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40代未婚女性がBLを生きる理由に設定した話(自己紹介または遺書)

 今年も花粉症の症状が出始めた。毎年のことなので特に何とも思っていなかったのだが、微熱が数日続いていることで「コロナかも」という不安がよぎった。結局、花粉症の薬で症状はおさまったので、花粉症だったのだろう。しかし、薬が効いてくるまでの数十分間に、結構リアルに死を意識した。

 40代未婚で独居。優雅なおひとりさまなどとは程遠く、極貧ではないという程度で老後の蓄えなどない。当然、病気や怪我などであっという間に詰む。本来なら、ひとりの老後を真剣に考えたり、終活だってはじめてもおかしくない年齢のはずだが、今のご時世、ましてやこんな状況下でさえも、世の中の動きに多少思うところはあるにせよ、個人レベルでいうと、実はそれほど将来に危機を感じていない。

 当然、手洗いマスクなどの基本的なことは欠かしてはいない。でもそれは他人にうつさないためであり、自分が感染してしまうことを避けられるものではないので、感染すること自体にそれほど恐怖はない。自分にできること(他人に感染させない努力)をただ粛々と続けるのみ。

 結局、コロナの件がなくても、例えば働けなくなって経済的に詰んだら、最悪死ぬだけだ。都合よく楽に死ねるなんて楽観はしていないが、だからといって厭世的に生きているわけでも、自殺願望があるわけでも、人生に疲れているわけでもない。私の人生はここで終わりなんだなと思うだけだ。出来れば長期間苦しんで死ぬのは避けたいところだが、死ぬときは死ぬだろうし、私の人生はそこまで執着するほどのものでもないだろう。

 ただ、今回死を意識したこの数十分の間、これで数日で死ねるのなら、死んでもいいかなと思った。

 自分が周りの人からどう思われているのかは正直よくわからない。40代未婚という属性の話をするなら、親しくもない知人から「気ままなおひとりさまでいいわね」とおそらく嫌味であろうことを言われたり、会社のアルバイトのおばさまから結婚しないのかと問われ、興味がないと答えたら「選り好みしているから結婚できないのよ、妥協すればできるからあきらめないで」と結婚できない女認定され励まされ「あなたにピッタリ」といって彼女の鬱で休職中の甥と見合いをさせられそうになったこともある。

 結婚や恋愛に関していえば、特に結婚するつもりもしないつもりもなく、したくなったら相手を探すだろうし、恋人がほしくなったら自分で行動を起こすことができるタイプなので、特に卑屈になっているわけでも困っているわけでもない。焦るのは探しても見つからなかったときでも遅くはないだろう。別に白馬の王子を待ってはいない。子供のころから誰かに幸せにしてもらおうという考えは皆無だったから。ただ一つ問題があるとすれば、恋愛や結婚などの相手が存在する関係を維持する強さが私にはない。距離が近いとすぐ疲れてしまうし、疲れない距離を保つと、友人と変わらなくなってしまう。単に向いていないのだと思う。恋愛とか結婚に人生の比重を置いていないということを、他人に理解してもらうのは難しい。
 
 結婚して人生が豊かになる人がたくさんいるのは事実だし、子を生み育て命をつないでいくことは素晴らしいことだし、子供嫌いというわけでもない。親と子が安心して成長できる世の中を、社会の一員として作っていきたいとは強く思う。また、結婚という制度をとらなくても人生のパートナーがいるというのは素敵なことだと思うので、(子供を産みたいとかいう願望でも持たない限り)自分がそういう気持ちになったら考えればよいことで、人から勧められたからそうなるというものでもない。と私が思っていることを、幸いにも私の数少ない友人たちは理解してくれていると思う。なのでそれ以外の人間にそれを理解してもらう必要もない。何とでも言ってくれて構わない。

 そう思って生きてきたし、今もそう思っている

 これから、そんな金もない恋人もいない中年女性が、BLを生きる理由に設定した話をしたいと思う。もし、私がこの後すぐに死ぬようなことがあるなら、これは私の遺書となるだろう。私のリアルやネットに存在する数少ない友人たちに、私の言葉が届くかどうかわからないけれど。

 
 私は40歳の時、BLにハマった。

 
 ある日、働いていた会社が潰れた。転職して1年も経っていなかった。

 それまでは、一般平均より多い数の転職を重ねながらも、細々とではあるが好きなことに関わる仕事を続けてきた。自分が思い描いていた姿とはかなり違ったが、それでも、子供の頃から好きだったことを仕事にしているという満足感もあった。これが最後の転職になればいいなと漠然と思って入った会社だった。居心地は悪くなかったし仕事は順調だった。しかし、突如会社が傾いた。業績良好だったはずの親会社の多角経営、投資の失敗が原因だった。給料未払、社長が行方不明になり、督促の電話が社内に鳴り響く中、自分と同僚数名分の失業保険の書類をネットを参考に見様見真似で作成し職安へ駆け込み、逃げるように会社を辞めた。30代最後の冬だった。

 その後すぐ、東京を離れた。あれほど好きだった仕事にも興味がなくなり、全てが面倒になり、とにかく一人になりたかった。自分のことを誰も知らない土地に行きたかった。
 その後約1年を、とある地方都市で過ごした。適当に週2くらいのバイトをしながら自由気ままに過ごした。ストレスから開放されたからか、10年以上も悩まされていためまいや重度の生理不順、顎関節症、不眠が嘘のように治り超健康体になった。しかし、そんな生活も1年が限界で、フラフラと無計画に遊び歩いていたため蓄えも底をつきかけたので真剣に仕事のことを考えたとき、やはりそこでは無理だと悟り東京へ戻ってきた。

 戻ってはみたものの、転職回数が多く、ブランクありの未婚中年女性の就職活動が簡単なわけもなく、フリーターとほぼ変わりない生活が始まった。そんなとき、編プロを経営していた友人が以前「今はBLを書けるならいくらでも仕事がある」と言っていたのを思い出した。
  
 とにかく仕事が欲しかった。以前、ライターや編集のまねごとをしていた時期もあったので、BLを自分で書けないものなのだろうかと思い、BLが何のことかもよくわからず、漫画やアニメなどにまったく詳しくないにもかかわらず、初めて書店のBLコーナーに足を踏み入れた。

 北千住ルミネのブックファーストだった。事前に過去の人気BLランキングをネットで調べ、その中から初心者向けと思われる作品をいくつかピックアップしBLコーナーへ向かったのだが、お目当ての作品はことごとく在庫なし。そこで、お目当てではなかったものの、ランキング作品で唯一在庫ありだった『窮鼠はチーズの夢を見る』『俎上の鯉は2度跳ねる』を買い、千駄木のサンマルクで読み始めた。窮鼠~を一気に読んで「結構重めでおもしろかったな」と思い、そのまま俎上~を読み進めた。

 結果、読後1時間くらい、椅子から立ち上がることができなかった。

 正直、思っていたのと全然違った。何ていうものを読んでしまったんだと、死ぬほど後悔した。なんだか、自分の中の汚物を引きずり出されて顔に浴びせかけられているような不快感がしばらく続いた。この年になってどうして、仕事のために読んだ本でこんな思いをしなければならないのだろうかと思った。そして、私にBLを書くのは絶対に無理だと悟った。
 その後しばらくは引きずった。ショッキングなノンフィクションでも、哀しい犯罪者の話でも、人が死ぬような話でもないのに、こんなに引きずったのは生れてはじめてだった。

 自分にBLは書けないとわかったので、しばらくBLのことは忘れようと思った。しかしその後数週間経ち、俎上ショックが落ち着き冷静になると、あの本をどう読むのが正解だったのかに興味がわき、ネットで書評や感想を読み漁るようになっていた。すると、水城せとなという作家の特殊性や、初心者向けの作品ではなかったということがわかった。
 
 このままで終わりたくない、BLなんかに負けたくない!なぜかここで負けん気がわいてきて、軽めに読めてポップなものから読むという作戦でBLにリベンジを開始した。リベンジは順調に進んだ。最初に読んだものに比べたら、多少シリアスだろうが大したことはなかった。なので、少しナメていたのかもしれない。そんな中、調子に乗って書店でジャケ買いした1冊が『新宿ラッキーホール』だった。

 結論から言うと、その1冊で私は覚醒した。BLの沼に落ちたのだ。

 BLを読んで初めて面白いと素直に思い、ものすごいものを読んだのだと確信し興奮した。決して大げさでなく、生きていてよかった、これを知らずに死ななくてよかったと心底思った。そこからが早かった。地雷などという概念もないまま、様々なジャンルのBLを漫画小説問わず読み漁った。タガが外れるとはこういう事を言うのだろうと実感した。読み漁るうち、自分の好きな作品の傾向がわかってきて、作家買いやジャンル買いも出来るようになった。大当たりの作品もあれば、時間を返せと言いたくなるようなものにも多数遭遇した。そういう当たり外れもまた楽しみのひとつだった。

 人生そのものを大きく変えるためには、好きなものにフォーカスするのが近道だと私は思う。BLにハマり、BLにまみれて生活をするために何をしなければならないかと考え始めた途端、仕事(就職先)と住む場所(それまでは居候だった)があっという間に決まった。タイミングとか縁ももちろんあったのだろうが、好きなもののために動く際の突破力や引き寄せ力のなせるわざだったと私は思ってる。

 SNSだってそうだ。アカウント自体を持ってはいたものの、私にとってSNSとは見るだけのものだった。しかし、リアルの友人にBL語りができない(共感してくれそうな人がいない)ので、溢れる思いをツイッターに綴ったら、気づくと得難い友人ができていた。

 そんなこんなでBL中心の生活をはじめてしばらくすると、自分の中のBL熱が落ち着いてきた。片っ端から読み漁る時期を過ぎ、好きなジャンルや作家を自覚すると、次に好きになりそうなジャンルや作家の候補がわかってくる。逆に、好みでないジャンルの傾向もわかってくる。BLという大海原に地図もなくひたすら燃料だけを燃やし続けることだけで沖へ出てきた状態から、漠然とした方角と選択できるいくつかの航路が見え、穏やかな航海が始まった。

 私にとって特別なことだったBLの摂取というものが日常になってしまった。

 
 今回の騒動で死を意識した結果、今、私の人生は、わずかなBLという燃料でかろうじて動いているのだと思い知らせれてしまった。

 繰り返すが、私は死にたいわけではないし、人生に絶望もしていない。BLに出会う前だって、意味なんかなくても楽しく生きていた。人生に理由なんてなくても、人間は生きていていいのだと思う。理由がないからといって、自分の人生を蔑ろにしてきたつもりはないし、愚かながらも愛すべき人生だったと思う。中2みたいなことを言わせてもらえば、人生なんて死ぬまでのモラトリアムでしかない。
 
 話は変わるが自分にとって特別な作品というものがいくつかある。ひとつは私の心をぶち壊した『俎上の鯉は二度跳ねる』、私をBL沼に叩き落とし、私の人生を変えた『新宿ラッキーホール』、私の性癖のすべて『ポルノグラファー』『インディゴの気分』、そして主人公と勝手にしシンクロしすぎて辛すぎる『囀る鳥は羽ばたかない』。囀る以外はすべて完結している。

 今回のコロナ騒動で、この先の自分の人生で叶えたいこと、自分が生きたいと思う理由を考えてみた。その結果、最終的に残ったのはただひとつ「囀るの最終回だけは見届けたいよね」だった。

 当然、たくさんの大切なもの、やり残したことはあった。家族や友人と会いたい、感謝を伝えたい、友人の子の成長を見届けたい、大型犬を飼ってみたい、現在進行中の割と大きめの仕事のこと、オーロラを見たい、行きたかったアーティストのライブ、読みたかった小説、見たかった映画、未だ見ぬBLの名作への期待etc…
残念ながらそれらはすべて、『生き延びてどうしても叶えたいこと(=生きたい理由)』ではなかったのだ。自分でも驚くことに「叶わなくても仕方ない」の範疇に収まってしまったのだ。

 「自分にとって大切なもの」と「自分が生きたいと思う理由」が完全一致しないのだと自覚したことは、大きな衝撃だった。冷静に考えればこの2つが一致しないことなどよくあるのかもしれないが、この結論には驚いた。どう考えても自分にとって大切なものの最上位はBLの最終回ではなかったから。

 「ある程度の年齢になると、人は自分のためだけには頑張れなくなる」と、どこかで誰かが言っていた。自分も当然そうなっていくものなのだろうと思っていたが、現段階においてどうやら私は、誰かのためや世の中のためでもなく、自分のエゴ(BLの最終回が読みたい)のためだけに生きたいと思っているらしい。

 一番大切なもののために生きるというのは、ひょっとして自分にとっては結構ハードルが高いのかもしれないと思った。

 さて、これからどう生きていこうか。

 花粉症だけではなかなか死なないらしい。ざっくりと人生の棚卸しをしてはみたものの、とりたてて不幸でも珍しい人生でもでもない。大きな病気や怪我もなくこれからも人生が続いていくと仮定して、平均寿命まであと約40年。人や物に執着し続けられる根性もないし、何も考えずにただ心臓が鼓動するまま生き、やがて衰えて死を待つにはあまりにも長い。だからといって大きな目標をたてて、人生の後半で達成できず虚しさを抱えるのは嫌だ。

 だから、ちょうどいいのかもしれない。好きな漫画の最終回を待つ時間。それが積み重なって気がつけば40年。なかなか理想的ではないだろうか。

 とりあえずその手始めとして、私は設定したいと思う。

 『囀る鳥は羽ばたかない』の最終回を見届ける。

 それが今の私が生きる理由です。

P.S. もしも私の友人がこれを読んでいたらお願いがあります。
もし私が囀るが完結する前に死んだら、最終巻を西の窓際に置いて寝てください。運良く幽霊になれたら、こっそり夜中に読みに行きますので。

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