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人を生きる

自分に関東のような大都会は合わないのかもと最近少しずつ思っている最中、帰省や馴染み深い街へ行ったかのような感覚に陥る旅行を経て、自分は本当はこうしたいのかもしれないという気持ちに嘘がつきづらくなってきています。

大都会が合わないのではなく、自分の適性が自然多めで穏やかに生きられる場所なのかもしれないです。自分の適応力は自分でも驚くくらいだとずっと思っていましたが、なんなら自分の長所は適応力ですと言い張れるくらいだと思っていましたが、多少の無理はやはりしているもので、それがストレスとなってしまっているのも事実なのかもしれません。出会った人たちは皆さんいい人で、その「出会い」については心の底から本当によかったと思いますし、出会っていなければ今の私はないでしょう。

なぜ東京へ?と久しぶりにあった中学時代の友人に聞かれて、とっさに地元に飽きたからと答えましたが、本当のところは飽きる前に知ろうとしていなかったことが大きい気が今はしています。離れたからこそわかる偉大さ、離れる前に気づけなかったものか。後悔する性分ではないので後悔という言葉は似合いませんが、これが郷愁の念というやつなのでしょうか。その時の情動に身をまかせる勢いで生きてきた私ですが、年齢と共に勢いも衰えてきて、ついには振り返ってみて気づく良さに押しつぶされそうになってきているのでした。

とはいえ?まだ?27歳?すごい、はてながいっぱい。そこは自信を持って27歳ですと言い切ろうよ。それがそうも思えないような数字になってきているなと思う反面、よくも悪くも「若いね!」と言われる歳であり、その年代をどう生きるかは割と重要なのでは?と思い始めています。いまだからこそできること、やりたいこと、やっておきたいこと、やってみたいこと。最近どうも頭では思いつきやりたいと思うのですが、すぐ忙しさにかまけて忘れ去り気づけば1ヶ月がすぎてゆくのです。だからメモって大事。外部媒体に頼るのすごく大事。

せっかくなので有言実行。ここに書き表してみましょうか。まずは、書道。身体を動かさない趣味という面で、昔習っていた習字を活かしつつ、そこに創造性を加えていきたいところ。続いて料理教室。普段から自炊はしますが、全て自己流&母流。普段の使いやすさや作りやすさ、何も考えずに作れるものに終始してしまっているので、盛り付けの仕方、味付けの変化の加え方などを学んでいければ、普段の食も豊かになるのでは?という考え。続いてアクロバット。おっと、どうした急に激しいのくるな。ただバク転できたらかっこいいなという単純な理由です。いや、むしろ一番複雑に理由が絡み合っているのかもしれない。

こうやってたくさんのやりたいことを1日に何個も思いつくのに、1日の時間は変わらず24時間、1年は365日。職業柄最近24365と聞くとものすごい苦労を思い浮かべるようになりました。そんなことはどうでもよく、自分の人生あと何個自分のやりたいことが成し遂げられるのだろうかと考えてしまうのです。その中には当然「日常」も含まれていて、雑事とまとめてはいけないのに、まとめてしまう。そんな自分が嫌になってしまっているからこんな人生談義を始めたのかもしれません。

議題は「いかに組織に属さず、自分を持って生きて行くか」
結局のところ、何を大事にするか、なんですがね。安定。自由。環境。その時々、状況によってその選択肢も変わってくる。それが人生の面白いところ。

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