世界貿易センタービルで何が?
文字数:4081字
(タイトルを変更しました。
このタイトルの前は「戦争は嫌だ! やめてくれ!」でした。)2022.9.117
目撃証言
昨日はアメリカのWorld Trade Center (Twin Tower)に飛行機が2機も立て続けて直撃するという事件が起きた日だ。2001年9月11日。私は忘れない。このツインタワーには数度足を運んでいるからだ。この世界貿易センタービルに初めて上ったのは、妻を連れて行った時だ。1997年? その後も知人を連れて上ったり、一人旅で上ったりしている。
2002年7月には、この惨劇を確認するためにこの衝撃的事件の姿を目に収めるために出かけてきた。この記事はその目撃証言だ。
すでにNew York見聞記で記事として扱ってきたのだが、昨日、急に再度自分の旅を検証し直すことにしたのだ。
昨日は実に「9.11」の21年目ということになる。
その日、私はテレビの画面を見て現実の画像とは思えなかった。思いたくなかった。画面には、私が何度か寄ったことのあるツインタワーの姿があった。4階に上がると、そこにはチケット売り場があった。小さな売り場だった。列もそんなに長いものではなかった。せいぜい10数人。それがいつもの姿。ブロードウェイの劇場の当日券売り場だ。
私はどの劇場のチケットでもよかったのだ。ブロードウェイの劇場ということが優先順位だった。日本で買うといくらするのかは知らないが、ツインタワーでは当日券が半額で買えるのだった。
今にして思えば、チケットの半券を取っておくべきだった。大抵の半券は持って帰っているのに、ブロードウェイのチケットは粗末にしたのかもしれない。半券が小さすぎたせいにでもしておこう。確かにちいさかった。
当日券だからうしろの方とは限らないところが魅力だった。事実、妻と二人で買った時には、「コーラスライン」の前から4列目だったことがいい思い出だ。
知人が遊びに行った時には、日本で前もって購入したチケットは、一番後ろで舞台が良く見えなかったとこぼしていた。
とにかく、思い出深いツインタワーだったのだ。
そのタワーに飛行機がぶつかるなど、誰が考えつくだろうか。TV画面は残酷な様子を情け容赦なく写していた。まるで大河ドラマだ。迫力満点のドラマだった。しかしそれはドラマなんかではなかったのだ。
Day of
『 TERROR』
by Learn About America Foundation
今回、この記事で扱う映像は、この写真集ともいうべき貴重な映像記録を使わせてもらう部分が多い。自分で現地で購入したものだ。特に使用許可はいただいていないが、利益を得ようとしているわけではないので使わせていただくことにした。それほど映像全てが権威に満ちているからだ。人々の心を揺さぶること間違いなしだからだ。
衝撃的だったのは、あのスカイスクレイパー(超高層ビル)に飛行機を命中させたことだ。ツインタワーが倒れたことだ。しかもビルの両方が崩壊したことだ。人がその中で執務していたのに、窓から飛行機が見えた時の驚きは文字通り筆舌に尽くせない恐怖があったはずだ。
ビルの外にいた人たちでさえ、その顔は恐怖に引きつっていたのだ。窓から飛行機が自分めがけて飛んでくるのをどのような気持ちで見ていたのだろうか。身も心も凍り付いたに違いないのだ。
以前の姿
「Sphere」に関する情報は、2002年7月訪問時に私がビデオで撮ったものから得ました。この場所に解説が書かれていたのです。ビデオで良かった~! World Trade Centerに行く度に見ていたこの「Sphere」のタイトルを知ったのは、皮肉にもこの事件があったからでした。
固唾をのむとは、このテレビの生放送を見ている時の私の心境でした。あの4階で買ったチケット、エレベーターを待つ人々の列、上に上るエレベーターのスピード、展望デッキから屋上に上るエスカレーターの長さ、大した策もない屋上の殺風景さ、などなどが脳裏をよぎった。屋上に行けることも知らなかった人も多かったと思う。屋上には数人しかいなかったからだ。
Empire State Buildingは1931年から1973年までNew Yorkで一番高いビルだったが、Twin Towerの建設によってその座を奪われたのだ。ところが皮肉なことに102階建ての世界貿易センタービルの崩壊により、その座に返り咲くことになったのだ。
つい数日前にも被害者が特定されたというニュースが届けられた。それほど特定が困難な作業も続いているのだ。この特定された被害者もMemorialにその名前が刻まれることになるのだろう。
すぐ近くの、いわゆる最寄りの地下鉄駅に行く入口だ。勿論その先はがれきで埋もれることになってしまったのだ。私も利用したことのある駅だ。この場所の隣には、日本のテレビでも何度も放映された伝言スペースが延々と続いていた。その最後の曲がり角を曲がったところで『TERROR』を購入したのだった。
アメリカらしいと言えばその通りだ。「WTC(World Trade Center)見学場所」
「リバティー通りは午前9時から午後9時まで見学できます」
「チケットはいりません」
多くの人たちが(私もその一人だが)この界隈を見学し、心を痛め、悲しみに満たされ、歩く力を時には失った場所なのだ。
Memorialは2002年7月には当然まだ構想段階だ。構想もできていなかったのかもしれない。私は後日再来訪した時にMemorialをしっかりと見てきた。そしてこの長い物体を見た時に、2002年に現場にでんと構えている姿を目撃していた。何とも言えない重苦しい気持ちが心を支配した。
私はこのNew World Trade Centerにはとうとう上らずじまいだ。理由は分からない。すぐ目の前を2,3度通ったのに、素通りしてしまった。上を見上げてはみたが見学しようと思えなかったのだ。Memorialのチケット購入の列に並びながら、青空に映えたこのビルを新しい時代の幕開けであるかのような気がした。
私の中では、あのツインタワーが世界貿易センタービルとして厳然とそびえているのかもしれない。
World Trade Centerを崩壊させた勢力は、他にもアメリカの国防のかなめであるペンタゴンもターゲットにしていたことを知ることになるのだ。『TERROR』の中にはその画像も収録されている。
私はペンタゴンには行ったこともないし、近づいたこともない。1970年に兄とサンディエゴに行った時に寄り道して海軍基地に近づいて、彼が道に迷ってそこから「脱出」するのに苦労したことがあったからだ。緊張した2,30分間だったのである。だだっ広い基地の大きさに驚愕したことが、今も記憶に生々しい。
The Pentagonに体当たりした飛行機には乗員乗客55名がいたそうだ。彼らはどのような最後の時を過ごしたのだろうか。計り知れない。
当時の各新聞の記事(『TERROR』より)
何とか撮り直しましたが、本人としてはまだ不満!技術のなさにあきれるばかり!
完 2022.9.19
この記事は、私のマガジン「エッセイ集」に集録しています。
他のマガジンは「ワクワク ルンルン シリーズ」
「筆者のオリジナル長編物」
「New York見聞記」
「現在執筆中の記事は」
(この中には記事は収録されていません。
連絡帳みたいなものです)
今日はこの辺で・・・
この記事は、私のマガジン「エッセイ集」の中に収めることにしています。
他の収められているエッセイ集には、基本的に画像はほんの2,3枚しか入れていません。でもこのエッセイではたっぷり『TERROR』からの画像を入れています。2022.9.12
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