ワクワク ユニバーサルスタジオ ハリウッド (USH) No. 1
文字数:6074字
この記事は途中で気づいたですが、1本で終わるには量が多すぎるので、No. 1とNo. 2 の2本立てにすることにしました。 2022. 8. 4
妻と行った時のUSHの催しは、いくつかのパートに分かれていて、時間を少しずつずらす形で観客人数をうまくコントロールしていた。写真を見つけたので、この記事の最後に当時の催しを掲載させていただきたい。2022.8.7
たまたまUSJに関する「所JAPAN」の番組からちょっとして発見があったので書き加えました。(この記事の「マイアミバイス」で扱っています。北九州のスペースワールドでの話も出ていますよ 2022.8.12
USHにたどり着く
私はUSJには一度も行ったことがない。
私は東京ディズニーランドには一度も行ったことがない。
それなのに・・・
私はUSハリウッドには二度も行くチャンスに恵まれた。
私はアナハイムにあるディズニーランドには何度か行くチャンスに恵まれた。
そう話すと、「それって自慢?」と若い人に言われたことが何度もある。
どちらにしても、日本とアメリカのそれぞれの施設とを較べることが出来ないのは残念だ。きっと異なるコンセプトがあるに違いないと思っている。
1987年か8年に妻と行った時には、ホテル(と言っても、モーテルのことだが)からのバスの便情報が全くなかった。そこで、ヒルトンホテルの近くにあるバス案内所が入っているショッピングモールに行って、話を聞いた。ついでにLAのバス路線図と時間割を書いたものを必要と思われる路線の分を全てラックから持って帰った。そして妻と作戦会議だ。
USH(USHollywood)までは3,4回乗り換えた。どのバスも乗客でひしめいていた。まだ地下鉄が全く通っていなかった。乗り込むたびにいちいち運転手に「どこそこ行きですよね」と聞きながらの旅だ。当時の運転手はみな親切にしてくれた。わざわざ私に声をかけてくれて「次が降りるバス停だからな」と案内してくれるのだ。さすがにUSHで降りるバス停では、運転手が、私が乗り込むときに「安心しな、そこならほとんど全員おりるぜ」ってな具合だ。そして確かにその通りだった。
《何といっても、世界のユニバーサル・スタジオ・テーマパークの中で最も早く開業したのだ。大阪にあるUSJは3番目(2001年)だ。》
バスを降りるといきなりの急な上り坂だ。殆んど山登りみたいなものだ。妻が大丈夫だろうかと心配だった。彼女はLAに来る前もニューヨークやワシントンDCなどを、いとも簡単に歩き回っていた。夕方ホテルに着くと私は彼女の脚をマッサージして疲れを取れるように工夫した。どこからあんな元気が出るのだろう、と毎日のように思っていた。恐らく初めての外国旅行にテンション爆上がりってところだったのだろう。
USHの次の日はVenice Beach、次の日はアナハイムに1泊してディズニーランドとハードスケジュールだ。でも最後はハワイのホノルルに3泊か4泊の休憩を考えていた。
あ、また悪い癖が出た。いろいろなことが頭の中を駆け巡ってしまうのだ。
2016年は2度目の訪問。地下鉄。無料のトラムカー。トラムの中はワクワクのオンパレード。ウキウキワクワク。これにルンルンもプラス。
トラム第1便 はっしゃ~っ!
途中いろいろな面白そうな場所に出くわしたが、とにかく急ごう。急がないと見たいものにありつけない。「Studio Tour」だ。急がないとそのためのトラムに乗り損ねる。そうなったら次の便、次の次の便となってしまう。つまり時間の無駄になるわけ。だから今見たいものをすっ飛ばしても、早い瓶に乗ればその後の時間がたっぷりあるのだ。
Studio Tourに突入
これからトラムの両側で展示、アクション、戦争、大火災などなどがこれでもかと迫って来る。水攻めだってあるぜ。。。
ちなみに妻と行った時と原則同じようなものではあった。ただし、映画が同じわけではないので、トラムの外に繰り広げられるのはその時代にあったものだと思う。私は映画はほとんど見ないので分からないのだ。
当時と同じと思われるのは、少なくとも2つはあった。「十戒」と「ジョーズ」のそれぞれ1場面だ。
街並みのセットを通過
ここからはしばらく町並みのセットをご紹介しよう。というほどのものではないのだが、何といっても天下のユニバーサルスタジオ提供なのだ。そのセット群の合間に、トラムの両方ではいろいろな工夫を施したショウが催されるのだ。ただし、画像は順不同なのでお許しを・・・。
車内では一つも見逃すまいとカメラ(スマホ)を構えている人たちばかりだ。当時(2016年)はまだスマホではなかったかもしれない。少なくとも私はガラケーだ。ビデオカメラで動画を撮り、(忘れなければ)動画を撮りながらカメラ用のシャッターを切ったりしていたのだ。
町並みのセットを見ていると、確かに妻と訪れた時の街並みのセットと同じものがいくつも垣間見えた。そこでその当時の写真をたくさんのアルバムの中から探してみた。そしてそれは思った通りだと確信できた。それ以外にも当時の写真からいくつかここに提示してみる。
当時のトラムのガイドアナウンスで、光の当て具合当晴天にも曇天にも雨天にすらこの1枚で表現できるということだった。「へぇ~」と思ったことで記憶に残っていた。
この写真の絵を見ていると、私は妻と行ったマンハッタン1周巡りのクルージングを思い出す。ビデオを持っていなかったのでカメラで写したのだが、「コンクリートジャングル」という言葉がぴったりの映像ばかりが写し出されたのだ。
忘れなければ、その時の写真を挟み込んでみたいと思っている。だから太字にしておこう。。。
ビデオを回し続けていると、ひょんな収穫に巡り合うことがある。これがまさにその一つだ。町並みの裏側がさらけ出されることになる。勿論、このツアーの醍醐味なのだ。見事な「張りぼて」で支えられている。
各場面場面で物語が湧き出てくるような気がする。それはその街並みのオリジナル性が語り掛けてくるからだ。見たことのある映画の場面が思い起される人もいるだろうし、自分の中で物語を作っていく人もいるのだろう。私は残念ながら、映画との接点が少ないので難しい。それなのに、見ていて楽しいのは映画の世界に入り込めているからだろう。やったーっ!
洪水だっ! 事故だっ! 大火災だっ!
恐竜だっ!
トンネルに入るといきなりすごい音。
恐竜の吠え声。歩く音。他の恐竜との争いの音。
それらが一気に車外すぐそばで展開される。
姿が見えなくなったと思うと、反対側に映像が移動している。
車が揺れる。戦いはすさまじい。トラム内は騒然。でも大きな声で笑う声もある。楽しんでいるのだ。絶対に食われることはない安心感だ。エンターテインメントだ。
これは分からないだろう。私のような老人でなければ知らないのも無理はない。その昔日本でも恐らく多くの人たちを映画館に引き寄せたはずだ。超大作「(モーセの)十戒」に出てくる紅海を渡るシーンに使われた場所だ。公開が二つに割れて、そこをモーセ率いるイスラエルの民が渡った後、彼らを追ってきたエジプト軍が割れた紅海が元に戻ることで見事に飲み込まれてしまうのだ。
そのシーンがこんな小さなちょろちょろした滝とも言えないようなセットで表現されていたのかと驚いたものだ。妻と来た時の驚きだ。実は先ほどその時の写真が見つかったのだ。その写真をアップするつもりだ。若干の情景の違いがあるが、こちらの写真の方がよく分かるのではないか、と思っている。 (妻と来た時の写真がここにはいる予定)これがその時の写真だっ!
すぐ横に赤いトラックがすごい勢いで滑り落ちてくる。そのために設置されている線路が視界に入ったとしても、その衝撃はなかなかのものだ。車内から切羽詰まったような大声、金切り声。効果音に更なる効果を与えているようなものだ。
車同士のぶつかり合いによる爆発は更なる恐怖を呼び込む。そして次の事件に期待してしまうのだ。
まさかその日を消すための洪水なのか。本物の大量の水。見事だ。
トンネルを抜け出したところで、爆発は続く。留まるところを知らないかのようだ。
池であっても爆発から逃れることはできない。何故なら、乗客がキャーキャー言いながら楽しんでいるからだ。
おっと、池だあと思っていたら何と海だ。入り江だ。トラムめがけて襲いかかるジョーズだ。
飛行機の墜落事故だっ!
凄まじい事故現場だ。生存者なし。さすがにトラム内は静寂。本気なわけではないけれど、悲惨さが伝わってきたのだ。
内臓が抉り出されるような凄まじさなのだ。広い敷地に体を横たえている飛行機は無残な姿をさらしている。それを見る私の中には、御巣鷹山でのJALの墜落事故が重なっていた。
アメリカで、私は国内便はほぼUnited Airlineを利用してきた。頻繁に飛行機に乗るアメリカ人が、目的地に着陸すると拍手をする場面に幾度か遭遇した。当然私も拍手に加わったのだ。
私は今でもあんな重いものが空中に浮いていることが信じられない。理屈では理解できても・・・こわい。テキサス州ヒューストンからのプロペラ機。しかも嵐の中のフライト。
このフライトについては、「留学ってきつい、楽しい その2」の中の「空飛ぶジェットコースター」を参照してください。
仮想空間劇????
最後は舞台のような場所が出現。普通の人を表しているのか、たくさんの人がうねりくねりダンスをする。蛇ダンス? 何かを訴えているのか。。!
場面が変る。言葉のやり取りをしていたが、よく分からなかった。分かろうとはしなかったのが原因だったのかもしれない。そうこうするうちに場面毎うしろの方に消えて行った。
先ほどまでの激しい場面から、急に静かな変化についていけなかったのだろうか。
そしてトラムは、あっという間に元の場所に戻っている。もっと乗っていたかった、などと思うのは乗客の勝手な感想だ。着いた駅にはすでにたくさんの人たちが順番を待っているのだ。現実に戻ったのだ。
一番トラムに乗車できたのは幸運だ。朝一番の時間を大切に過ごせたからだ。降りた後は、好きな場所を探しまくればいいのだ。まだまだ何も見ていないのだから。
1987年頃のUSHのアトラクション
写真を探しているうちに、当時のUSHのアトラクションがいくつかのパートに分かれていたことを思い出した。
当時は「Back to the Future」真っ盛りの時代だ。これを観るために列に並び前後の見知らぬ人とおしゃべりして順番を待ったのだ。ちなみに列に並ぶときに木でつくられた簡易的な柵があった。
ガム貼り付け事件
私たちは何気なくその手すりに触れると、ベトッとしたいやな感触。策という柵全てがその感触なのだ。よ~く見てみると・・・なんと・・・チューインガムだ。アメリカ人がガムを噛んで、捨てるところがなくて柵にべっとりとぬすくりつけるのだ。それがたまりにたまって分厚く塗りこめられていたのだ。今にして思えば、それこそ写真にとるべき事件なのだった。
だから私は2016年の訪問では、そのガムの写真を撮ろうと張り切っていたのだ。しかし、どのような道徳的発展を遂げたのか知らないが、そのようなガムの事件は全く発見できなかった。残念でならない。もっとも、ガムを貼り付けることが出来るような柵は見当たらなかった。きっとUSHなりの対策の勝利なのだ。
マイアミバイス
当時実に人気があった。マイアミはフロリダ州だ。1984年から1989年にかけてアメリカ合衆国で放映されたものだ。私もほぼ欠かさず見ていたものだ。
大音響。あらゆる音を集めたのかと思わせる。そのたびに観客席からはため息。拍手。驚愕の悲鳴。大笑いの声。それらが次から次へと発せられるのだ。自分もその一人だ。おとなしいはずの妻でさえ遠慮なく悲鳴を上げている。
実はこれと同じショウ縮小版的なものを私たち二人は日本でも見たのだ。それは北九州市の八幡にあった、(今はなくなってショッピングモールに変身しつつあるみたいだが)スペースワールドだ。そこではNASAの協力で宇宙関係の施設があったことで有名だった。
そこでMiami Viceのショウがあったのだ。どこかで見たことがあるという気持ちで見ていたのだが、あれは確かにUSHでみたものととても似ていた。規模が小さいだけだ。
この記事を書いている時にTVの番組で「所JAPAN 2時間SP」というのがあった。何となく見ていると、ここで書いているようなことが映像として流れていた。見覚えのある映像だ。この番組はUSJのアトラクションに関するものだった。それこそスペースワールドで見たアトラクションとうり二つなのだ。そのUSJでのタイトルが「ウォーターワールド」というものらしい。スペースワールド時代のわたしが覚えていたのはUSHで見たすぐあとだったので、記憶違いだったのだろう。
スタントショウ
スタントショウもなかなか楽しめるものだった。きっと楽しすぎてカメラのシャッターを押すことを忘れたに違いない。残念ながら、この一枚しか残されていないのだ。
ほかの写真は殆んどが今回の動画と設定が同じなのであえて載せませんでした。
というわけで、この記事のNo. 1はこれにて終了ということになりました。
次の「ワクワク ユニバーサルスタジオハリウッド No. 2」にご期待ください。他の記事を書くかもしれませんが、そうでなければ、No.2を始める予定です。2022. 8. 9
完
2022.8.8
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