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心臓を刹那に揺らすもの

美しいという言葉を使う機会が、全くなかった。綺麗だなぁとは思うけど、美しいってイマイチ分からなかった。

米津玄師を語る上で、古参ファンがどーのこーの言われる。いつから知ってるって言うのが、マウントだって言われる。でも、それはステータスなんかじゃないし、マウントでもない。

ボカロ時代から追いかけている人は、新曲が投稿されて、世の中にリリースされる時間を生きていた。どういう世の中で、どういうタイミングで、何の曲の次に出てきたのかを知ってる。その空気を感じてきた。それは、アイネクライネから来た人とも、Lemonから来た人とも、通じることはない。

ボカロ時代だって、どの曲から入って、通知を追いかけたのかランキングを追いかけたのか、歌ってみたを追いかけたのかでも違うと思う。ツイキャスを追いかけたのかとか、花束と水葬を抱いて寝たのかとか。ザッハトルテを見守ったのかとか、ブログを追いかけたのかとか。

いつから知ってるから偉いじゃないの。ただ、どれくらい近い空気感を共有できるのかなっていう指標になってると思う。

露出が増えた分、米津玄師の言葉を目にするだけじゃなく、聞くようになった。私はあまり、ツイキャスやインスタライブを追いかけない追いかけ方をしている。そんな追いかけ方で聞くようになった言葉が「美しい」。

美しい音楽を目指す彼から生まれてきたものを、美しいと思うようになった。音も言葉も、本当に美しいと思う。教祖の言葉を信じるような宗教的かもしれないけど、そう思う機会が増えた。

歌詞も音も、本当に美しい。時系列で追いかけてきたからこそ、なんか分かる。今までの綺麗ともちょっと違って、美しいってこういうことなんだなが、ちょっとずつ。感覚でくる。明らかに美しいと感じさせられる機会が増えた。

彼の歌詞から言葉を借りるなら。タイトルに持ってきた『心臓を刹那に揺らすもの』。私にとって、美しいは心臓を刹那に揺らすもの。

感電のこのフレーズを聴いたときに、ストンと落ちた。文学を読んでこなかった私にも、すごく分かる言葉だった。文学脳の狭いからこそ、ストンとしたかもしれない。

これからリリースされるPale Blue。私にとっては、すでに美しい曲。久しぶりにカラフルな彼の女の子の絵も拝めた。とても、楽しみ。

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