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余の過ごしたるコロナ禍の日日/福永信

四月二十七日(月)
3つの密というのは密閉空間、密集場所、密接場面を作らぬようにするという意味で、ひと月前くらいの都知事の会見で広まった印象があるが、余が気になっていたのはミッツノミツという駄洒落になっていたことだ。「なるほど、と思わせてどうする」と、余は都民ではないが不快だった。もっとも、こういう言葉遊びは飽きられる運命にある。すぐに3密(サンミツ)と即物的に略されるだけになった。今日もその言葉を聞く。「オーバーシュート」は最近聞かない。感染者が減少傾向にあるからだろうと思われる。「ロックダウン」はたまに聞くが以前ほどではなくなっている。日本は(欧米と異なり)ロックダウンしないで感染爆発をかわすみたいな使い方になってきているようである。海外でのコロナ感染の現状、毎日見ているのにもかかわらず、日本のことばかり注目してしまう。余の視野が狭く、よくない。世界というところまで頭がいかない。本当はという区分じゃないことが起こっている。長野県でまた地震。小説3枚。

五月十日(日)
NHKスペシャルでコロナ禍からの出口戦略をどう見出すかという番組。「出口戦略」というフレーズも、このコロナウイルス蔓延の中で広まっていった言葉だ。緊急事態宣言が出て、休業要請が全国規模になってきたあたりから、「出口を示さなければ不安ばかりが増す」との声が大きくなっていってよく聞かれるようになった。日記をつけ出した頃には聞かなかったフレーズである。テレビではNHKの特別報道番組(と、テレ朝の羽鳥慎一モーニングショー)がコロナウイルス報道でテレビ番組として群を抜いている。今日の「出口戦略」番組では感染症や経済などの専門家がコロナ収束以後を語るわけで有益だったがある専門家の(WHOのシニアアドバイザーという肩書きの人物)コメントが、日本は、コロナ対策において、その死亡者の少なさからジャパニーズミラクルと世界から言われているほどだと得意げに語るのが不快だった。このコメンテーターからは600人以上が亡くなっていることを全くなんとも思ってないのが伝わってくるからだ。膨大な人数が亡くなった他の国に比べると少ないが、それは「比べた」だけである。パンデミックの危機の現場で陣頭指揮をとってきた経験があるのならもっとちゃんと言えるはずだろ、と余は画面に向かって怒鳴った。現在600人以上の死者が日本で出ているわけで、これはすごく多いじゃないか。それをジャパニーズミラクルと言われているって嬉しそうに言うな。アホ。一瞬、「へー、日本すごいんだな、嬉しいな」と思いかけちゃったじゃないか。余のバカ。人間の感覚がおかしくなってきているのではないか。

福永信(ふくなが・しん)
1972年生まれ。小説家。京都市右京区西院太田町に毎日在住。『星座から見た地球』、『一一一一一』、『実在の娘達』など。『こんにちは美術』、『絵本原画ニャー! 猫が歩く絵本の世界』などの美術に関する編著も。


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