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名古屋にある江戸初期から続く染織町~有松の町並み

日本遺産に指定されている名古屋市緑区にある有松絞りとしても世界的に有名な有松の町並みは、全国で唯一、『染織町』として伝統的建造物群保存地区にも指定されています。旧東海道約800mに沿って建ち並ぶ町並みは、名鉄名古屋駅から20分もかからない有松駅からも見えるところにあり、名古屋で2時間でも時間があれば手軽に訪問できます。

絞り染めの生い立ちと歩み

日本における絞り染めは奈良時代から見られますが当初は上層階級の表立った意匠としては使われず、社会の表舞台に現れたのは室町から安土桃山時代。ただ、その頃の「辻ヶ花」という技法は模様を染め分けるための「方法」として絞り染めが使われていて、自由度・手間の両面で勝る「友禅」の技法が出てくると「辻ヶ花」は廃れました。

絞り染め生地Canva

江戸時代に入ると絞り染めは高級絞り「京鹿の子」と、庶民的な「地方絞り」に大別され、後者では豊後絞りや尾張藩の保護を受けた有松・鳴海絞りが最大の生産地に。有松・鳴海は幕末に尾張藩の専売制が撤廃されると、全国各地に絞りの技術者が流出し日本各地に絞りの産地が興りました。

その後、第一次世界大戦後の不況や第二次世界大戦中の物資統制の影響で衰退し、現在の大きな産地は京都と有松のみとなっています。どちらも後継者不足や海外の安い製品との競争にさらされていますが、国外への販路拡大や新素材を使った製品開発などの取り組みも行われているようです。

有松・鳴海絞りの歴史

旅人の安全促進をはかり、東海道五十三次39番目の池鯉鮒(ちりゅう→今の知立)宿と40番目の鳴海宿の間に小休止場所を設け、尾張藩の奨励で人々が移住し、近くの桶狭間村の分村として有松が出来ました。たしかに、桶狭間の戦いの古戦場は1.5kmほどしか離れていません。

桶狭間と有松の地図

1608年の村誕生当初は仕事もない状態でしたが、1610年、名古屋城築城のために来ていた豊後(大分)の人たちが着ていた絞りの着物に、尾張から移住してきた若者、竹田庄九郎が目をつけ、知多の木綿を生かして手ぬぐいを絞って旅人に売った結果評判となり、有松絞りの始まりとなりました。竹田庄九郎が創業した竹田嘉兵衛商店さんのサイトに詳細が書かれています。

竹田嘉兵衛商店⇩

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名鉄名古屋から有松駅までのアクセス

名鉄名古屋駅から準急に乗って乗り換えなし20分弱、町並みや有松絞でも有名な有松駅で下車します。準急は運転本数が少なかったり日中の一部の時間は運転されていないので、その場合は急行電車で鳴海駅まで行き各駅停車に乗り換えで20分ちょっと、またはすべて各駅停車で乗りなしで30分弱で到着します。

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有松駅前の様子⇩

有松駅前の様子

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有松駅からは桶狭間の戦いで有名な桶狭間古戦場公園も近く、時間があれば町並みめぐりとセットで訪問するのがおすすめです。

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有松の町並み写真

各文化財遺産の詳細はこちらによく書かれています。

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