時空が歪み、日記-②

2018年1月-②

その日、僕が浅草ロック座で出逢った踊り子の名前は武藤つぐみといった。
小柄でボーイッシュな雰囲気のルックスで身体つきも華奢なのだが、贅肉がついていないだけで腹筋が割れるほどに引き締まった無駄のない身体つきをしていた。僕がロック座の扉を開けたその瞬間に恋に落ちてしまったときに見ていたのはエアリアル・シルクなどと呼ばれている技で、天井から垂れ下げられた2枚の布に上手く身体を絡ませながら空中を舞うという演目。彼女の得意技というのを後で知った。
ストリップというのはただ単純に観ている観客(主に男性)の劣情を掻きたてるだけの扇情の踊りをする、割と直接的なダンスを観せるだけの場だと、勝手に思い込んでいた。
僕は泣きそうになっていた。
こんな場所で自分がこんな感情を催すとは思っていなかった。言葉にすれば陳腐だが、それは恋であり崇拝だった。しかも考えれば考えるほど、僕が刺激されたその感情はストリップという場所でなければきっと味わえないようなものだった。

もう一人、そこにはみおり舞というダンサーがいた。
彼女にはクラシックバレエの素養がありというか元プロのダンサーで、動きも柔軟性も表現力もまさしくプロそのものだった。
そんな彼女はステージ上でもいかんなくその能力を発揮しており、バレエをストリップとして表現していた。こんな凄いもの普通の劇場では絶対に観られないと思った。僕は、武藤つぐみやみおり舞が敢えて裸でそのように踊ることにはとてつもない意味があると感じた。
女性の身体性について、ここまで説得力を持って語りかけてきたのは初めてだった。最初は「なんでこんな凄いものがこんな場所で」と思ったが違った、ここで表現することに意義があるしきっとここでしか表現できないことをしようとしているのだと思った。
みおり舞は日本のピナ・バウシュだと思った。

僕は、初めて訪れた浅草ロック座で、年配の常連客たちに身を埋めながら周りに気づかれないように涙を流して彼女たちのステージに魅入っていた。彼女たちは薄汚れた僕の世界に舞い降りた天使で、少なくとも彼女たちの舞を観ているときだけは僕の世界に彩りがもたらされた。

今日もロック座に来ていた。前回とは違う座席から観ると、角度が違っていてまた違う楽しみ方が出来た。
二度目ともなると他の踊り子さんも可愛いな、と思う。南まゆという女の子はステージに愛されたような映え方をするダンサーさんで、公演名の名の通り華がある女の子でとてもキュートだった。
そんな風にショーを楽しんでいても、武藤つぐみとみおり舞がステージに立つと、僕の心は心臓を三叉の槍で突かれたような気持ちになり、二人に「お前の心を潰すのなんてこんなにも容易いんだ」と言われているような気持ちになって、苦しくて苦しくて気持ちが良かった。
朝から晩までずっとロック座にいて、四回の公演を見続けたが、その感覚は鈍ることなく僕の心臓に直接伝わった。

各公演の最後に、カーテンコールがあり、演者全員がステージに現れる。このときの二人は先程とは違っていて、とてもリラックスしたように笑顔を客に振り撒いてくれる。
そこで初めて僕は二人とも人間らしく見えた。

でも僕と同じ人間だとはどうしても思うことが出来ず、彼女たちが本物の天使だと心の中で祈るばかりだった。

浅草ロック座が頭から離れない。仕事をしていても、脳みその一部だけは浅草の年季がかった劇場の座席の上に残っていて、それ以外の場所では何かが常に欠落しているような感覚だった。
僕が僕として完成するのは劇場で彼女たちを観ているときだけなのかもしれない。
仕事をしながら、何故僕は観劇出来ずにこんなところで延々と同じ作業をこなしているんだ、と答えの出ない自問自答に悶々としているうち夜になった。そのまま帰宅する気持ちになれず、五反田に繰り出して気付けば東口のラブホテルに入室していた。
電話をして、待つ。
ノックが聞こえ、ドアを開けると女性が立っていた。初対面にもかかわらず、彼女は満面の笑みを向けてくれて、僕は彼女を部屋へと招き入れた。
彼女はお店に電話をして、僕は準備してあったお金を渡した。彼女はうがい薬や消毒用石鹸が入ったボトルなどを用意しながら、楽しそうに話しかけてくれる。
僕の服を優しく一枚一枚脱がせてくれながら笑顔を向けてくれた。

僕は、ちゃんと他者に認識されているのだとそこでようやく思うことが出来て、安心したと同時にアソコを硬くしてしまっていた。
それを見て彼女はまた微笑んでくれたのだ。


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