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おやじの裏側 i (1.SG荘紹介)


オレたちの家族のスペースは、元旅館の大広間の舞台側だ。舞台が含まれているので、一部屋と舞台だ。その間には舞台特有のカーテンが全体にあった。日中は開かれていた。
 
舞台の下にある畳の部屋の広さは、オレがまだ小さかったのでよくわからない。
その部屋の真ん中あたりに粗末はテーブルがある。
 
客が来ると、そのテーブルの廊下側に座る。おやじは客と対面だ。おやじの後ろには衝立がある。その衝立の後ろには家族の布団やがらくたが隠されていた。
 
おやじから見て左側には壁があった。隣とを仕切る壁だ。
 
その壁がすごい。今なら段ボール製かもしれないが、当時は「馬糞紙」製だ。
しかもその馬糞紙製の壁は天井まで続いているわけではない。上の方は筒抜けなのだ。空気は隣とオレの家族の居住空間を自由に行ったり来たりできたのである。
 
⦅ 一応壁の説明をしておこう。「馬糞紙」という言葉を現在は知らない人が多いかもしれない。オレが中学生になるころまでには、「ボール紙」という言葉に変わっていた。同じものを指しているが、こちらの方がよい。馬糞紙などと聞けば、馬糞で作られた紙と勘違いされそうだからだ。おそらく、見た目でそう言っていたのだろう。⦆
 
お隣さんがすごい。毎朝早くからお経を唱えていた。密かにではない。大きな声を出す。
 
ついでに木魚がひっきりなしに「「ポクポク」となり続く。その合間をぬうようにして「チーン」と鉦(かね)が鳴り響く。
 
お経の隣でオレの家族は讃美歌を歌うのだ。家族全員が大きな声で歌うのだ。お隣さんと張り合う気持ちなどさらさらない。もしかしたら小声で歌っているつもりだったかもしれない。
 
お隣さんのおじさんの記憶はあまりないのだが、たまに廊下などで会うと優しく接してくれた。
 
讃美歌がなくても、子供6人の部屋から流れてくる子供の騒ぐ音は、お経のおじさんにとってうるさかっただろう。
 
残念ながらおばさんの記憶がほぼ残っていない。おじさんと二人で歩いているのを見たことはあるが、おばさんの顔などの印象が残っていない。
 
お経のおじさんの居住空間の向う隣は、近くの病院の病室だった。
1,2度何かのはずみで覗いたことがあるが、おやじから覗いたらいけない、と言われていたので、見なかったことにした。
 
それはまさに「病室」そのものだったことだけしか記憶していない。
 
オレたちの部屋とお経のおじさんの部屋を合わせたよりも少し広かったような気がした。入院患者さんが結構いたからだ。
 
この3つの部屋が周りをほぼ廊下で囲まれて、病室の向うにトイレが5つか6つ、ずらりと並んでいた。
 
その向かって左側にある3つのトイレが入院患者用で、右側の2つか3つがオレたち一般居住者用だ。
 
おやじは左側の3つのトイレは使ってはいけない、と厳しくオレたち子供に言い渡していた。
 
オレなんかは何となくそのトイレが怖く感じていた。
 
昼間はまだいい。
 
夜になると暗い。トイレに行くには、道路に面している廊下とは反対側の廊下を通る。暗くて怖い。特に病室の横の廊下を通るときは、ドキドキした。
 
行きついたところにあるトイレは真っ暗だ。手探りで電気のスイッチを探してつける。異様な雰囲気が全身に攻め寄せる。
 
小学校の下学年の時など、身体が委縮した。足が震えた。
 
2階にあるトイレだ。昔の汲み取り式なのだ。昼間覗いてみたことがある。
 
上から真っすぐ下に煙突のように穴が開いていて、その下の方は、ぐちゃぐちゃ何かがうごめいている。
 
学校のトイレもそうだったが、ウジ虫だ。
 
それを見ていたので、夜はそのウジ虫につかまってしまうのではないかと、最悪の想像をしてしまう。
 
そういう時には、思わず足を滑らすようにして、トイレのその煙突状の穴に片足を突っ込んでしまうのだ。
 
下まで落ちたらそれこと大変だ。必死に何かにつかまろうとする。結局突っ込んだ片足は汚れてしまうことになる。履いていたスリッパはウジ虫の餌食になる。
 
廊下を歩いて戻りながら、廊下の暗さが襲ってくる。
 
部屋に戻ったとたんに、大声で泣き出してしまう。周りの住民にとっては大迷惑だ。
 
母が部屋から出てくる。
 
病室の前の廊下の向かいには、2階の居住者のための広い炊事場がある。
 
母がそこに連れて行ってくれる。そこで汚れた寝間着を脱がせて、身体の汚れを洗い落としてくれる。
 
その間中、オレは泣き続けるのだ。大声がダメなことは小さいながらに分かっていたので、いつの間にか肩をゆすりながら小声で泣くのだ。
 
そうこうするうちに、兄弟が横に来て、母がすることを見物する。
 
オレが歩き回る場所は、大変な臭いが充満してしまう。
これが冬なら凍え死んでしまうかもしれない。
トイレに落ちたのは、いつもオレだけのような気がしていた。兄弟で誰かがオレみたいに落ち込んだという話は聞いた覚えがない。


*「おやじの裏側」はシリーズです。一応「おやじの裏の顔」というタイトルで作成したマガジン(無料)に入れておきます。その方が探しやすいと思いました。公開した「おやじの裏側 まえがき」も既にこのマガジンに入れています。

**私の記憶の中には、SG荘の前に小学校に行く前に住んでいた場所があります。まだ紹介には至っていません。きっとそのうち・・・
 
 
 
 
 

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