スニーカーを買う回数が減った

元来私はオシャレな格好をするような人間ではない。

こんな言い方をすると、あえて、な感じが出てしまう。訂正。
正確にお伝えすると、したくても出来ない人間なのである。

決して無頓着な訳ではなく、一応は小綺麗でシュッとした格好を目指しているからこそ、儚くダサい。狙った上で外すって、なんでこんなにダサいのか。
冒頭の一文のように「いや、狙ってませんよ」感を出すのものダサい。そういう取り繕いがダサさをブーストさせていることに気づかないのだ。ダサいから。

昔実家にて、妹が「オシャレは足下からって言うもんね」と何かの拍子に発言していたのを覚えていて、
よし、スニーカーだけは小まめに買おう。と決意した。

妹という存在を馬鹿にしてはならない。妹の評価は超重要なのである。
そもそも同世代の女子が一緒に住んでいて、忖度抜きで意見を言ってくれているのだ。中高生男子にはその意見を、「聞く」「聞かない」という選択肢はない。一つの真理なのである。ただ血縁者というだけで意見に耳を傾けないのは愚の骨頂。従うのみなのだ。なんなら妹に洋服も選んでもらっておけばよかった。

それと妹が「お兄ちゃん?あー、嫌い」と言ってるのと、「お兄ちゃん?あー、割と仲良いよ」と言ってるのでは、学校生活でのアドバンテージは雲泥の差なのである。
今から14歳に戻れるなら、しっかり妹の評価を上げて「お兄ちゃん?めっちゃ仲良いよ!」と言わせてやるのだ。それが世界の分岐点だったりするはず。

そんなやんごとなき事情があり、兄者は毎年スニーカーを買い換えることになった。それでもボロボロになるまで履くし、オシャレな足元だったか?と振り返ると全然そんなことはないのだが、これでも比較的気を使っていたパーツではある。(毎年スニーカー買い換えただけで、足下のオシャレを満たしてるという感覚がヤバイのだ)


ただ、最近、めっきりスニーカーを買っていない。
4年以上前に買ったスニーカーが、今でも一軍のエースなのである。


原因を考えてみた。

そもそも履く機会がめちゃめちゃ少ない。1年365日あって休日しか履かないから100日+αしか履かない(いや年間休日少なすぎだろ、どうなってんだ)。学生時代は毎日履いていたはずなので、3分の1以下。仕方ない。劣化も3分の1だ。3倍以上長持ちになったのである。お得お得。

その分仕事用の革靴はすぐにボロボロになるから、頻繁に買い換えている。ちゃんと2足用意して交互に使っている。その方が長持ちらしい。偉い偉い。

いや、ちょっとまてよ。
劣化することが靴を買い換える基準になってないか?
オシャレは足下からと言っときながら、買い替えの基準を劣化に委ねている。

これが根がダサいやつの発想ってやつですか。

逆に考えてみる。
じゃあ劣化する前に買い換えればオシャレ認定してもらえるじゃん、って話。
「私は劣化前に靴を取り替えてます!買い替え理由を劣化には委ねません!よってオシャレですよね!!??」

これもなんか違う気がする。

「まだ使えるけど、定期的により良い靴を買いましょう!全然履いてないスニーカーも出来る限り買い換えましょう。出来ない人はダサおじです」
こんな極端な話はない。時として劣化を理由に買い換えてるけどオシャレなおじ様はたくさんいるはずだ。

てかなんだよ買い替え前提のオシャレって。いつからオシャレは資本主義になったんだ。それに「私は毎年靴を買ってるのでダサおじではありません」っていうダサおじが一番怖いだろ。

①靴の劣化後→買い替え:ダサい
②靴の劣化前→買い替え:オシャレ 
めちゃめちゃキモい方程式が完成しかけていた。危ない危ない。
こういう風に型にはめようとしていることすら怖い。



そもそも、「オシャレは足下から」という球種だけで勝負を続けていること。
そもそも、定期的に買い換えないといけないという基準。
そもそも、「ダサくない」=「オシャレ」という極端な発想から来る極端な意見。

引っくるめてこの文章全てがダサさをブーストさせてることに、気づく。危ない危ない。


まあ、あれだな。
まだまだ使えるけど、新しくスニーカー買おうっと。

今日はこの辺で。


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