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クマとの距離、2m【無線のない時代にマタギはどうやってクマをとったか】

連載シリーズ「無線のない時代にマタギはどうやってクマをとったか」(全4話)

いまはマタギもスマホを使う時代だ。しかし、山中ではスマホは使えないので、「無線機」を使う。だが、かつて「無線のない時代」もあった。そのころ、東北のマタギたちはどのように山を歩き回り、集団で意思疎通してクマを捕らえていたのだろうか。マタギ界のオピニオンリーダーに聞く。(編集部 森山)

語り手:斎藤重美さん
山形県小国町猟友会の副会長。
10代でマタギになり、現在まで約100頭のクマを仕留めてきた。

連載:無線のない時代にマタギはどうやってクマをとったか
第1話 クマとの距離、2メートル(当記事)
第2話 なぜ山言葉があるのか
第3話 マタギの頭の中の“図面”
第4話 変えてはいけない掟

第1話 クマとの距離、2メートル

— 若い頃の熊狩りはどのようなものだったか?

無線機のない時代だったな。あのころは、時計を使った。山の下で時計の針を合わせて、「今から二時間以内にそれぞれ持ち場につけ」って。時間になれば始まるから。始まれば、実戦。
今じゃ考えられないほど接近戦だったな。当時の「村田銃」は一発ずつだからよ、昔の人は必ず一発で仕留めた。できるだけクマに接近してよ。おれが今まで近かったのは、2メートルくらいだ。

— 命の危険は感じなかったか?

そういうのはなかったね。
その時はクマが2つ向かってきたわけよ。まず、最初きたやつを撃ったば転けたべ。仕留めたと思って後ろから2頭目を待ってるわけよ。ところが、こねぇわけよ。困ったなと。
で、最初に撃ったやつを見たら、いねぇんだそこに……。どこ行ったんだ、おかしいなと。

そしたら、目の前にいるわけよ!!!

— どういうことですか!?

おそらく、わざと見えねぇとこ通って、おれのとこまで上がってきたんだべ。

— それでクマに襲われた?

んだ。最初よ、バッとクマの手で脚をつかまれたのよ。それでガバッと噛まれた。
こっちは鉄砲さなんとか引き金引いて応じるわけよ。

でも、ドン!と言わない。

— え?

弾がでねぇわけよ、こういう時に限って(笑)。

— どうして?

村田銃は不発があるんだ。
自分で詰めた弾を使うから、詰め方が悪いと大事な火薬に火がつかねぇんだ。

現在はライフル。不発の心配もなくなった。

— そんなことって……。

しょうないから、クマの頭を鉄砲でたたいた。だども、ポッコン!ポッコン!って音するだけで木魚と同じよ。こりゃダメだと。

— かなりヤバい状況。

左脚はやられた。でも反対脚はあいてた。だからクマの顔面を蹴ってやった。んだけどクマも簡単には離れねぇ。一回ですぐにまくれねぇからよ。で、2、3回蹴ったらまくれた。

— おお!

そのあと仲間がすぐ場所さ駆けつけて、とどめ撃ってくれた。
100キロはあったべな。

— 結局、重美さんは大丈夫だったか?

おお、大丈夫だ。今まだこうやって生きてっからな。

第2話「なぜ山言葉があるのか」につづく

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