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田通、拷問に耐える

この作品に惹かれたのは私の今の気持ちが今にも涙を落としそうな感じだからなのかもしれません。うーん、複雑です。使わせていただきありがとうございます。

さて50歳を越える私ではありますが、なんとも恥ずかしいというか情けないというか両親を好きになれないというジレンマを抱えています。血は繋がっているみたいですが。それが吃音という形で残っている証拠だと思っています。

この思い、幼少の頃から抱えています。断片的な記憶ですが、甘えると叱られるばかり。とにかく親の意向に従わないと叱られる。夢は諦めさせられ地元に縛り付けられて今があるという感じです。

この地元に縛られるという点が私にとってはあまりいい結果をもたらしません。私の吃音を知っている人が多く、今でもバカにしてくる住民は多い。だが地元に縛られどうしようもありません。

田舎では交代で村役員を務めなければなりません。そのときに私にとって鬼門があります。村内放送です。これがなかなか・・・やはりマイクの前だと言葉が出てくれないのです。即時に放送されるのと録音して指定日時に放送するのと2つの方法がありますが、私は迷わず録音します。何度も録音ができるからです。昨日も録音に挑みました。ところがなかなかうまくいかない。公民館で一人寒さに震えながら何度も録音しました。でも私の喉からスムーズに言葉が出てくれることはありませんでした。気が付いたら2時間以上が経っていました。私は負けた感いっぱいで出直すことにしました。もう私の心は敗北感で充満していました。はぁ。

どうしてこうなんだろう。50歳を越えた人間が寒空の中打ちひしがれてトボトボと歩く姿は想像するだけで情けなくなります。

改めて夕方リベンジに公民館に出向きました。覚悟を決めて再度録音に挑みます。それでもうまくいきません。覚悟を決めました。これで最後。ダメでもこれで録音しちゃおう。それでもたいして変わらないものです。「あ、ああ、ああああ」「・・・・こ、こここ、こ」「まーーーーあ、まままま」こんな感じで録音されてしまいました。

夜その放送が流れました。私は耳を塞ぎたくなるような思いで聴いていました。はぁ。拷問です。両親もおそらく聴いていたはず。どう思うのか。とりあえず終わったことに安堵しましたが私はどっぷりと疲れました。今年はあと何度かこういう気持ちにならないといけないのかと思うと気持ちは重いです。

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