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さらにもっと手放したもの

シンプルに、快適に暮らしたくて、もっとできることを模索中。その中で、さらにもっと手放したものたちについての記録。

枕と枕カバー

ずっと、枕はなくてはならないものと思っていた。それどころか、大事なものだと信じていた。だから、値段が高めの枕を試したり、シルクの枕カバーを使ったりしていたけど、どうもしっくり来ない。というか、どちらかと言うと邪魔。でも、枕は使うもの、大事なもの、という固定観念があって、ただ自分に合う枕に出会えていないんだと思っていた。

先日、枕は使わない、とnoteに誰か(どなたか覚えていなくてすみません)が書いていたのを読んで、なるほど、なくてもいいのか!と思い、早速取り除いてみた。そうしたら、全然首が痛くなることもないし、枕が動いて気になることもないし、見た目もすっきりだし、快適。さらに、枕に付随する枕カバーも手放すことができて、地味に面倒だった枕カバーを外したり、つけたりして洗濯する手間もなくなって、いいことづくめ。もっと早く知っていればよかった。

使い道がないお気に入りのもの

ずっと前にバリ島で買った灰皿を手放せずにいた。ヤモリが上に張り付いているテラコッタの灰皿。もう使い道がなくなっていたけど、とても気に入っていて思い入れのあるものだったから、小物入れにしたり、ただの置物として使ったりしていたけど、どう考えても、もう必要なかった。

ある日ふと、私がいなくなったら、これは家族にとって完全にただのゴミだな、と思った。私が気に入っていただけに、家族が処分に困るたぐいのもの。それなら私が今のうちに処分しておこう、ほかの誰かに使ってもらおう、と寄付することにした。きっと誰かが気に入って使ってくれるだろう。行き場のなくなっていたお気に入りのお土産を手放して、少し心が軽くなった。

不機嫌な自分

私には、機嫌の悪い人が周りにいると、自分まで機嫌が悪くなる傾向がある。でも、他人に影響されて、自分の機嫌まで損ねていることが馬鹿らしくなってきた。

あと、私は夫には自分の不機嫌さを隠そうとしない。夫以外の人には、たとえ自分の子ども達であっても、そういう態度を取らないことに気づいて、それが完全な夫への甘えであることを自覚した。そして、そんな自分が恥ずかしくなった。

自分の不機嫌さに気づいて、それをさっと手放すことができるようになったら、心がとても軽く、毎日が楽になった気がする。


さらに手放せるものは、他にももっとあるはず。もっとシンプルに、快適に。

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