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1個のレアチーズケーキが私を変えた

#やさしさに救われて  キラキラな素敵な思い出ではないけれど、私の人生の分岐点の1つだったと思う。

上意下達なジャパニーズビジネスマンだった

20代後半、伝統的な日本型企業でシステムエンジニアとして駆け出しだった私は、システム開発プロジェクトでプログラムを担当していた。工業地帯の職場で、車で通勤し職場と家を往復する生活をしていた。

システム開発はいわゆる「炎上前夜」の状態が続く案件だったが、メンバーの精神的&肉体的&時間的頑張りで、なんとか炎上を食い止めているようなプロジェクトだった。朝は早く、夜は遅い。「24時間戦えますか。ジャパニーズビジネスマーン。」と昭和のビジネスマンを歌った歌詞があったが、まさにその状態だった。

体も心も辛いはずなのに、毎日がお祭りのような高揚感があり、メンバー全員が麻痺していた。

当時、プロジェクト内で一番若かった私は、盲目的に先輩についていくだけだった。プログラムを書き終わっても次のプログラムの設計が来る、テストフェーズに入れば、先輩がテストした結果の修正リストが積みあがる一方。目の前のタスクに追われて、何も考えなくなっていた。

「レアチーズケーキが食べたい」に応えてくれた先輩

なんでもない平日の夜7時ごろ。通常の勤務時間は終わり、いつもどおりの残業に入っていた。

何がきっかけだったか忘れてしまうほど些細なことがきっかけで「頭が飽和した」というかパンクしたような状態になり、急に何もできなくなった。

(ここからは自分の記憶があいまいなので後日聞いた話を合成)

閉鎖的なプロジェクト部屋で息をするのが苦しくなり、他の社員がいる大きな部屋に出た。200人くらいが入る広いオフィスは照明が明るく、まだあちこちに人が残っていた。

仕事は一緒にしたことはないが、いつも気にかけてくれる先輩が、私に声をかけた。私は一言
    「レアチーズケーキが食べたい」
と言ったらしい。

顔面蒼白で心ここにあらずの表情をした(していたらしい)私の一言に、先輩は驚いた。が、職場は工業地帯の中、周囲にはケーキ屋どころか空いているコンビニや売店もない場所。工業地帯から出るのにも時間がかかる立地でレアチーズケーキは手に入らない。しかも先輩は帰宅間際。「大変だね」と声をかけて帰ってもよかった。

でも、先輩は「わかった」といい出かけた。
そして1時間以上車を走らせてレアチーズケーキを買ってきてくれた。

「こんな風になるまで働くなよ」

レアチーズケーキの甘さとともに、先輩の言葉が身に染みた。大部屋の隅で声を出せず涙しながら食べたレアチーズケーキのことは今も忘れない。
そして、1つのチーズケーキと先輩のやさしさが私を変えた。

仕事のやり方が1つ変わった 1つだけど大きい

これ以来、仕事に対してできないことを「できない」、時間がかかることを「○○までにならできる」と言うようになった。

仕事を受けるとき締切を確認し、「なるはや」に対しては自分から締め切りを提案するようになった。さらに時間がたち自分が誰かに仕事を依頼するようになると、締切(または目標時間)、複数の仕事をお願いする場合は優先度を決めて渡すように心がけている。相手が自分の仕事を調整できる幅を持たせるためだ。

一緒に仕事をしてきた同僚からすると、もともと生意気だったが、生意気さに磨きがかかったように見えたに違いない。これまでのやり方が変わって面倒と感じる人も多かったかもしれない。

それでも、私はこの仕事のやり方を今でも貫いている。
今ここで振り返っても、仕事のやり方を変えたことを後悔していない。

1つのレアチーズケーキが私の仕事への姿勢の分岐点の一つになった。

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