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道は開かれていた

こんにちは、きなりです🍥
今日はちょっとした雑談です。

9月に入社したレーベル会社に、デザイン担当として就職してからおおよそ4か月目。自分で言うのもなんですが、デザイン未経験者ながらもちょっとずつ板についてきました。

デザイン会社ではないので、デザインに関するノウハウが会社に蓄積されていない代わり、社内で”どのようなデザインがいいか?”を話し合うことがあるのですが、わたしが何か意見したら「きなりが言うなら大丈夫だろう」と言ってもらえたりしたこともあって、ほくほくした日もあったりしました♨

音楽ライブの開催に合わせて、SNS用の告知バナーやフライヤーを制作するわけですが、時々自分が今ここでデザインの仕事をしていることが不思議に感じることがあります。

こういう「つくる」仕事は自分にはなれないと思っていた――というより、そういうものだと思っていたからです。小学生時代から自分にそう呪縛をかけていました。

小さい頃から絵をかいたり工作をしたり創作文章を書いたりすることが好きでした。中学生になってから自分の進路を考える時期になって、大人になっても「つくる」ことを続けたい・仕事にしたいと考えて、美術を学べる高校や大学に進学したい気持ちがありました。

そんなわたしの夢を、母はあまり賛同してくれませんでした。小学生の頃から「つくる」夢を語る度「きなりがなれるわけないよ」「限られた人にしかなれないんだよ」と言われていました。わざわざ美術館にまで連れて行ってくれ、そこに展示された絵画を前に「こんなに上手な絵、きなりは描けないもんね」と言われたこともよく覚えています。

それを素直に受け取ってしまったわたしは、美術専攻の高校・大学に進学することはおろか、中学校に入ったころぐらいから「つくる」こと自体諦めるようになりました。

進学後に「つくる」職業を目指して勉強や制作に取り組んでいる学生と交流があったり、興味のある展覧会を身に美術館へ足を運ぶこともよくありましたが、目の前にいる人間あるいは作品は「特別な存在」でわたしなんかとは全然違う世界を生きる人なんだ、と思っていました。

でも、いまはわたしは仕事で「つくる」をしている。そりゃ美術館に展示されるようなアート作品ほど立派なものではないけど、「つくる」ことに変わりはない。子どもの頃に感じた「つくるって楽しい!」という気持ちとおんなじ気持ちが、仕事中にも湧いてくる。ずいぶん遠回りしたけど、子どものころからの夢を叶えられたって言ってもいいんじゃないかな?

でも、どうして叶えられたんだろう。わたしは「特別な存在」ではないのに。

その答えは単純です。自分の世界が狭かった。

「つくる」人になるには、高校や大学で美術を専攻していないとなれない思ってた。そもそも、そういった学校に入れるのは生まれつき才能がある人だけだと思ってた。そういう風に母に教えられることを鵜呑みにしていた。大袈裟に言えば、それが世界の理だと思っていた。

でも実際は違った。美術の学校に行かなくとも、書籍で独学したり、職業訓練校に通ったり、「つくる」ことを続けることはできる。それに現代はインターネットという強い味方がある。そこで情報を得ることもできるし、自分を表現することだってできる。"才能"もあった方がいいんだろうけど、努力で補填できるし、”才能”ありきの世界というわけでもない。自分で世界を開拓しようとする意志さえあれば、夢を叶える為の手段はいくらだって見つけられる。

わたしが自ら塞いでいただけで、夢に続く道は開かれていたんだなあ。

視野を広く持つ意識と、見つけた道に一歩踏み入れる勇気さえあれば、人って何にでもなれるんだなあ。

「つくる」夢は叶えられたけど、このことはこれからもずっと心にとどめておこう。

……などと、仕事中に考えておりました😌

呑気にしてますが、現在進行形で会社の作業に追われております💪✨ (現在夜中の3時です♪) 現実逃避のための記事でした♪ 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました🍥

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