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稲敷市持続可能な地域づくりシンポジウムに参加して

概要

 藻谷浩介氏による基調講演と、稲敷市内で活動する4者を加えたパネルディスカッションが行われた。藻谷氏は日本全国のすべての自治体を訪問、さらに海外の多様な地域を訪れた経験をもとに地域活性の活動を盛んに行っている方らしい。日本総合研究所所属。著書に『里山資本主義』など。
稲敷市持続可能な地域づくりプラン策定委員会による企画だと思われる。私自身は所用により基調講演までで中座。

基調講演内容

 少子高齢化、人口減少の実態について、生データを参照することで近隣自治体と比較し、稲敷市が迎える近い将来の姿を解き明かすような内容。『ファクトフルネス』的な驚きが終始支配するスタイル。例えば、「つくば市と流山市では生産年齢人口(15~44歳)の上昇がみられるが、稲敷市民になじみの大きめな市街地である牛久市や龍ヶ崎市でも稲敷市とそう変わらない人口減少が進んでいる。」といったことである。
 ほかにも「令和時代における人口増加は70代以上の人口流動である可能性がある。」「鉄道や住宅が充実している=人口が増えるという昭和の価値観は時代遅れ。」など、昭和時代に形成された「いい街」像がいかに私たちの潜在意識に刷り込まれており、これからのまちづくりを考える上では凝り固まった都市至上主義的な考えを排する必要があることを説いておられた。自分の地域の魅力を自覚することの必要性、他者視点での魅力を発見してもらうといった方法論をご紹介いただき基調講演は閉じた。

私の心に刺さった内容をいくつか紹介したい。

l  東京の人口密度は世界的に見ても以上に高い。欧州で最も人口密度の高いオランダの人口密度がちょうど茨城県程度。
l  東京の人口密度は異常に高いので、子供を作りたいという生物学的に自然な本能が抑制されている可能性が考えられる。
l  日本の貿易における経常赤字国は米中などの巨大国家ではなく、イタリアやスイス。これらの国は観光立国で、高付加価値のある手作り品のブランド(ワインや時計)において世界的に高い競争力を持ち、人件費は高く労働時間は短く、農山漁村に経済力があり、そうした現象は地産地消の経済活動によって支えられている。

こんな感じの内容だった。

考察

 講演会を中座して向かった先は首都東京。東京でも元気な世代(15~44歳)の人口は減少しているそうで、実はゆるゆると消滅に向かい始めている。しかし、まあ人口密度の高いこと。ただ確かに外国人が多かった(新宿区)。稲敷にも外国人多いけれども。
 大学時代の仲間との会だった。地方から都会に出てきた人たちは明確に東京で「勝負」するために出てきている。逆に東京で生まれ育った人こそ地方に移住していたり、就きたい仕事に就けずにくすぶっていたり、東京という舞台に居場所を見出していないように思えた。「勝負」の只中の先輩は、勝負に勝ったら、勝負しなくていい立場になれば、地元に帰った方が幸せだと思う、といったことも言っていた。
 また、子供が欲しいという人が少ないことも気になった。正確には、結婚の話題は出るが、子供の話は全く出てこなかった。それが日本の政治のせいなのか、各自のライフステージによるものなのか、東京の人口密度のせいなのかはわからないが、今回の講演のことがあったので過密の弊害という視点が私にインストールされたことがよくわかり、自分でも驚いた。
 都市のライフサイクルという話を聞いたことがある。たとえば、子育て世代のためと銘打たれた新興住宅地においては、ある家族が入植し、そこで子供を産み、子育てをし、子供が巣立ち、親の壮年期と老年期が訪れる、といったライフイベントが街単位で一斉に訪れる。それに合わせて街に必要なものも、夫婦で楽しめる娯楽施設、保育所、学校、リタイア後の趣味の場、介護施設のように変化していくし、その時期を過ぎたものは不要になっていく、というような話だ。全くもって持続的でない。これは、開発によって、よーいドンで街がスタートし、みんなで一緒にゴールを迎える設計だから起こることなのであって、稲敷市のような東京的な開発競争の影響を受けていない地域は、まだよーいドンでのスタートを切っていないという逆説的にアドバンテージが残されているともいえよう。実際的には開発された都市に人口を吸われてスタートを切る前からゴールを突き付けられているようにも見えるが。
 藻谷氏曰く、茨城は過疎過密の観点でいうと適密に当たるらしい。東京に比べるとかなり「疎」であることは紛れもない事実なので過疎地域に認定されたわけだが、東京のほうがかえって異常なのだ、とも。茨城の中でも稲敷は疎な方なので、もしかしたら適疎くらいなのかもしれない。適度に空間的なスペースがあると、人とのつながりはかえって密になるのかもしれない。核家族の社会の息苦しさがまるでなく、ご近所同士のゆるいつながりで共存している昔ながらの村の温かさが残っている。このくらいの距離感が私にとっては心地よい。たぶん多くの人にとっても。経済合理性では語れない幸せが稲敷には溢れている。それは、もしかしたら世界の幸福度ランキング上位の北欧やゲルマン圏の国々にも通じるところがあるのではないか。講演の中で人口密度の話題で比較対象となっていたデンマークやオランダは世界有数の農業国である。また、江戸崎も昔は水運で栄えた町だったようなので、似たようなルーツや人口規模を持つこうした国のまちづくりや農のありかたは参考になるのかもしれない。今回の講演の数日前に農業普及センターで開講していた有機・土づくり講座の講師の八郷の有機農家さんもデンマークの循環農業の視察をきっかけに有機農業を始めたようだった。そして彼は稼ぐためというよりは安心な食材を効率的に生産するために有機農業をしていた。それまで私が有機農業を食わず嫌いしていた理由は、美辞麗句を並べてお金持ちに売りつけるエセ科学に似た構造に見えたり、ちょっと狂信的な強い思想を感じたり、非効率な側面を美談化する姿勢に違和感があったりしたからなのだが、その講座を聞いて考えが変わった。また、有機農業かどうか、とりわけJAS規格には法的な線引きはあるのかもしれないが、有機だろうが慣行だろうが農業の方法論であることには変わりはなく、グラデーションをなしていて、有機農法のいいところを科学的に検証しながら取り入れることもアリだと感じた。
 講演の中で、2010年から2020年にかけて、下流産業の販売・サービス業は伸びておらず、上流である製造業と農業・林業が10%程度の成長をしている、という話も聞けた。それは私を含めた会場の聴衆にとっては衝撃的な内容だったようだ。そのギャップをなくしていきたい、とも思った。講演は終始この手の驚きに満ちたものであったが、特に稲敷の人たちには刺激が強かったのかもしれないとも思った(失礼)。住んでみて話をしてみて感じるのは、みんなすごくピュアであるということだ。ビジネスマンが訓練している「傾聴」はみんなできるし、基本的に物事を疑わない。このことは紛れもなくこの地域の大きな魅力だと思う。しかし、この性質は、マスコミの報道を無批判に受け入れてしまったり、旧世代の思想からのアップデートが起こりにくかったり、という弊害も生みかねない。だから、この手の講演で脳みそを定期的にオーバーホールする機会は重要だし、思考力を働かせる癖をつける必要性を感じた。
 また、講演のまとめのパートで、衰退する地域の特徴として、挙げられていた項目も当たるところが大きいと思った。

l  人の陰口、地元の文句
l  親が子供にこの町はダメだと吹聴
l  今だけ金だけ自分だけ
l  飲食店で地酒地魚地野菜を提供しない
l  成績のいい子を都会に出す
l  空き家を貸さない
l  移住者の悪口を言う
l  何もないのが当たり前

 全部思考停止が招いているのではないだろうか。マスコミの報道を鵜吞みにして価値観形成。人と人との距離は近いのでその価値観を前提とした会話により思想が強化される。でもその思想は外的にインストールされたものなので、本人は心の底からそう思っているわけではない。しかし、子供には言葉通り伝わり、心の底から誇りに思えない地元が完成する。これまで通りを再生産するだけの思考停止の生活は、再生産を担う子供がいないので持続不能となる。その構造はなんとなく理解していたつもりだったが、改めて言語化されてすっきりした感じがした。この構造を打破するために私ができることは、外部の目線で市民が忘れている稲敷市の魅力を発掘して提出することなのだろう。提出の仕方も、こうしたSNSで直接的なものだけではなく、外から人を呼んできて楽しんでもらい、そのことを市民にも共有するといった間接的なものも有効なのではないかと思った。
 私自身思考停止に陥ってしまっていることも講演の中で実感したし、そもそもこの講演で語られたことが本当に正しいかさえ検証しなければならないとさえ感じた。それは極論だとしても、この講演を起点として、持続可能な稲敷を実現するための思考を続けていかなければならないと思わされた。その第一歩として本稿を書くに至った。

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