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偏食っ子だったころの話

我が家の長男、現在4歳目前のパワフル年少。
どれだけ元気に遊んでもどれだけおやつを抜いても頑なに食べれるものが決まっている偏食児。

しかも感覚過敏(ちょっと良くなってきたけど)で、嫌いなものが入ってるだけで癇癪が大暴発するので毎食が憂鬱…




偏食児を持つ親御さんはみな『なんでこの子こんなに食べないのー?!』と思い悩んでいるはず…
と、顔も知らぬ仲間に思いを馳せながら毎日献立に苦心する日々です。


食べない理由が欲しい。何なら食べるの。おやつ無くしても食べない。運動させても食べない。辛い。私が悪いのかな。栄養大丈夫かな。

モヤモヤモヤ…


そんなお母さんお父さんの気持ちに、お菓子で育った元偏食児が答えます!

まず!あれこれ苦心されてきたお母さん、お父さん…今まですみません!そしてこれからもごめんなさい!

これだけは言えます、

偏食はお母さんお父さんのせいではありません!本当に一切関係ありません!


これはあくまで一幼児としての気持ちを一大人になってから解釈したもので、環境や成長度合いでもかなり変わると思うのですが、
あとで詳しく書きますが、とにかく本当に大きくなってから食事の存在を気づいた。ってレベルで何も考えてなかった。本当、マジで。


私と同じような偏食児の食事にお悩みの親御さんの一助になれば、と思います。


食べ"なければならない"もの

我が家は父方祖父母と同居の典型的な拡大家族。
母は元看護師、父はバリバリの営業マン(もちろん家事育児は何もせず…)祖父母は元教師という、いかにも頭でっかちな家庭。

三姉妹の末っ子だったので、とにかく甘やかしてもらっている自覚は幼いころからありました。


母親は結婚までは看護師で激務だったため料理を学ぶことも無く、結婚の挨拶のときに父は祖父から『たまごも焼けない娘ですが良いですか?』と聞かれるほど料理は苦手だったそう。

ただ、同居の祖母も料理が苦手で、料理に口煩くは無く(小言はあったそうだけど…)ほとんど家事をしない人で、昔では珍しいであろう商店街のお惣菜がたびたび食卓に並んでいた家庭でした。
ただ、母が看護師で栄養の知識も多少あったので献立や品目のバランスは良かったなと今でも思います。

さて、そんな家庭で爆誕した三姉妹のワガママ末っ子の私はというと…



好きな食べ物はチョコ!ガム!ポテチ!唐揚げ!麺!という、ザ・偏食児。
(ちなみにガムはちょっともぐもぐしたら飲み込んでいました…恐ろしい…


あと食べれる物といえば卵豆腐・卵かけご飯・とろろ・なめたけ・ワカメ・果物・春雨・こんにゃく…
野菜はもちろん、お肉や魚も基本はダメ、毎日のお米も本当に憂鬱でした。





もちろん偏っている自覚はナシ。あんたはお菓子ばっかり食べて!と怒られていた記憶はあるけど、結局大人から買い与えて貰ってたので状況判断で食べていけないとは思ってなかったような気がする。(買わないと泣いたんだろうから、大人が悪いわけではない)


苦手な食べ物は海苔巻き。
べちゃっとして口に入れるとネバネバする白米は苦痛で、母はお腹空かせるといけないと思ってか、とにかくお米だけはと必死に一口大の海苔巻きを毎日毎日隣で作ってくれていたので、がんばんなきゃな〜と思って食べていた。
とにかく母の熱意でなんとかしぶしぶ食べていた、という感じですね。


ごはんが楽しみという感覚は全く無くて、食べもの=食べ"なければならない"もの、で、今の食いしん坊な私からは考えられないほど、食事は苦痛なルーティンでした。


ごはんのときに考えていたこと

とにかく食べなければいけないものを毎日3回食べる。意外としんどかった。なので

ただ食べただけでも褒めて欲しかったw


いや、何を勝手なことを言ってる…と思いますよね。私もそう思います←

好き嫌いは先述のとおりですが、美味しいから好きとか、味が悪いから嫌いとか、そんな理論的なものではなかった。


雰囲気とか気分とか疲れとかで、気持ちいいものを食べていただけ

という感じ。


だから単純なお菓子のほうがよく食べたし、野菜もちょっと食べる瞬間も少しはあった(らしい)。

味覚以前に味を意識して食べるという行為を理解していなかったので、反射・反応でもっと食べたいと思うか思わないかで判断していた。


いや、判断すらしていなかった。


だから親や園が何をしても、劇的に食べるなんてことはしなかった。
だって頭使って食べてなかったもの。
反射だったんだもの。

でも親のことは絶対的に信頼してたからそれが出来てたんだと思ってます。
だから、出されて入れられたものは食べなきゃいけないんだろうな〜とは、わかってた。

あと、考えて食べてはいなかったけど、好きな食べ物を出してくれたり、苦手なものも食べやすい味や形にして出してくれたのは嬉しかったし、頑張ってみようかな…なんて思う時もあった。(思うだけのときもある)

逆に苦手な食べ物を嫌いな状態で出されて『なんで食べないの』『ほら美味しいよ?』と言われても、きらいだからだよ?って無垢なき眼で答えてました。
何度も言うけど、

何も考えてないから。

なんでって聞かれても答えれないし、美味しいよと言われても、私は美味しいと思わないよ?と。


暖簾に腕押し

こんな食事が何年も続いていたし、上に2人も居て同居なのにワンオペで多忙な母には、入園のころにはいい感じに諦めて貰えました。


きっかけは"雰囲気"と"プレッシャー"

ひたすらみんなと同じものを出し続ける。
身体に必要であることは伝えて続ける。
食べれないものはいじらずに母のお皿に投げ込む。
食べないことについてチクリと指摘されてもガツンと叱られることはなかった。


幼稚園は当時は冷たいお弁当でめちゃくちゃ不味かったので良い記憶はないです。

小学校の給食は食べれましたね!なんでだろ!わかんない!www
まぁお昼にはお腹ペコペコだったし、先生怖い人だったし、あと学校の給食室で調理してたから温かかったし、いい匂いで空腹がピークだったな。

それでも給食も食べれないものは結構あって、当時は無理矢理食べさせる方針が主流だったしで、それなりに苦労はしました。
ベビーチーズやロールパンを誰にもバレずにかばんに入れる技術はかなり磨かれましたね。
(よくチーズは給食袋と一緒に洗濯して叱られた…


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そんな食事を続けていた、小学四年生の夏。

遠方に住む曽祖母に初めて会いに、3泊4日の大旅行へ行くことに。


曽祖母の家は、会津。
昔から大好きだった『となりのトトロ』の世界観にとてもよく似た、優しい田舎という感じ。

どれもこれも物語の中のような夢の世界で、メイちゃんになりきって田んぼ道や草むらを歩き回った。
絶対トトロに会えるって思ったし、夜中はドングリの木がめっちゃ大きくなると思って窓の外何回も眺めてた。とにかく最高だった。


朝、なんか外が盛り上がってるなと思いつつ1人で外に出ると、タライいっぱいの井戸水に冷やされた大きいトマトときゅうりを眺めるハトコのお兄ちゃんとそのお母さん。

『めっちゃトトロやん。』

これで洗ってるんだ〜へ〜
って見てたら、ハトコのお母さんがハイどうぞ!ってきゅうりこっちに向けてニッコリ笑うの。
















これ断れないやつwwww

おかあさん!?どこ?!たすけて!この子やさい食べないのよって言って!おかあさあああんッ?!!?


無理だった。逃げられなかった。
もうおばさんから差し出されたきゅうりが刃物のように見えたね。

マヨネーズも何もつけないの?と聞いたら笑われた。
やばいやばい!
『それなら塩つけてみる?』って言われて、塩?!塩て頼りないな!味にもならんだろ!でも無いよりマシ?!とととりあえずそれで!ってパニック。

もう周りの優しいプレッシャーに押し負けた私。本当あの時はやけくそで、キンキンに冷えたうっすーーーくお気持ち程度に塩のかかった生のきゅうりを



パリッッッ!!!




ん?

これ、めっちゃ美味しいやん?
ていうか私、今すごいメイちゃんじゃない?
ていうか美味しくない?!
すっごいメイちゃん!

と、
謎のハイ状態になり、ハトコのお母さん大喜び。
後から来た母も姉たちもビックリ。

結局、ハトコたちと朝顔眺めながらポリポリ1本平らげて、トマトも縁側に座ってむしゃむしゃと丸かじり。
食べている雰囲気とメイちゃんになりきった私に酔いしれて、いとも簡単に良いイメージが完成。

意外と食べれるもんだなぁ、と分かってからは、
出された野菜も一口は食べれるようになったのだった。


あの出来事は強烈で未だに鮮明に思い出せる。
めっちゃ衝撃的だったわ…
(今ではお祭りの屋台で冷やしきゅうり見かけたら必ず食べてます)


偏食っ子に悩むお父さんお母さんへ

これはあくまで私の一体験談ですし、これで解決ではなく、このあと極端なダイエットや暴飲暴食やらを経てようやく食事の大切さに気づいてゆきます。(ちなみにちゃんと正しい食目覚めるのはここから12年後のこと…)

栄養士になっても偏食児の思考は残っているし、やっぱりお菓子も麺も好き。でも好きなもの一生食べて元気に暮らしたいからバランスは気をつけるつもりで私は生活してます。


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子供にとって、食事は本当に生きること。
トイレに行くこと、寝ること、食べること。

大人の言う『食べることは生きること』というものではなく、漠然と、本能的に食べている。

そこに反射的な美味しさとか、楽しさはあるけれど、意義や栄養健康への価値を見出すまではまたまだできない。

それでも、

苦手なものを懲りずに出してくれたこと、
苦手なんだねと一旦受け止めてくれたこと、
本当は食べるとカラダに良いんだよということ、たまに叱ったり言い聞かせてくれたこと、

これらは絶対的に信頼されている親御さんにしかできないことじゃないかなと思うし、私はこれをひたすら続けてくれた母には感謝しています。(父はなんもせんかったからゴニョゴニョ


苦しんでいるお父さんお母さん。

子供のご飯に悩んで試行錯誤している時点でもう食育100点満点です、絶対に。

(食育って言葉は好きじゃないけどね)

私ら偏食児はこれからも長い長い年月かけて覚えていきます。
果てしないです。めちゃくちゃ。
でも、どんな勉強や習い事よりも子供の糧に確実になるものです。


残されて、食べなくて、イライラしちゃってもそれは仕方ない。あるある。すいません。

"大人が栄養の知識と献立調理の技を持って、それぞれの家の答えを導きだして、子供となるべくストレスなく過ごせるようにする"
これに尽きると思います。


手作りだ惣菜だ、手間暇だ手抜きだ、
外野は黙っててね。

『よそはよそ、うちはうち』

って、アンタのとーちゃんかーちゃん教えてくれなかったんか?って言ってやりましょうね。





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