祖国の運命を守り

1990年代中葉、共和国は難関に直面した。

朝鮮民族は、金日成主席の逝去(1994.7.)という民族最大の痛恨事に見舞われた。これを機に、敵対勢力は「北朝鮮崩壊説」を流し反共和国孤立・圧殺策動に狂奔した。

祖国と民族の運命が生死存亡の危機に瀕された時期、金正日同志は人民軍をさらに強化し、銃剣を持って革命を前進させるという決心を固めた。初場所が小松林の軍営であった。その日はチュチェ84(1995)年の元旦であった。

そのとき以来、人民軍部隊に対する金正日同志の前線視察の道は孤島から敵と銃口を交えている最前線にいたるまで続いた。数千、数万里に及ぶその道で金正日同志は人民軍将兵を政治思想的に、軍事技術的にしっかり準備された一当百のつわものに育てた。

金正日同志は、国防委員会を中枢とする新たな国家機構系統を確立し、国防工業を優先的に発展させると同時に、軽工業と農業を同時に発展させるという経済建設路線を示した。そうして、国防工業はいかなる武装装備と戦闘技術機材をも製作できる主体的な国防工業として強化、発展し、朝鮮人民軍は強力な戦争抑止力を備えた最精鋭革命強兵として成長、強化された。

金正日同志は人民軍が祖国防衛だけでなく、社会主義建設においても革命の主力部隊としての役割を果たすようにした。人民軍軍人が創造した軍人精神は全国に飛躍と革新をもたらす大高揚の炎として燃え上がった。

そうして、各地には記念碑的建造物が建設され、大自然改造事業が繰り広げられて国の面貌が一新した。科学技術の飛躍的な発展によって人民経済の現代化が積極的に推進され、生産成長のための強固な土台が築かれ、人民生活の向上に寄与する多くの成果が収められた。

金正日同志の献身があって祖国の運命が守られ、富強な祖国建設の万年の土台が築かれた。

2021-04-09

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