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続・余の過ごしたるコロナ禍の日日 福永信

5月10日(月)
1年前に書いた日記では、マスクが手に入らないということしかほとんど書いてない。マスクを求めた毎日だった。今では普通に買える。だが手放せない日常は続いている。マスク会食という珍妙な言葉すら定着したのが今の世の中だ。現在はワクチンがない。ワクチンは医療従事者、そして、高齢者から、少しずつ打ち始めているようだが、予定より遅れたり、予約のシステム障害があったり、電話しても全然繋がらなかったり、政府が(菅義偉首相が)7月末までと〆切りをムリに決めたり、うまくいっていない。接種率は「発展途上国」並みの水準だという。コロナ敗戦、ワクチン敗戦という言葉すら聞くようになった。平野啓一郎氏出演100分de名著の第2回目を見る。バラのシャツ。取り上げている本は三島由紀夫の長編『金閣寺』(1956)、主人公は実際のリアル金閣寺よりも幻想の金閣寺を追い求め、自分の中の想念としての金閣寺にとりつかれ、最後にはリアル金閣寺に放火、現実世界から葬り去るに至る。暗い個性の中に独特な頑固さが絡みつき、想念の「金閣寺」を育んできた主人公が日本政府及び最高権力者の姿とダブる。自身の胸の内に宿る幻想の東京オリンピック/パラリンピックにとらわれて突き進んでいるように見えてくる。彼(菅首相)はむしろ、東京オリンピック/パラリンピックをリアルな現実から葬り去ろうとしたがっているのでは、という疑念が余の脳髄に浮かぶ。第1回で平野氏が造語した共滅願望の意味が、日本政府のこの1年の謎の行動の読解の鍵のように映る(平野氏はテキストのまえがきで「これは、今日僕たちが置かれている社会の状況に通じはしないでしょうか。フェイクニュースが世界を席巻し、言葉と現実の乖離という現象が社会を大混乱に陥れていますし、総理大臣までもが平気で噓をついている。そうした時代に、言葉と現実の一致という三島的な問題をもう一度受け止め直すことには、大きな意味があると思います」と書いている)。東京の国立系美術館、博物館は明後日に再開館するようだ。都立の美術館などは臨時休館のまま開かないみたいだ。第3回緊急事態宣言下、国と都で足並みが揃ってないのだろう。「新潮」清水優介氏にメール。新作を送るはずが(ものすごく)遅れている。〆切は余が自分で宣言したものだが約束を破るのはよくないね。すいません。小説2行。

5月11日(火)
猫の酸素室レンタルを返却。半年間よく頑張ったと思う。昨年に聞かなかった言葉で最近よく聞くのが人流で、「人流を抑制する」というように使う。いや、「人流が抑制できていない」という方がよく聞くかな。人が外へ出ると感染リスクを高めるので人の流れを止めるためステイホームせよというわけだが、「ステイホーム」という言葉の方はあまり聞かなくなった。次々と新しい言葉が生まれ出て、それを「覚える」新しい日常は昨年と同じだが。人流というのは緊急事態宣言の前段階としてのまん延防止等重点措置と同じ時期に聞くようになった気がするから、今年の春あたりか。前から言われてたのかもしれないけど、意識しなかったな。まん延防止等重点措置はマンボウという略称で呼んで、批判されたので、すぐにやめていた。やめたと思ったら、まん延防止等緊急措置そのものをすぐにやめて緊急事態宣言に切り替えるべきだという声が出始めている。緊急事態宣言と何ら変わらない気持ちでやると述べていた首長もいるし、そもそも違いがわからない。京都府立図書館が開いているので行く。ただし、閉館時間は2時間早まって17時まで。それでも大変ありがたい。手指消毒して入館。普段よく行く市立右京図書館は、数日前に行ったら、予約のみ、貸し出しのカウンターのみで、館内全体は閉鎖していた。市と府で緊急事態宣言下の対応が異なっているようである。府立図書館の隣は京都国立近代美術館、向かい側には京都市京セラ美術館(旧京都市美術館)がある。どちらも臨時休館中。「他人の触れた本に触る」図書館は開館し、「基本何も触れない」美術館は閉まっている。コロナ禍的に不思議に思う。帰り、丸善に立ち寄るべく早足で向かう。時短営業で18時まで。BALの地階にあるのだが、エレベーターだけでなく、階段でも降りられるように店員さんが誘導していた。密にならないようにだろう。立ち読みしているうちに18時。ドトールに手指消毒して入店。コーヒー1杯飲む。人、少ない。静寂。おじさんのお客さんがゲホゲホやりだしたので退散。まあ余もおじさんであるが。カラオケ店、居酒屋が軒並み休業している。飲食店の空き店舗が増えている。大型複合商業施設がオープンしている。人が少ないのか賑わってんだかよくわからず。東京の国立美術館、博物館一転して、やっぱり休館らしい。何がしたいのかよくわからず。小説9行。

5月12日(水)
歯の定期検診。検温。手指消毒。すでに手馴れたものである。1年前には手を差し出すと自動でシュッと出るオート手指消毒発射マシンなどなかった。今はどこにでもある。待合室は意外と混んでた。昨年は、感染リスクを心配したが(心配のあまり事前に「余は行っても大丈夫だろうか」と電話して聞いたほどだ)、その後、あまり気にしなくなった。担当の衛生士さんによると「来週、私達もワクチン接種なんですよ」とのこと。医療従事者もやっとな現状なのだ。京都国立近代美術館、京都国立博物館が再開館した。京都市の基礎疾患のない20代の男性、自宅待機中に死亡のニュース。かなり衝撃を受ける。全国的に変異株に置き換わっていると少し前から報道されている。置き換わっているという表現も最近よく聞くようになった。誰かが置き換えているような感じがする気味の悪い表現である。新聞に宝島社の全面広告「ワクチンもない。クスリもない。」「タケヤリで戰えというのか。」「このままじゃ、政治に殺される。」といったコピーと共に戦時下の子供らがタケヤリを構える写真。ビッグな見開きの紙面だが、めくってビックリのインパクトは実はあまりない。宝島社の広告はいつもこんな感じだからだ。でも普段どおりなのがいいと思った。言葉は少ないが新聞記事よりも雄弁な2ページ。第3回緊急事態宣言、その延長が今日からスタート。今月末までの予定。でも先に〆切を決めるというのはいかがなものか。原稿じゃあないんだからさ。まん延防止等重点措置の対応地域も拡大。さらに拡大予定のようだ。小説1行。

5月13日(木)
東京オリンピック/パラリンピックの実現の雲行きが怪しくなってきている。まん延防止等重点措置が「効かない」ことが明白になり、大阪では病院に重症患者を収容できないほどになっているし、全国各地で感染状況が改善する気配がなく、病床も足りず、ワクチン接種もままならず、時間だけが過ぎ去って「それどころではない」という諦め、疲れがオリンピック/パラリンピックのテレビ観戦を楽しみにしていたはずの我々視聴者を虚しくしているようだ。中には凶暴化し、出場アスリートに対して辞退を要請、強要したりしている不届き者もいる。出場アスリートが開催の有無、ワクチン優先接種の是非についてコメントをする(せざるをえない)流れが起きている。大井川和彦茨城県知事が、組織委員会から求められた選手専用の病床確保を「選手を特別扱いできない」と断ったことも大会こりゃムリっぽいなと感じさせるエピソードだった。森田健作前千葉県知事が、菅首相に面会し、オリンピック/パラリンピックについて首相に聞くと「やるよ」と答えたというテレビのニュースを見て余はイスから落ちた。森田前知事の「総理、やるべきでしょ」という問いかけに対する答えだそうだが、柔道とか剣道とかの部活の朝練をやるとかやらないとかを部長に聞いてるんじゃないんだから、やるよもやるべきでしょもないでしょ。何かちゃんとアイデアを出しなさいよ。イスラエルがイスラエルを攻撃したパレスチナに攻撃し、双方攻撃を継続。7年前の大規模戦闘後、最悪の被害だという。エトガル・ケレット『クレネルのサマーキャンプ』(母袋夏生訳)を読む。アイデアの宝庫。何度読んでも面白い。細君が2泊3日で関東に出張。ほとんど「出兵」する息子を送り出す母親の気分だ。小説2行。

5月14日(金)
ミャンマーで軍事政権に約1ヶ月間拘束されていたジャーナリスト北角裕樹氏、解放されて帰国。北海道などに適用させる予定だったまん延防止等重点措置の拡大の政府方針、一転して、緊急事態宣言に変更となる。一昨日から再開館した京都国立近代美術館に「ピピロッティ・リスト Your Eye Is My Islandあなたの眼はわたしの島」 を見に行く。今日ずっと楽しく執筆作業をしていたのだがそれを中断、すでに17時だったけれども出かけた。美術館のサイトを見たら金曜日、土曜日は午後8時まで開館と書いてあって、間に合う、と思ったのである。コロナ禍以前から金、土は20時まで開いており、日常がなんだか戻ってきたような気がして、感銘を受けたのだ。夜間開館とかはクレームありそうだからなんとなく取りやめておく、とか優等生的な判断をしないところが良かった。展示も優等生的でなくて良かった。遠慮なくいろいろ見えていた。他人の夢の中をみんなで見てるような映像インスタレーション。目の前のパソコンで視聴する動画とは全然ちがう、大きな空間。元気出た。余のほか10人前後の観客がいた。澤西祐典氏から、円城塔氏とのCCで岡山大学での「岡山を読む/岡山を書く」についてのメール。この3人で数年続けている「勝手に町おこし(そして町おこしできずに去る)」シリーズの次回の予定について。このシリーズ、どんなのかというと、全国の大学におもむき、例えば岡山県なら「岡山」の地域名の入った文学作品の断片を全部、青空文庫から数行分、抜き出し、その作品についてコメントし、学生達にも「岡山」の地名入りの掌編を書いてもらい講評する。我々3人も滞在制作で「岡山」の地名の入った断片を執筆し、学生達の前で発表するというもの(後日、我々は作品を完成させた上で、青空文庫に収録してもらう、という流れ)で、澤西氏がリーダー、プロデューサー役なのである。で、今年9月にそれを岡山大学でやる予定なのだが、対面で可能かどうか検討中というような内容だった。大学だからなかなか難しいかもしれないとのこと。我々のやる内容は、微妙な(コントみたいな)面白さを含んでいるので、ライブ空間でないと伝わらない要素が大きい。小説3行。

5月15日(土)
東京に暮らす母がワクチンの集団接種をする日なので電話。スタッフもたくさんいて報道でよく聞くようなトラブルもなくスムーズだったようだ。接種後の待機時間(15分)には話しかけてくれたりしてなかなか親切だったよとのこと。2回めの予約もその場でやったそうだ。予約は母がやっても全然繋がらなかったが、姉が代わりにやったらすぐ取れたという。母とは1年半、会ってない。小説2行。

5月16日(日)
夕方、また丸善に行く。地下1階、2階をうろうろし、朝日新聞でやってるビジュアル書の紹介「みる」のための選書を引き続きやる。丸善の閉店時間が19時までになっていた(木曜からそうなったようだ)。当面この時間とのことだが短縮であることに変わりない。何冊か候補を買う。まだ決めきれないのでまた来週本屋さん巡りをする。虚構新聞で「希望の炎、無人でつなぐ「自走聖火」2種を開発」を読む。13日配信の記事。面白い。同日朝、京都新聞は「聖火リレー、スタジアムで代替開催「不要不急じゃない」京都府内は公道中止発表」という西脇隆俊知事の発表を伝える記事を配信していた。虚構新聞の方が前向きなのが可笑しい。小説1行。

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余の過ごしたるコロナ禍の日日/福永信

福永信(ふくなが・しん)
1972年生まれ。小説家。京都市右京区西院太田町に毎日在住。『星座から見た地球』、『一一一一一』、『実在の娘達』など。『こんにちは美術』、『絵本原画ニャー! 猫が歩く絵本の世界』などの美術に関する編著も。


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