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おふざけ抜きで、トイレについて考えた

こんばんは。TA宮崎(ひなたのくに)支部の、ゆいです。
今日は、「高校生の時トイレが近すぎてあだ名が一時『トイレ』だった女が、学校におけるトイレの大事さについて考える」が、テーマです。


あっ、別にいじめられてたとかではなく、寧ろそんなあだ名をつけられてギャーギャー騒げるほど仲が良く、うるさかった女子高生でした。今振り返ると私の周り、ほんとにうるさいやつばっかで白目剝きそうですww


学校においてトイレって、特殊な場所だと思います。その特殊と言うのは。
トイレは、学校で(たぶん特別な場合を除いて)

唯一”ひとりになれる場所”です。


私は小学校があまり楽しくありませんでした。私の「トイレちゃん」は小学校の頃からはじまっていたのですが、集団行動というか、みんなで過ごすことから避けられない学校生活において、廊下を歩いてトイレまで歩く道、そのときの「歩く」という運動、そしてトイレという空間が、なんだか好きでした。


こうやって大人になると、暮らし方や、暮らす場所まで、自分で好きに選べるようになります。これは、自立することの責任と同時に与えられた、特権やご褒美です。大して子どもというのは、ほとんどの場合、それを選ぶことはできない、というか、そこまで自由じゃない、っていうのが相応しい言い方だと思います。



小学生のアタマなりに思いついたライフハックが、”トイレちゃん”だったんだと思います。



大学2年生の頃、3日間の大学の先生の推薦が必要な、特別な実習で、母校の小学校へ行く機会を得ました。ちょうど100周年だった母校は、そのとき在籍していた、ある車いすが必要な児童のために、校内のすべてのトイレを建て替えたようでした。当時の教頭先生が説明してくださいました。元祖トイレちゃんだった私は、実習中校内のすべてのトイレを見て回りました。


びっくりするほどきれいでした。

「イオンみたいですね!」と言ったら、スルーされました。


その子のためだけではなく、すべての子どもにとって、とても大事な工事だったと私は考えています。トイレという空間は、その用途のみならず、特に学校生活において精神的に、重要な意味をもたらす場所だと思うからです。
時代は少しずつ変化し、クールダウンルーム、心のお部屋、といった、クールダウンのための教室が、特に小学校では増えてきたように思えます。しかし、まだその部屋には何となく、入るまでの高いハードルがあるように感じます。そもそも「心のお部屋」という名前、心が落ち着いていない、クールダウンが必要であるという事実が潜在的にありますよね。


トイレとは、過去の私のように「なんとなくひとりの時間がほしい」子どもにとって非常に大切で、意味を持つ場所です。だからこそ、きれいに掃除してほしいと思います。
なんだかトイレ掃除って、小学校の頃には罰ゲーム感がありましたが、その意識が何かしらの教師によるアクションで、変わるといいなと思っています。

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