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おやじの裏側 vi (6.母親、ふふっ)

オレが校区外のSG荘まで長い帰路の末
ようやく帰宅した。
道中、いつも気になっていたのは
空中を流れてくる「におい」だ。
 
独特のいいにおいがする。
その辺りからは、友達と別れて一人旅だ。
その辺りから目を真っすぐ前に向けると
崖の上にそびえるSG荘が見えてくる。
SG荘の向うの方に丘というより山が見える。
 
ついにSG荘に上がる弧を描く階段にたどり着く。
オレの家族の部屋に急ぐ。
 
「おかえりなさい」
「ただいま~っ」
 
時には上がり框でSG荘の住人のおばちゃんに会ったりする。
 
上り框からの階段を駆け上がる。
この階段、実は一段一段が高い。
上がった所が少し広い踊り場だ。
オレたちの部屋の前にはおやじ作成の簡単な下足箱。
 
「ただいま~っ」
 
「おかえりなさい」
 
母親が一人でテーブルの前にいた。
ちょっぴり怪しい動きが…。
子供のオレには何が怪しいのかわかるわけがない。
 
その日の学校での出来事を一気呵成にしゃべる。
母親は静かに微笑みを持って耳を傾けてくれる。
 
そのうち、同じ校区外の学校から
兄弟たちが次々と帰ってくる。
その頃になると、オレが感じた違和感は
いつの間にか消えてなくなっている。
 
SG荘では帰宅後は外に飛び出て遊ぶことが当たり前になっている。
オレたちが帰宅しているということは
他のSG荘仲間はとっくの昔に帰宅しているということになる。
彼らはSG荘のすぐ裏手にある小学校に通っているからだ。
 
その小学校の運動場が遊び場だ。
その小学校の中庭が遊び場だ。
その小学校の奥にある低い山が遊び場だ。
 
運動場に行くときに、
SG荘の共同炊事場が左手に見える。
 
窓が開いていると、そこにどこのおばちゃんがいるかすぐに分かる。
時には母親がいたりする。
 
「おかあさ~んっ」
 
にこにことした顔がオレたちを見る。
オレは手を振ったりしてスキップだ。
 
そんな毎日の放課後の話を始めるとキリがない。
それだけで、いくつ記事ができるかわからない。
  
オレが中学生になったころの話をする。
つまり、SG荘から引っ越した後のことだ。
それがいつだったかはなかなか思い出せない。
中学生になってからの話であることだけは確実だ。
 
「あのね、SG荘でね。 ふふっ」
母が日常的な話をするときには
「ふふっ」と笑いが入る。
特に誰も知らない秘密を話すときは猶更だ。
 
兄弟もそろっている時だ。
 
突然何の前触れもなく母の話が始まった。
おやつ時で、何を食べていたか覚えていない。
 
SG荘でのおやつの定番は
ちり紙に包んだ、スプーン1杯分のサトウだった。
それをべろべろ舐めるのだ。
きっと配給された時のおやつだ。
 
当時の食事はヒエやアワの混じった麦飯だった。
それが麦だけの麦飯になった時は感動ものだ。
今の時代の麦を想像してはいけない。
今考えると、家畜が食べていたと同じものだったのかもしれない。
そのうち、麦飯に白米が混じれば、ドキドキものだ。
そして、ついに白米だけの米の飯。
ビックリするおいしさだった。
まばゆかった。
 
「あのね、SG荘でね。 ふふっ」
 
「ふふっ」が合図だ。
 
母の面白い話の始まりだ。
「あの日は、○○ちゃんが最初に帰ってきてね。ふふっ」
当然○○ちゃんはオレの名前だ。
オレが中心人物に登場したのだ。
オレはその時のことを何故か覚えていた。
ちょっぴりだが、覚えていた。
ワクワクしてきた。
 
「あの日はね、午前中に▢▢さん(信徒の名前)が来られてね」
オレたちは身を乗り出している。
「カステラをいただいたのよ」
「え~っ、オレたち食べた記憶がないよね~」
ここで、オレたちとは実際には言っていない。
オレたちではなく「ぼくたち」と言ったはずだ。
「ふふっ」
 
「実はね、みんなに平等に分けないといけないでしょ?
だから、物差しで人数分を分けることにしたのよ。ふふっ」
 
「で、お母さんの分を食べたの。おいしかったのよ」
 
「そりゃそうだね。カステラなんて、大御馳走だからね」
 
オレたちは食べた記憶がないので、早く続きが聴きたいのだ。
 
「あまりにおいしかったので、実はね・・・ふふっ
残ったカステラをまた人数分、物差しで測ったのよ。
そして、その中の自分の分を食べてね。おいしかったわよ~っ。ふふっ」
 
そんなにしてカステラの半分が自分のおなかに収まったというのだ。
 
オレたち子供はみんなであきれてしまった。
「ふふっ」どころではない。
その残り半分のカステラはどうなったのか。
 
「さすがに少なくなってしまったからね、ふふっ。
ばれないように、残りのカステラを全部食べてしまったのよ」
 
もう家族中、大笑いだ。
母の、話の合間に入る「ふふっ」の魔力だ。
「ごめんなさいね~っ、ふふっ」
 
母は、家族公認の大の甘党なのだ。
だから、戦時中は甘さに飢えていたはずだ。
甘さのない生活をどんなにして耐えてきたのだろうか。
 
 SG荘に引っ越す前はTさんという人のバラックを借りていた。
とても良い方だったと思う。
バラックは2部屋あった。
そのバラックでも日曜日の礼拝は行われていた。
 
オレが退職してから、
懐かしさもあって訪ねたことがある。
本当は同級生のYチャンに会いたかったのだ。
彼が不在で、おばちゃんが喜んで迎え入れてくれた。
 
オレたちの家族が借りていたバラックは
当然のように姿を消していた。
そこの話はまた別の記事にするとして、
甘党の母が生き延びることができた話だ。
 
勿論大げさな表現をしているだけだ。
 
そのバラックには小さな空き地があって
少しでも食べ物を手に入れるために
畑を作っていた。
そこには、トウモロコシやサトウキビが植えられていた。
オレたちは、そこからSG荘に越したあと、
植えたままにしてきたサトウキビを
収穫するためにみんなで出かけた記憶がある。

どちらもオレたちのおやつになる素材だ。
サトウキビは、収穫するととにかくその茎をかじる。
かじっては「ペッ」と吐き出す。
口の中に甘さが残る。
トウモロコシですら、実を取った後は
茎をかじる。
かじってかじってなくなるまでかじる。
サトウキビほどではないが、
甘さは残るのだ。
 
きっと、母はそれで甘さ不足を乗り切ったのだ。
SG荘には畑がなかった。
母の甘党ぶりはカステラ事件で確認されたのだ。


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