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ことば。2024-05-12


私は他人の言葉にとても影響を受ける。

心が抉られる時もたくさんあるし、癒されることも。


だから、自分の言葉も

誰かに致命傷を与えたり気持ちを楽にしたり、様々な影響を深く与えるもの

だと当たり前に思っていて、慎重に丁寧に扱うものだという前提を持ってる。



全員がそうじゃない、ということを知らなかったんだよね。


結構テキトーに扱ってるっていうか、言いたいことを知ってる使い慣れてる言葉の中から

気楽に選んで発する人もそれなりにいる。


憶測だけど、他人の言葉によって

死ぬかもしれないって思うほどの恐怖を感じた経験がないのかもしれないし、

命を救われたと思うほど心の支えに感じたり

そういった影響を深くは受けていないのかなぁ。

(はじめはいちいち傷ついてたけど、気にしないことにした!と旦那の発言を聞いて

気にするのやめようと思えばやめれることがスゲェと思った。)




どっちの方が良い悪いとかって、やっぱり私には無いように思えるんだ。

言葉をどれほど重要に捉えているか。


私のようなタイプは、とにかく疲れます。

もう、何の気なしに発せられた多くの言葉によって

社会的な生活?がままならない。

でも、もう亡くなった人が遺した言葉からも勇気づけられたり背中を押されたり

良かったと思う部分もあります。

良くも悪くも影響を受ける。


自分が発する言葉がどんな影響を与えるか、という視点を持ってるから

安易にヘタなこと言わないとも、自分の本心が迷子になるとも言えるよね。



自分もそうなんだから、他人もそこまで深く考えて発言してない(なんとなく)だろう勢

が、私は少し羨ましい。


どうしたらそうなれるかなって、思っちゃうんだけど

きっとこれはお互いに、そう簡単に変えることのできない部分で

どちらにもメリットデメリットって両方あって、個性で、

ないものねだりをするより、配られたカードを活かしていけたら

素敵だなって思います。



他の人にとって苦しくて仕方ない面で、私はきっと

ものすっごく楽をしているからね。

きっとそう。