限らず交通事故だって自分が気をつけていても起こりうるし。自然災害もあります。ちょっとした転倒でも打ちどころが悪ければどうなることか?。。。もうキリがない。

緩和ケアの先生にインタビューした時に「自分だけのクオリティオブライフ」について考えました。「自分がどう在りたいか?」
そして「向き合えないような状況にどう対処するか?」も、緩和ケアの治療のひとつだと聞きました。あきらめることはマイナスなことだけではなく、肩の力を抜くことで生じるプラスへの変化もあるかもしれないことなんだな、と感じました。緩和ケアについては、もっともっと知っていけたらと思います。



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