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小さな変化から、大きなうねりへ【カラモジャ日記 24-09-02】

 少なくとも週2回フィールドに出て、住民たちと交流すること。

 それは僕がプロジェクトを始めた時に、自分自身に課した原点的ルールだった。しかしこの1ヶ月ほど、南の海で突如発生する迷惑な台風のように、空気を読まず降りかかってくる膨大な業務のおかげで、僕はあまりフィールドに出ることができていなかった。 

 それが重要であることはいうまでもない。フィールドに出て住民の発する言葉に耳を傾け、共に汗を流し、農場の雰囲気・作物の状態を観察すれば、プロジェクトの現在地が自ずと見えてくる。
 僕は先週、久々に数日間かけてじっくりとフィールドを味わうことができた。いくらかの住民たちとは、時間をかけて話もした。そして直後にわきあがってきたこの断片的な小さな出来事を「記録しなければならない」という衝動的感情のようなものだった。 

 僕たちが支援対象としている住民たちは決して満ち足りた生活をしているわけではない。一日一食の食事にありつけるかどうかという、命と暮らしの危機の中にある人がたくさんいる。
 それでも彼ら彼女らの生きるエネルギーは、いつだって僕の心を惹きつけて離さない。

 そんな彼ら彼女らが分けてくれたエネルギッシュな生の一端をここに記録する。

* * *

「英語を教えてほしい」とサラは昔、僕に対して言った。
「学校に行ったことはある?」と僕は尋ねた。
「小学校2年生まで。それから学費が払えず退学した」
「どうして英語を学びたい?」
「英語を理解できたら、誰かに搾取されたりしない」

 僕たちのプロジェクトでは共同農場での灌漑農業を支援することにより、飢えに苦しむ住民が自給食料を確保し、余剰作物を販売して現金収入を得ることを目的としている。
 作物の生産・管理といったフィジカルな活動は比較的問題なくクリアーしてきたものの、大きな障壁として僕らの前に立ちはだかったのが販売による収入の記録管理だった。
 支援対象者の多くは学校に通ったことがなく、読み書きができる人はほんの一握り。それによって販売など、グループの活動記録管理がうまくできていなかった。もちろん僕たちのスタッフが手伝うことはできるけれど、理想は住民だけでできるようになることだ。
 そこで僕たちは春頃から、彼らが簡単な英語の読み書き・計算能力習得を目指した基礎教育の授業を始めた。週に1回、学びたい人だけが参加する。
 僕はいつも、そこに鉛筆を握るサラの姿を見ていた。そして土埃をかぶった彼女の小さなノートの中には、鏡文字になったアルファベットのSが並んでいた。
「それはSじゃない。ハンガーフックだ」と僕は言った。
「練習中だから仕方ない」とサラはため息混じりに言った。それから不満そうに、鏡文字になったSたちを、一つずつ消しゴムで擦った。

村の中で行われる基礎教育

 先週、僕は久々にグループの貯蓄ミーティングの参加した。そこで驚いたのが、数ヶ月前はスタッフが手伝っていた貯蓄の記帳や現金管理をグループメンバーが主体的に行っていることだった。
「彼らが全部自分たちでやるのか?」と僕はブライアン(スタッフ)に尋ねた。
「もちろん。彼らにはもうそのスキルがある」とブライアンは言った。「あれを見るんだ。彼女はとても習得が早い」
 彼の視線の先には、ペンを握りノートブックに貯蓄を記帳するサラの姿があった。僕はあまりの嬉しさに、ほとんど無意識に彼女の元に近寄って声をかけた。
「もうできてるじゃないか。すごいことだ!」
 そう言って僕が親指を立てると、彼女は白い歯を見せて微笑んだ。その日みた彼女の誇らしげな顔が、今も僕の脳裏にしっかりと染み付いている。

 貯蓄ミーティングが終わった。サラがノートを閉じると、彼女が自ら書いたであろう大きな"S"arahという名前の文字が、堂々とその表紙を飾っていた。

小さなノートブックに貯蓄記録を書き込むサラ

* * *

 村を訪問するといつも感じることがある。
 まず、プロジェクトを通してできることには限界があるということ。その事実は、失恋した週末の雨みたいに、僕をひどく落ち込ませる。
 しかしそれと同時に僕は、困難な中でも生きることを諦めない人々がたくさんいること知る。そして彼ら彼女の姿に勇気づけられ、ともに前を向いていきたいと思う。

 アドメは3人の幼い子どもと母親の5人で、一つの小さな家に暮らしている。スタッフから彼女の生活状況が芳しくないと聞き、僕らは彼女の家を尋ねることにした。
 僕らはできる限り、一人ひとりの支援対象者に寄り添いたいと思っている。だから困難を抱える人がいたら、家まで状況を聞きに行くのはそれほど珍しいことではない。

「問題はただ、食料が確保できないだけ」とアドメは言った。
「家族の畑は?」と僕は尋ねた。
 カラモジャは乾燥地帯に属していて、基本的に年間一期作しかできない。そしてちょうど8-9月は収穫期にあたる。
「畑はある。広い土地だよ。でも牛を持っていないから、全部を耕すことができなかったの。だから家族の労働力で耕作可能な、小さい範囲でしか農業ができていない。それにお金がないから、十分な種子を買うこともできなかった」
 アドメの課題は皆んなの課題だ。広大で肥沃な土地がある。でも生産活動に必要な投入ができない。種子すら買うお金がない。それによって飢えが深刻な問題であり続ける。
 プロジェクトにできることは限られている。でも全くないわけではない。

 僕らの共同農場では「あえて在来種の穀物を生産し、その種を保存することにより、毎年種を購入しなくても農業ができるようにする。そして種子にアクセスできない住民がその恩恵を受けられる」という状態を目指している。
 プロジェクトの活動と、村での生活、生業が連動していくことでコミュニティへの波及と自立・自治の進展が大きなゴールとなる。

「共同農場で今一緒に頑張れば、たくさんのトウモロコシの種が確保できるはず。そうすれば来年からは種を買わなくても農業ができる。だから諦めずに一緒に頑張ろう」と僕は言った。
「わかってる」とアドメは言った。
「アドメは働き者だから大丈夫。彼女が病気の時は私が働く」とアドメの母が言った。
「明日は農場に来る日だよね?」
「そうだよ」

 翌日、アドメはグループと共に、種子を生産するための穀物畑を耕していた。アドメの生活は厳しいけれど、彼女は前を向いている。僕らも一緒に、前を向いていく。

種子生産用の穀物畑を耕す女性たち

* * *

 僕たちが共同農場で野菜栽培の研修を始めたのは、昨年の8月ごろ。パウラとマルティナはその当時から、農場で学んだ技術を現在進行形で活用しながら、家庭菜園を始めていた。
 あれから1年が経とうとしているけれど、彼女たちの家庭菜園は今でも継続しているんだろうか? 僕はそんな疑問の答えを探るべく、彼女たちが暮らす奥地の集落を尋ねた。

 村の奥に入ると、僕らは茂みの前で車を止め、小径を歩いてさらに奥へと進んだ。しばらく歩くと、いくつかのマニャタ(木塀に囲まれた家) が点々と姿を見せた。そしてマニャタの中では、パウラとマルティナが僕らのことを待っていた。
 僕たちが家庭菜園を見たいと言ったから、用事を途中で切り上げて早めに帰ってきてくれた彼女たちの顔には、自信が漲っていた。

「調子はどうだい?」
「いつも通り変わらず」とパウラが言った。
 パウラはおてんば娘的キャラで、農場ではいつも僕に突っ込んだ質問を投げかける。結婚はしているか? 子どもはいるのか? なぜ髭を生やしているのか? そう言った少しばかり余計なお世話的質問を、僕はボクサーがジャブを交わすようにいなす。
 それと対照的にマルティナは、基本的に無口でおとなしい優等生的な存在だ。僕が何か話仕掛けると、遠慮がちに微笑みながら、必要なことだけを答えてくれる。
 異なる性格の二人だけど近所に暮らす彼女たちは、お互いを励まし合いながら、家庭菜園に励んでいた。

「去年はトマトの家庭菜園で8,000円の収入になったの」とパウラが言った。
「8,000円だって?」
 それはカラモジャの公立小学校教員の月給と同等だ。教育を受けていなくても、身につけた野菜栽培のスキルで、彼女たちはしっかりと生業を組み立てていた。
「すごいじゃないか」
「まあね」
「それじゃあ、その農園を見せてほしいね」
 そして僕らはパウラとマルティナの家庭菜園に足を踏み入れた。

トマト農園にて、パウラと家族

 去年は小さなスペースでトマトだけを栽培していた彼女たちの農園には、トマト、ナス、スクマウィキといった様々な野菜が植っていた。そして彼女たちの農園の状態はパーフェクトとまでいかなくとも、とてもいい状態だった。
「農園を見にきて、地域の住民たちも彼女たちから学んでいる」と農業技術スタッフは言った。
「次のシーズンはもっと高い収入を得るのよ」とパウラは言った。そのそばでマルティナは小さく頷いた。

 繰り返しになるけれど、プロジェクトにできることは限られている。
 それでもその波及には無限の可能性がある。小さな変化が積み重なり、大きなうねりを作り出せるよう、僕も、プロジェクトも、彼女たちに寄り添いながら、トライアンドエラーを重ねていきたいと改めて感じた。

* *  *

 援助は依存を生むと指摘される。タダで入ってくる支援がさらなる支援の期待を生み、人々の心をかえって壊してしまうことがある。
 プロジェクトが始まった時、住民の多くはさらなる支援を要求した。「食料もほしい」「昼食を提供してほしい」「現金を支援してほしい」「私たちは貧しいんだ」と。

 共同農場での灌漑農業プロジェクトが始まり、もうすぐ一年半になる。あの頃よく耳にしていたそういった要求も近頃はそれほど目立たなくなっていた。
 僕が出会った住民たちは、自分たちに必要なことを知っている。どれだけ生活状況が悪化し、深刻な飢餓を経験しようと、彼ら彼女らには生きる力が内在している。外からもたらされる援助に頼らずとも生計を立てることが不可能でないと知っている。
 そしてその力が発揮される瞬間を見る時、僕はいつもこの地域の将来に希望を抱く。



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