タクシー乗り場 その4 (マンハッタンのカプセルホテル)
文字数:4912字
まえがき
表紙絵は、セントラルパークの輪タクだ。こんな記事を書くのなら、マンハッタンのイェローキャブの映像をたくさん撮ってくるべきだった。
今回は仕方なく輪タクの映像を使うことにした。勿論、私が撮ってきた動画からの一コマだ。
そこでこの記事のカプセルホテル(実名ではない)のHPの画像を利用させてもらおうと、そのホテルにメールで許可をもらおうと計画した。ところが、そのHPにアクセスしようと検索すると、ほぼ同名のホテルがヒットしたのだ。本記事で書いている場所はThe Bowery Houseというのだ。しかしヒットしたのはThe Bowery Hotelだった。
これは違う場所だと気が付いたのは、値段だ。Hotel Edisonの倍の値段が提示されていたのだ。The Bowery Houseで私が泊った時は1万円程度だったから驚きだ。
ところがHPの写真がHouseもHotelも豪華さがそっくりだった。そこで私は混乱をし始める。両方ともホテル部門で姿を見せていたのだ。Houseの方は、確かに私が泊っていた(私が言う)カプセルホテルで間違いなさそうだ。
さらに精査していると、何と・・・小さな赤い文字で「閉館」と書いてあるではないか。
だからなのか、私が送信したメールへの返信は来ない。
最終確認のためHPにアクセスすると、真っ赤な枠内に「完全に閉店」となっている。念のため宿泊予約の手順で料金検索をしたが、料金が提示されていない。やはり「完全に閉店」なのだと実感。
そういうわけで、こん記事の表紙画像は、自分で撮った「輪タク」にしたのだ。
マンハッタンのカプセルホテル
私は今までカプセルホテルを2度体験している。大阪と東京だ。
大阪に同じ学年で教えた人たちのライングループがある。担任は一度もしていないのだが、高校1年生から3年生までの3年間、英語を教えたのだ。
高1では「リーダー」、高2では教科名は忘れたが、英字新聞をテキストとして使った。高3でもタイトルは忘れたが、オックスフォード大学出版の英語テキストを用いた。
この教え子の中に、高3でのテキストを捨てないでよかった、と手紙をくれた生徒がいる。外国学部(だと思うが)に入っていたのだが、大学2年生の時のテキストがその時のテキストだったというのだ。
私はその生徒たちのクラスでは、授業で教えたことは定期試験の問題には出さずに、それを元に考えなければいけないようなテスト問題を作っていたので、生徒たちはフーフー、ブーブー言っていた。
そのグループがラインをくれた。10数年前のことだ。
「先生、大阪に来たらうちたち、遊んであげるよ」
(注:うちたち=私たち)
「おお、じゃあ、遊んでもらおうかね」
「宿泊はうちらで予約するから安心していいですよ」
「いや、自分でするからいいよ。実は、長距離バスで行きたいと思う。それから、カプセルホテルも初体験したいしね」
若いころ、新宿まで長距離バスで行ったことがある。相当疲れた。その頃よりもバスの座席はゆったりしていて思ったより疲れなかった。
大阪のカプセルホテルは、予約して泊った。温泉付きのカプセルだった。安いし、ゆったりしていて、感動ものだった。初めての体験だったが、ぐっすり眠れたし・・・。
そこで調子に乗って、東京に講演を頼まれて行ったときに、確か、お茶の水近辺のカプセルホテルに泊まってみた。大阪より値段が高い上に、狭い風呂、食事できる場所も狭くて、少しがっかりしたことを覚えている。カプセルが広く感じるほどの気持ちが残っている。
というわけで、私はNew Yorkのカプセルホテル(があればの話だが)に泊まってみたくなった。
以前はホテルの予約はハガキで往復していたが、この頃にはインターネットで検索できるようになっていたので、探してみるが見当たらない。
YMCAなどの宿泊施設はあるが、安い、怖い、汚い、は嫌だったのでやめた。
そうこうするうちに発見した場所が、The Bowery House(ザ・バウリー・ハウス)に出くわしたのだ。調べてみると、値段はそれなりで、日本式のカプセルホテルとは違うものだが、それに近そうな感じだったので思い切って予約した。1泊が1万円くらいで8泊か9泊したのだ。
空港からは、いつものようにグランドセントラルまでバスで行き、そのあとは地下鉄を使った。スマホは使わないので、道が分からない。予約の時に手に入れた住所を頼りに、一番近い駅で降りる。
地上に出てみて、少したじろぐ。ある程度覚悟はしていたが、不安を感じる雰囲気の地域だったのだ。
スーツケースを引っ張りながら歩いてみたが、場所がなかなか見つからなかった。それよりも、歩く道にはホームレスがそこここにいて、道を尋ねても大丈夫そうな人が見つからない。
仕方なく店があったので、そこに入り込んで聞いてみた。なんと、すぐ隣だったのだ。
わからなかったはずだ。
階段を上がらなければ、フロントが目に入らないのだ。しかも、その階段は開け放しではないのだ。ドアだけがあって、そこから呼び鈴だ。そのドアのど真ん前には数人のホームレスがじろりと私を見ている。道路の向こうでもホームレスだ。
呼び鈴を押してドアを開錠してもらい、真っすぐ上に上るとフロントがあった。そこにはとても若い女性が受け付けてくれた。
部屋番号を知らされて、行ってみると、狭い通路はドアだらけだ。ドアとドアの間が狭い。ドアがひしめき合っているといってもよかった。しかも、向いにもドアがひしめき合っていた。
ドアを開ける。目の前にあるのは、一つのベッド。そのベッドが右側の壁にぴったりくっついている。その反対側の壁とベッドの間は、枕元側の隙間に物入があって、ドアまでの空間が動けるスペースだ。多分30㎝~40㎝くらいの幅。
顔を上に向けた。天井がどうなっているのか気になったからだ。白い!隙間だらけの天井。菱形の格子。旅行時にはいつも持っていく針金でできた衣紋かけが有用だ。
私が撮った写真がある。
思い出せば、ベッドの上には開けっぴろげのスーツケース。起きてから開いて、寝る直前にふたを閉めて通路に置くのだ。天井の格子に針金の衣紋かけをかけた。
滞在時には一日中外出だ。この時がマンハッタン6度目だ。贅沢に一日中マンハッタンのストリートアート探索をした日もある。それまで行ったことのないマンハッタンの探索。以前行ったが、その場所の「その後」を探索。特に9・11の前と後。毎日どれだけ歩き回ったことか。
夜遅くなると、怖い雰囲気の中を歩く。速足だ。フロントの若いお姉さんの帰宅する姿を見て、少し安心感が・・・。でも、日本では見られなくなったたむろするホームレスを横目に見るのは、ちょっとドキドキ。仕方ないので「H~i !」「ハ~イ」と返してくる人もいる。私はちゃんとした服装ではないので、それが旅の強みだ。
と言うわけで、帰宅すれば、シャワータイムだ。
狭い通路をあっちこっち角を曲がりながら、シャワー室へ向かう。誰もいないことを願いながら。。。勿論シャワーは個室。と言ってもナイロンカーテンが仕切りだ。3カ所ある。トイレもある。シャワー室の前が洗面台。このスペース全体が上品な景色だ。
足元はびしゃびしゃ。そんな日は少しがっかりする。隣に宿泊者がシャワーを浴びているときは、少しがっかりする。でも、ちょっとしたおしゃべりができて、ちょっぴり楽しい。意外とみんな嫌味のない人ばかりだ。1万円ちかくの価値を感じる。
夜は早く寝たもの勝ち。何しろ天井がないようなものだ。いびきが駆け巡る。まんじりともせずに朝を迎えた日もある。でも、それもHouseのよき思い出。
朝、洗面を済ませてフロントへ。お湯を沸かしてコーヒーを入れるのだ。無料。一人旅では必ず持参する湯沸かしポット。コーヒー豆。ミルを持参した旅もあるが、Houseではどうだったか思い出せない。どっちにしても自分でブレンドした豆をゴリゴリ挽いて粉にしたものを持参したものだ。フロントの人は男女とも若い。優しい。親切。PCを借用して家族にメールしたことも。
フロントの前はくつろげるラウンジ。ソファー。飲料。
そこで買ったコカ・コーラ。スプライト。ガラスの瓶入りだ。安かった。でもいくらだったか忘却。レトロな感覚が気に入って、割れないように、シャツなどに二重三重にくるんで持ち帰った。今も私の部屋にある。
写真をどこかにキープしているのだが未発見。明日にでも撮ってみよう。そしてこの下にその写真を展示するのも楽しいかも・・・。
つい夢中になって、(いつものことだが)タクシーの話から離れてしまった。
最後の日は昼前までBowery Houseに滞在した。それだけのことで、宿泊費は一日分支払わないといけない。私の旅はいつもこのパターンだ。安全第一と言うわけだ。
フロントでチェックアウトの手続きの時に、タクシーを呼んでくれるように依頼してみた。このHouseの入り口付近にはタクシーが停まっていたためしがなかった。
私は「OK」の返事をもらって、フロント前のラウンジのソファーで待つことにした。
「タクシー、もうすぐ来るわよ」
しばらくして声がかかった。
私がスーツケースを持とうとすると、その若いフロント女性が持ってくれようとした。丁寧にお断りして、長い真っすぐな階段を足を踏み外さないようにゆっくり一段一段降りて行く。
フロントは私をエスコートするという感じで、近くをゆっくり降りて行く。
階下のドアを開けて、右手のホームレスを横目に見ながら2人でタクシーを待つ。
聞いてみると、仕事を終えるのが夜中になることもあるらしい。
「怖くないですか?」
「そんなことは全然ありませんよ」
「私は初めてこのHouseを見つけた時、結構ビビりましたよ。でもHouseは快適でした」
彼女は「そうですか、よかったです」
タクシーはややしばらくしてやってきた。
私は彼女にそっとチップを渡そうとした。
いやいや、何もしてないからいいですよ、と彼女は受け取ろうとしない。
それでも私は取ってもらおうとしてチップを強く差し出した。
「ありがとうございます。Good Luck!」
私の気持ちは輪番でのフロント係全員に、男性女性にかかわらずチップを手渡したい気分だった。
タクシーを見て、実は私は「えっ」と言いそうになった。それはイェローキャブではなかったからだ。
見た感じではUnionにも入っていそうになかった。
大学生を引率してロンドン近郊のオーピントンという地域に行った時のことを思い出させてくれた。
Blyth HotelというB&B(ベッド アンド ブレックファスト)に宿泊して毎朝来てくれたタクシーにそっくりだったのである。
その辺にいるおじさんドライバーが大分古くなった自家用車で来てくれたが、それを思い出したのだ。
もちろんメーターもついていない。
そこで私はイギリス風に助手席側の窓に近づいて、行き先を告げて、料金を聞いてみた。
ドライバーは、それが当たり前とでもいう風に普通に答えてくれた。
乗り込んでから、フロント女性に手を振った。彼女も軽く手を振ってくれた。
車の中では、沈黙だ。
私は心配はしていなかった。The Bowery House御用達のタクシーだからだ。変なことをすれば、彼はThe Houseという顧客を失うことになるのだ。
運転してくれたのは、アジア系の若者だった。
機嫌が悪いのかと思うほど、無口だった。いくつか話はしたのだが、何を話したかを覚えていない。アメリカの都会のタクシーはそんなものだ。無事に空港まで届けてくれればいいだけのことだ。
そして、その役割をきちんと果たしてくれたのだった。
完
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