ぼくと祈りの物語
モーリョーは野球が好きだ。
だから当たり前のように大谷翔平が好きだ。
モーリョーの世界は嫌いであふれていた。
自分を嫌いな女性社員。
配信をしたら「ここが嫌い」というリスナー。
川崎市内にあふれる理由のない暴力も嫌いだ。
だからこそ野球を見ているときだけは視界が、心が輝いた。
「WBC決勝。最後は大谷対トラウト。すごかったなあ。野球の神様というのはいるのだなあ」
彼は思うがままに語る。周りに疎まれても。周りがそれを忘れても。何回も。何回も。
いいのだ。人は幸福のため生きる。いいのだ。WBC決勝。冷ややかな目を浴びる。しかしいいのだ。その度に彼の心に光が照らされ色がつくのだから。
『大谷、今季絶望』
そのニュースが飛び込んできたとき、彼は還暦手前の成熟した大人であるにも関わらず人前で泣いた。
「大谷が、大谷が」と声を上げて泣き続けた。
出来ることは祈ることだけであった。
仕事をやめ、配信をやめ……
あ、配信というのはモー点という大喜利配信で直近のアーカイブはこれ。
あとリンク貼るときはいつも貼ってる飛良ひかり
で。
モーリョーは残る人生のすべてを費やし、大谷のために祈る。高さ40mの燃料を熱源とした巨大な焚き火の前、その熱が身に及ぶほどの至近距離に座り
「ウワアアア!!!オオタニイイイイイイ!!!」
と叫び続ける。
土を食み、気を失うように眠り、覚醒次第炎に向かい大谷の快癒を祈り叫ぶ。そのような日々が続いた。
音信不通となったモーリョーを案じたものがいた。名をスパルタ。前述の配信の共演者である。
日頃は東南アジアに逗留し、「食えるもの」「食っちゃだめなもの」を仕分ける仕事をしているが、盆を利用し帰国したところモーリョーと連絡が取れない。
さらにそれと同時期に現れたという燃え盛る塔のようなものは関係があると思い、その下へ向かった。
近づく度確信に近づく。平時よりしわがれてはいるが聞き覚えのある声がどんどん近づいてくるのだ。
「オオタニイイサアアアンイイイイ!!ムウウンショオオオ!!!!!アッチイイイイ」
ああ。声は間違いない。ないのだが。
彼の体は焚き火の煤によるものか、彼自体の老廃物によるものかわからぬほど真っ黒になっていた。
しかし炎越しにも爛々と輝く目には光が宿り、スパルタはその目の中に数々の野球の名場面が見えたという。
スパルタが声をかけようとしたその時であった。
天空に上る炎をスロープのようにして何かが降りてくる。スパルタはそれに神性を見た。
たちまちのうちモーリョーの胸がバカリと裂け、そこから心臓が現れた。
何かが手をかざすと心臓は一本の紐のようになり、何かと共に天へ消えた。炎も消え、残るはモーリョーの亡骸のみであった。
「あんまりだ。あんまりだが、彼にはそれで良かったのだろう」
スパルタはそういうと哀れな亡骸を京急川崎の駅前に埋めることとした。
穴を半分程度堀り、一休みとスマホを開く。
『大谷、奇跡の復帰』
手術を控えていた状態にも関わらず、突如大谷の靭帯が健常となった。奇跡のベースボーラーは奇跡の自然治癒も起こすのか?それとも八百万の神の国からとある神が祝福を授けたのかも。
海外特有のウィットに富んだ内容に見受けるが、スパルタはたしかに見たのだ。神を。祈るモーリョーの心臓が一本の紐になる奇跡を。
「テスカトリポカ」
川崎はかつてアステカ帝国であったが、果てる前のモーリョーの姿、心臓を供物としたモーリョーの姿からスパルタは独り言ちた。
後に検査のため医師が確認した靭帯はまるで赤子のもののよう真新しくありながら、それでいて力強いものであったという。
足元に転がる亡骸は哀れな老人のものに違いはない。しかし、彼の残された誇りが、祈りが、輝きが神の眼鏡に適ったのだろう、とスパルタはただ願った。
スパルタはこのような顛末を配信の共演者に伝えた。
「到底信じられるものではない。しかし…」
閉口する者たちの中、
「じゃあ」
鳥乙が口を開く。
「転生したら腱(けん)だった件(けん)、てこと?(笑)」
鳥乙はバカだな。
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