週末レビュー(2020/5/31)
今年も半年が終了。年始に思い描いていた今年の年末の着地点は、自分の解像度の低さとコロナによって全く違うものになりそう。コロナを転換点にして、個人の行動が変わり、業界の慣習も変わり、業界構造そのものも大きく、そして早く変わっていくのだろうけど、あくまで転換点であり、事業そのものはコロナが流行する前から今顕在化している/今後現れてくるであろう問題を潜在的に抱えていて、今回コロナによって生じた問題への対処で右往左往し、事業をドライブできず足止めを食らっているのは、自分のイシューアナリシスの力不足だと痛感している。
組織が大きくなり、事業の領域が増えてくるにつれて、発生する課題が級数的に増えてきた。生じた課題に対して、対処し、解決をするとどうしても達成感があり、仕事をした気がするのだけど、自分自身が組織において貢献するべきことは、今後進むべき方向を決め、進み方を決め、社内の通常の活動では獲得できないヒトモノカネを社外から調達し、結果として非連続的な成長を実現すること。組織に非連続性をもたらすことが仕事だから、足元で起こる課題にも、直面している厳しい現実にも向き合わなくてもいいということでは全くない。現実の状況を把握できていないのに、組織論も戦略もへったくれもない。しかし、一方で現実を正しく捉えるにも、直線的な成長ではないレベルでのあるべき姿を解像度高く想像できていないといけない。点ではなく、線として現実を捉えないと、今みたいに空回りをして、成果を何も出せずに時間だけを浪費してしまう。
究極的なことを言ってしまえば、課題解決は経営者の仕事ではない、と思う。課題を解決した先に必ずしも成長がある訳ではない。全ての行動、思考を成長するということを目的にしないといけない。マクドナルドの業績が回復したのは、消費者が求める安くて、想像しやすい味で、分かりやすく美味しいマクドナルド的なものを商売の中心に据え、商品開発をし、広報をしたことで、接客に問題のある店舗のスタッフの教育に全力を注いだからではないはずだ。もちろん、結果としてスタッフの教育にも全力を注いだだろうけど、教育・サービス改善自体を突き詰めてもマクドナルド的なものは取り戻せなかっただろう。
ここからが問題で、そして当初のイシューアナリシスの話に戻るのだけど、事業全体として目指す状態の定性化・定量化をし、それに対して現実を織り込んだ上でのサブイシューの切り出し、アクションプランの具体化を徹底的にし、それを株主、マネージャー陣と巻き込んで一つの絵にするということに労力を割き、その上で、組織の中で自分にしかできない独立遊軍的なイシューの実現のための決定的なピースを集めるということをしないといけない。その絵が組織のブループリントとなり、評価基準となり、行動指針となり、進捗を見られるものでないといけない。ステークホルダーの考えを取り込み、理想とする状態を視覚化すること、言語化すること、数字にすることというのは、時間がかかる割に、それ自体は評価をされず、傍から見ると机上の空論をこねくり回しているだけに見えてしまうのだけれど、そのための時間の確保をし、人を巻き込み議論をし、進捗の確認、課題の吸い上げ・取り込みをし続けないといけない。
概念を行動指針にし、分かりやすい指標にし、執拗に追い回しをし、評価として飴と鞭を使い続け、その間に概念をアップデートするというのがマネジメントの仕事で、概念をそのままマネージャー、現場と落としていってもなかなか組織が動いていかないというのは、この半年間骨身に染みて理解をした。どうしても忙しくなってくると、現場で一緒に汗を流して満足してしまうのだけど、骨の髄まで刻み込まないといけないな。
来週もがんばろう。サービス・組織にとって正しいと思うことを、どう正しく実現するかにコミットしよう。