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ワクワク ハンティントン・ライブラリー in LA

文字数:4730字

最初の部分にセキュリティーの画像を追加したり、途中の書き換え、書き加え等しています。2022.7.31
完成しましたが、もし作品名等が判明した時には追加する予定です。022.8.1
 

図書館なの?

 ここは図書館ではない。
 勿論図書館だが、普通の図書館のイメージとはかけ離れている。
 ここはどちらかというと、博物館だ。
 ここにはシェイクスピアのファースト フォリオが所蔵されている。
 1970年に兄に連れられてきた時には、それを間近に見ることが出来た。
 2016年に再訪した時には、別の古書が展示されていた。たくさんのオリジナル本が所蔵されている証拠だ。
 それを46年の時を経て再訪するだけの価値があると確信していたのだ。兄は車で連れてきてくれたが、私は地下鉄だ。Allen駅からまっすぐ30分ほどひたすら歩いた。汗びっしょりだ。それだけのことをしても再訪したかったのだ。

右を見ても左を見ても4車線か5車線の高速道路
凄いうなり声をあげながら大小さまざまな車がひた走る

 高速道路と垂直に走る道路が下にある。ホームから階段を降りるのだ。そこで私は立ちつくした。どちらが取るべき方角かが分からないのだ。間違えると大変なことになる。
 ウロウロしていると、丁度その辺りで2,3人の人が測量の作業中だった。他に人も見当たらない田舎のような場所だ。
 「すみませんが、Huntington Libraryに行きたいのですが、どう行けばいいでしょうか」
 何ということだ。その場所を知らないというのだ。

 そう言えば、ロンドンでDr. Johnsonの生家の前の広場で建築関係の仕事をしていた人に、その生家の位置を聞いてみたのだが、そこにいた数人がみな知らないと答えたことを思い出した。

 測量士は「ちょっと待ってみて」と言ってスマホをいじり始めた。そして画面を見せながら、この道をこちら側にまっすぐ行けばその場所に行けるみたいですよ、と教えてくれた。
 途中までバスで行けるのは(バス停があることで)分かっていた。バスを待つのが面倒だったのだ。あんな田舎ではどれだけ待たないといけないか分からないからだ。妻とNew Yorkに行った時、バスを待つこと30分なんてことはざらだった。Huntington Libraryに着くまでに1台だけ私の横をバスが通り過ぎた。
 道中はただただ金持ちそうな家々で、みるのが楽しいものだった。だから歩いて正解だ。まっすぐな道だったので、先の方にそれらしきものが目に入って来ると、もう私の気持ちはワクワクだ。歩いた 者だけが享受できるワクワクだ。
 印象に残っているのは、家々の門の当たりにあった小さな立て看板だ。日本では「セコム」みたいなものだ。
 そこには「セコム」ならぬ「San Marino」という会社の連絡先と「銃装備で駆けつける」(Armed Response)との文言が書いてあった。ちなみにこのSan Marinoというのはこの地域名と同じだ。

歩いて30分後

しばらく歩くと案内板
バラ園があるのだが、まだその季節ではなかった

 Huntington Libraryの入り口を入ると、広い敷地内にローズガーデンや茶室のようなものがあり、矢印に沿って進むと、大きな建物が見えてくる。

 記憶が定かではないのだが、この建物(Library)ともう一つの建物(美術館)とからなっている。他にも日本庭園等がある。詳しいことはネットを調べればいろいろと詳細は手に入る時代だ。

 入るとすぐにハンティントン家とその人々の紹介がある。もともと鉄道王のような人だったのだろう。当時の鉄道の模型などもあった。

 正直あまり興味がなかったため、流して見たように思う。そして、次の部屋に入るとワクワク感が一気に盛り上がるのだ。興味のない人にはこのワクワク感は理解できないかもしれない。

ほらね(笑)古~い書物ってだけのことです

 私が1981-2年に留学した時に、宿題で大学図書館の「レアブックコーナー」(Rare book corner)で教授が紹介してくれた書物(資産価値約500万円)の外形的調査(頁番号が正しいか、活字が間違っていないか、印刷ミスはないかなど)の宿題で扱ったことがあるので、余計に古いという価値を感じられるのかもしれない。一頁一頁真剣に調べたことがとても楽しかった。そして間違いを見つけると大発見をしたような気になるのだ。

ISUのレアブックコーナー

 この部屋には厳重な決まりがあって、教授の紹介がなければ入れなかった。図書館の通路を歩いてみても中は別世界だ。古書の宝の山なのだ。

 さて、Huntington Libraryに戻る。

その展示物

 Huntington Libraryにはこのような古書がいくらでも湧き出てくるのだろう。1冊1冊がワクワクの塊だ。

 下のようにカラフルな印刷技術は、古書とは思えない。それどころか芸術品だ。鮮やかなカラーが装いを豊かにしている。だからワクワクするのかもしれない。

 本のタイトルが分かるようにすべきだった。反省!動画を精査すれば分かるようにして入るのだが、これがなかなか大変なのだ。と弁解しきり・・。

 生き物の図鑑類も多数展示されていて興味深かった。私が小学生の頃には夏休みになるとチョウやトンボ、ゲンゴロウなどを捕まえて来ては腐らないように手を施して標本を学校に提出したものだった。それを思い出したのだ。

 これはチャールズ・ディケンズのメモ書きだ。彼の作品にはとても多くの登場人物が現れる。彼は大作を書く前に、各章毎の筋立て、登場人物の描写、全体への章の割り付けなどをメモしてから書き始めていたようだ。そうでもしなければ、死んだ人が再度登場などという困ったことが起こるのだ。名前は忘れたが、ある作家はそれをしてしまい、その作品を本屋で販売してしまったという話を何かで読んだことがある。

 このコーナーでは、リンカーン大統領直筆の手紙類が多数展示されていた。
 私はアメリカのワシントンDCの国立公文書博物館である手紙を見たことがある。それは大統領夫人からの政府宛てのはがきだ。その内容は年金に関するものだった。夫が暗殺されて彼女の年金生活に関して、金額をもっと増やしてほしいという嘆願書だったのだ。写真に撮って持ち帰った記憶はあるものの、その写真がとうとう見つからなかったのだ。後に再訪して探したがついに発見できず・・・だ。当然当博物館には山ほどの公文書があるから、いつも同じものを展示するわけがない。でも、カストロの手紙を見ることが出来た。これはメモ書きで残したはずなのに、これまた見つからない。要するに私は研究者としては役立たずなのだ。言っておくが、私は研究者ではない。

 いよいよGenius(天才)のお出ましだ。今回は『Tempest』が開かれたものが展示されていた。tempestとは「嵐」という意味だが、この作品の日本語タイトルは「テンペスト」となっていることが多い。多分「嵐」の訳ではニュアンスが伝わらないからだと思われる。Shakespeareが遺した最後の作品というのも何かと曰く因縁がありそうだ。

 この図書館には天文学に関する多数の書物等も所蔵されている。私が何よりも興味を持たされたのは、

ナイアガラに関する記述書類だ。

 わたしが初めてナイアガラに行ったのは、1970年のことだ。これについては「ワクワク ガックシ ルンルン 一人旅 その1」(私の一番最初の記事です)を参照してください。
 その時は、今と違って観光客がほとんどいなくてゆったりとした気持ちで見物できました。とは言っても、滝つぼまで行く「霧の乙女号」にはぎっしり人々が乗っていました。ゴムの雨がっぱを貸してくれるのですが、これが汗臭くて・・・。などといい思い出がたくさんのナイアガラ見物でした。

 私が行った時でさえ土産店も何もなかった。その代りに、その後に訪れた時以上の最高の感動を心にしっかりと焼き付けることが出来た。それから推察するに、この展示に移っている人たちの驚嘆はどんなものだっただろうと、考えるだけでワクワクするのだ。

 その他の展示物

にも文化の発展記録のようなもの、実物等見る者を飽きさせない展示群だ。

美 術 館(Art Gallery)

 

 入るといきなりの壁一面の大きな絵画だ。圧倒された。

 

 実は私がHuntington Libraryにどうしても行きたかった理由がある。それはあの人たちに46年ぶりに会いたかったのだ。今生の別れのつもりだ。ちょっと大げさだがそんな気持ちがあったことは否めない。

「The Blue Boy」(1770年)
「Pijnkie」(1794年)

 わたしが会いたかったのは、この「The Blue Boy」と「Pinkie」の二人だ。大きめのポストカードを買って帰った記憶がある。しかも2016年にも新たに購入して自作の食器棚(コーヒーカップ用)に蚊座あるほどだ。
 よく見ると二人とも必ずしも私の好みのタイプではないのだが、何故か惹かれるものがあったのだ。この二つの絵は部屋の両端の真中に飾られていた。お互い見つめあう場所なのだ。私は部屋の真中に立って、片方に目をやりそして後ろを振り返る。するとそこにはもう一人が優雅に立っているというわけだ。ようやく二人に遭えたという感動があった。

これは私が持ち帰った物

Japanese Garden & 七夕祭り

 一人旅の時期が偶然丁度七夕の時期と重なっていた。このHuntington Libraryに来てから気が付いたのだった。1970年に訪れたときに観た日本庭園をもう一度見直したい気持ちがあった。The Blue BoyとPinkieに会いたい位に再訪したい箇所だった。異国の地で初めてみた日本庭園はとても刺激的だった。
 そして2016年にみた日本庭園は、まさしく46年前に観た庭園のままだった。そのことがとても刺激的だった。1970年の感動が戻ってきたからだ。石庭、池、そこにかけられた橋、水辺に生えている植物、見学の人たち。どれをとっても日本的だった。

 このHuntington Library全体が庭園でできていると言っても過言ではない。なかんずく日本庭園はその中の王様だ。自然がそこには厳然として存在していた。歩くだけで心が洗われるのだ。
 そして七夕祭りだ。

それは日本庭園の一角にある東屋のような場所で盛り上がっていた。庭園の中なのに、庭園からは少しだけ小道を入った場所にその東屋はあった。そこには日本人のこどもは勿論、あらゆる人種のこどもたちが楽しげだった。親たちも打ち解けて語り合い、こどものしぐさに微笑み、大笑いをし、にっこりほっこりするのだ。私はいかにも孫を連れてきたおじいちゃんだ。誰一人いぶかしげに見る人はいない。ビデオカメラを向けると、誇らしげにカメラの視界に入ろうとする人もいたほどだ。
 子供たちは東屋の中で歌ったり紙芝居に夢中になったりしていた。

 楽しい時間を一人で過ごし、ちょっとだけ仲間に入れてもらう満足感も味わって、最高の一日を過ごすことが出来たのだ。
 この記事の最初の方にセキュリティーの映像を入れているが、実はあれは帰りに余裕ができて周りを見ているうちに見つけたものだ。気が付いてみると、Allen駅まで多くの家であの小さな看板を見つけていたのだ。「Armed Response」という言葉が私の脳裏に焼き付いて離れない感じだった。ここはアメリカなんだと実感する一コマだった。

 

  2022. 8. 1









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