見出し画像

【『嫌われる勇気』を読んでみた】

※代表のFacebookの転載です。


こんにちは、ゆいです。
今日はこのポンコツミジンコ頭が『嫌われる勇気』というここ数年ずっと人気なイメージのある本を読んでみたので、その感想を簡単に書き留めておこうと思います。


まず、この『嫌われる勇気』という本は、アドラー心理学をわかりやすくするために、架空の哲人と青年という人物2人の対話式で描かれた作品です。超雑な解説でした。


私はこの本、かなり難しかったです。


でも、よかった点としては、青年が読者にとってわかりやすいように、アドラー心理学の考え方を取り入れると効果がありそうな、人の目気にし太郎の超現代人って感じのキャラクターだったので、青年と同じ速度でアドラー心理学について理解を深めていくことができました。具体例などが、わかりやすかったです。


さて、難しかった、というのにはもちろん理由があって。その大きな理由が、以下の部分です。
「『赤面症だから、告白できない』という女子学生に、『君は告白したくないから、赤面になっている』」と説明する場面がありました。
たしか違う章では、「トラウマなどない」という言葉も出てきましたが、結局アドラーが言いたいことは、“できない原因となるところよりも、目的に意識を向けるべきだ”という主張なのだろうとは思いますが、それってなんだか自己責任論っぽくも聞こえました。
また、たとえば私が遺伝病を持っていて、結婚を考えていた彼にそれを伝えると次の日振られたとします。このような場合は「私は遺伝病を持っているから結婚ができない」と、思っても仕方ないと思うし、反論の余地もないと思うのです。


このように、アドラー心理学はそれだけにすがって生きるには難しく、人生の中でその「アドラー論」の例外となる場面に私たちはいくつも出会うのではないかと思いました。


だけど、じゃあクソ本だったかと言われると、そうではなく、寧ろどちらかというと私は肯定派だと思います。私自身の思考や思想と非常に似ている部分が多く、これは私のある意味才能と言うか先天的(小さいころからもっているもの、と定義します)な気質、そして個人的に自分という人間の生き方を確立できたのは18歳、高校3年生の担任と出会ってからだと思っているのですが、その担任の生き方がまさにアドラー心理学で提唱されているもののような感じがしました。だから、この本の飲み込みは早い読者だったと思います、私。


そして最後に、この本とアドラー心理学についてですが、すべてを飲み込むのではなく、自分が、そうですね、現代的な言葉を使うと“病み”そうになったとき、とっても落ち込んでしまいそうなことがあったき、など、自分を穏やかな、でもしっかりとした温度と熱量で静かに奮い立たせたいときの、お薬的な感じで、飲み込むことにしました。冷静に前向きになれる本、という感想がいちばんしっくりくるような気がします。
ま、自称アドラー心理学的に生きてる私は、病むことはかなり少ないですが。


これは『嫌われる勇気』というタイトルの本で、「嫌われてもいい」、「幸せになりたいなら嫌われろ」という話では、まったくないのと同様に。

いいなと思ったら応援しよう!