今日の哲学② 幸せとか【あんぱん】
文化的生活にも限度がある。
我々における最低限度な生活とは単純に衣食住を用いていればの話だけれども、それに心が伴っていない場合どんなに生きていたとしても死者と同等又はそれ以下である。
他人から見たところの幸せそう、というのはあくまでもその人個人の認識であって決して本人が幸せとは限らない。
つまりは幸せという物は瞞しに過ぎない。
みんな見かけばかりに惑わされているのである。
そしてそれは食品サンプルとまるで似ている。
レストランのガラス越しに見える食品サンプルをみんな「美味しそう」と眺める。
けれども実際その料理を食べた人にしかわからない。美味しくなかったのかもしれない。
それはその人にしかわからない感覚だということ。幸せも全くそれと似ている。
人の幸せを見て自分もそうなりたいと思うと、人はその食品サンプルと同じものを頼もうとする。
しかし食べた瞬間はその人がどう受け取るかによって全く違った形になる。
人と同じ幸せを求めたとしても、同じものは得られることがないかもしれない。
そう考えると、人間というものは若しかすると幸せというものを上手く理解していないんじゃないか。
それでもレストランの食品サンプルには惹かれてしまう。
果たして私はそのオムライスを食べて美味しいと感じるだろうか。
そしてそのオムライスを一緒に食べてくれる人を幸せにできるのだろうか。
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