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散木記(続)・前編/円城塔

【3月末】

■二月末に緊急事態宣言が解除され、しばし持ちこたえてきた感染者数も増加傾向。
ワクチンの投入以来、合衆国の感染者数がどんどん落ちているが、イスラエルがそこまででもない。なににせよ、ワクチンがこれだけ早期に、大規模に投入されるとは全く予想していなかった。

■これだけ予想を外した以上、あとは虚心に専門家の意見を聞くだけだという気持ちになる。

■心の平穏が求められるところ、仏書でも手に取るべきか。

■『歎異抄』というのは奇妙な書物である。
御存知内ない方のために記しておけば、親鸞の死後、その教えが歪んでいくことを嘆いた誰かが記した。「歎」は「なげく」であるから、西洋に照らせば『異端論駁序』くらいのことであるかもしれない。
内容としては、ただ「南無阿弥陀仏」を唱えることだけを説く。理屈というものはあまりない。権威も何も関係がない。ただ南無阿弥陀仏を唱えることだけが、浄土への道であると繰り返す。
親鸞の教えを伝える者たちは、のちに浄土真宗教団を形づくることになるわけだが、この書の段階ではまだ萌芽程度のものと言ってよい。
現在、もっともよく読まれる「仏教書」のひとつであるらしい。
系統としては、いわゆる大乗に属する。
「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」の言が広く流布している。

■脚本を担当したということになっている『ゴジラS.P』(以降「SP」)のNetflix での先行配信がはじまる。心の平穏を求める一因。
03/24(木)から、ということだが、その木曜日というのはいつからなのか。00:00であるのか、どこかの日付変更線準拠であるのか、現地時間の何時かであるのか。

■結局、03/24(木)の00:00から配信が開始される。
ということは、TVでの放送とはきびすを接する形で一週間ずれることになるわけで、なんだか奇妙な感じである。金曜日公開にしておけば、TVでのN話が終わった日の24:00に、N+1話が公開されるという流れになったのに。

■SP 配信に関して、日本以外での配信予定が公開されていないことについて不満が流れているのを見る。
Netflix は全話一括納品であるから、日本と同時公開できないはずはない、とか。日本でも、なぜ一挙放送にしない、という意見などみかける。
ひどく単純な答えを知ってはいるが、ここに記すことはできない。

■この際、仏教思想を概観しておくことにしようかと考える。
ひどく乱暴なものになるだろうが、意外にそういうまとめが少なく、難儀している。

■ノベライズが終わらない。というよりも、書き方がやはりわからない。

【4月】
■感染者数、増加が続く。
近所まで迫ってきた感も高まっているが、感染者の発生地図を追うのはやめてしまった。
このレベルの話になると、「知ったからといってどうなるものでもない」からだ。

■大阪の民放のなにが悪いかといって、専門家の意見を聞いたあとへ、でも自分はこう思うんですが、とつけ加えたがるところ。

■04/05(月)
まん延防止等重点措置適用はじまる。
大阪の感じとしては、上からの要請にはとりあえず従うが、自分の身は自分で守る、というスタンスであるように見える。上が守ってくれるとははなから考えていない感覚。

■というので、緊張感としては薄いが、おとなしい感じはある。
タクシーの運転手さんによると、「大阪人はなんだかんだ言ってもびびりだから」とのこと。

■浄土真宗の属する大乗は、仏教における大きな流れの一つである。
原始仏教は大きく三つに枝分かれして、枝ごとにその地域を定めて今に至る。
ひとつには、上座部。個人の修業をもっぱらとするこの派は、東南アジアへ。
ひとつには、大乗部。中国、韓国、日本へ広まり、中国ではかなりのところ衰退した。
ひとつには、金剛部。いわゆる後期密教にあたり、インド以北、チベットに至る範囲に広まる。

■SPにおける、ラドンの数はもっと反感を買うかと思ったが、思ったほどでもなく、意外。

■世界的に見た場合、仏教のイメージは概ね、上座部、ということになるのではないか。
あるいは禅、ということになる。であれば大乗部。
仏教をチベットでイメージするなら、金剛部ということになる。
日本では最大の勢力を誇る浄土真宗であるが、世界的な認知度は低いと思われる。
なによりも、その教義がよくわからない。僧侶には肉食と飲酒、結婚が許されているし、基本といっては念仏を唱えることに尽きている。生活を整えることをわずかに要請するのみ、と外からは見える。健康法と受け取られても不思議はない。
ではなぜ、念仏を唱えると、浄土に生まれ変わることができるのか。
「それはわからない」
と歎異抄も言う。
信じろというのが難しい教えというよりない。

■『ゴジラS.P』における「S.P」とはなんであるのか。特にピリオド 。省略形なら「S.P.」とするべきだし、小名辞 なら「s.p.」ではないのかという意見には同意であるが、タイトルが決まった 経緯 は知らないのでわからない。自分としては『ゴジラ・ジャガーノート』というのをおしたのだが、アメリカでジャガーノートの商標はとられている。というか、ゴジラ対(マーベルの)ジャガーノートだと思われますということで不採用に。あいつか。

■書籍のタイトルや装丁 、帯などは、ほぼ出版社権限のものであるが、それはアニメーショ ンでも変わらない。タイトル、OP、EDなどは、会社の方が決定権を持つものではないかと思う。よくは知らない。制作としては「ゆるやかに連携」くらいの感じ。

■書籍のタイトルや装丁、帯などは、ほぼ出版社権限のものであるが、それはアニメーションでも変わらない。タイトル、OP、EDなどは、会社の方が決定権を持つものではないかと思う。よくは知らない。制作としては「ゆるやかに連携」くらいの感じ。

■OPとEDが好評でなにより。
EDを見ていると、こういう話でよかったのでは? と思う。
1話冒頭がああなったのは、予定されていた1話アヴァンタイトルがOPとかぶったため、変更された結果である。

■ノベライズの方針で迷い続ける。書いてはいるが。
よくこれだけの要素が箱に入っていたものだと思う。
本棚から本を取り出すと戻せなくなったりするものだが、そういう感覚。

■大阪、病床が不足。一般のものも。
今、心筋梗塞や脳梗塞を起こせば、そのまま救急車の中で死ぬ確率が高い。
言葉の使い方であるが、医療崩壊と呼んでよいであろう。

■どこからが医療崩壊かは、それまでの日常がどのようなものであったかによる。無医村は常時医療崩壊状態かというとそういうこともないのだが、合衆国の医療状態は常時医療崩壊中であったと言っても過言ではないと思われる。

■できることとしては、なるべくストレスをためぬようにして、休みを多くとって寝ておくくらいしかない。

■死に対してもこまやかさの違いはある。
国民性と呼んでもよいのかはわからない。

■『コロナ禍日記』にも書いた、母親の施設入居の件は未だに進展していないのだが、さすがにもはや無理であるので、手を打たねばならない。が、現状の大阪に移すのはあまりにもリスクが高い。
施設の斡旋業者の人も「本音のところ、今大阪に移すのはおすすめできません」と言う状況。
仕方がないので、一度札幌の施設へ入ってもらうという措置を断行することにするが、現在、「道外からやってきた人物と接触した者は、介護施設への立ち入りを2週間ほど自粛していただく」ということになっているそうで、ケアマネージャーさんだよりとならざるをえない。

■SPについて、シナリオは一本調子だし、2Dと3Dの融合具合もひどい、SFとはこんなにつまらないものだったのか、という評をみかける。
シナリオについては措くとして、映像に関してはやはり気にかかる。現状、あれ以上にすりあわせをすることは困難であり、であるならば、3Dを利用したアニメーションはほぼ全滅とならざるをえない。
というので考えたのだが、その感想を抱いた人は、テレビを新調して、フレーム補間を入れているのではないか。
今度どこかの会合でお会いする機会があれば、直接伺ってみたい。

■仏教は、紀元前の何百年かに、インドで生まれた。当時からすでに強固であったカースト制への強いアンチテーゼとしての側面が強い。バラモン教の一派とも、異端とも見ることができる。その後実際、一支流という形でヒンドゥー教への取り込みが行われたりもした。
正しい認識を持てば、苦を離れることができる、と主張する。輪廻のことはおいておき、真理を「悟る」ことができれば、人は仏となることができる。
真理を悟れば、ネット上で誰が何を言っているかで苦しむこともない、ということになる。

■といった話で改めて、映像というのは不思議なものだな、と思う。
テレビのアニメーションは24fpsで、コマの補間は、脳で行われている。その機能をテレビにアウトソーシングしてみることで、見栄えが変わるのは当然のことだ。でも人々の時間補間の方法は、それぞれなのではないか。見えているものとはなんであるのか。

■ふだん、Youtubeを見ているこどもとしては、24fpsのアニメーションはほとんど静止画面で、部分部分が動く、という抽象的なものに見えるらしい。

■VRで3D酔いを低減するには、60fps程度が必要らしい。手で書けば労力は二倍を超える。

■ノベライズは全体として原稿用紙400枚程度を目指すことになりそうなのだが、これがまあ、入らない。

■仏陀の死後は、教理の理論化が進行した。仏陀が真理を説いたなら、そこに真理はあるのであって、たとえ仏陀を抜きにしても真理であるのは変わらぬはずだ。
その断定が果たして行えるものなのかは疑問なしとはしないが、措く。
たとえば、空の思想などが説かれた。
色即是空、空即是色、全ては空である。
ネットの上で様々な人々が何かを言っていようとも、ブラウザを閉じ、アプリをアンインストールしてしまえば、それらは消え去る。それらは現実の誰かの声ではなくて、電磁気力が束の間結ばれたものにすぎない。
苦しみは存在しない。

■評判を検索したりするかというと、する。
あれは不思議なもので、やりはじめるとえんえんとやってしまうものだ。
そのうちに、目の奥が痛くなる、頭が痺れたようになる、吐き気を覚える、手が震えだす、などの身体症状がでてくる。
おおむね好評でこうなのだから、不評であったときを考えると、うかつにかかわれるものではないと実感する。
身体症状については、閲覧用のアプリを携帯から削除すれば、きれいさっぱり消えうせる。

■SPで好評な部分はほぼ、監督と(もともとは軍事考証で参加していた)小柳さんがつくったところである。

↓一年前の日記(抜粋)はこちら↓

散木記(抄) /円城塔

円城塔(えんじょう・とう)
1972年生まれ。ものかき。札幌生まれ、大阪在住。主に小説を書く。
2021年春放送『ゴジラS.P』のシリーズ構成、SF考証、脚本などにかかわる。
ノベライズが完成するのかは、2021年06月の時点で不明。


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