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ニンゲンの可能性を見ているから

ラグビーのワールドカップフランス大会が続いている。
桜の戦士たち(ラグビー日本代表の通称:ブレイブブロッサムズ)の戦いは終了したけれど、決勝トーナメントはまだ進行中なのだ。

それにしても、本当にラグビーW杯は、スポーツというよりも祭り合戦に近いとおもう。
実際の参加者ではなくとも、その様子、空気に触れるだけで、妙に落ち着かなくなり、血が沸き立つ心地がする。

立派な体格の、鍛え抜かれた兵士のような大人たちが、大声で怒鳴りながら寄ってたかって団子のようにぎゅうぎゅうに固まっている様子や、試合が終わるくらいには誰もがだいたいボロボロのドロドロになっている様子など、いわゆるスポーツと比べるとギリギリアウトな気がしなくもない。
それでも、ルールがあって、審判がいて、みんなでルールを守ろうとしているから、辛うじてスポーツとして存続している。

このあくまでスポーツであろうという姿勢に、
わたしは、大げさにいうとニンゲンの可能性を見ている

あんなに殺しあうようなプレーをしていても、
試合が終われば「お互い」に笑いあい、称えあえる。
こんな健全な暴力性は他ではなかなかお目にかかれない。
ただ同じものを本気で愛している者同士だから、その都度、終わりにして、笑いあえるから、あんなことを続けられているのだろう。

仲間がいて、相手がいて、サポートしてくれる多くの関係者がいて、
全てが揃って初めて「いい試合」ができることを選手たちは知っている。
だからこそ、命がけで戦える。
そのことを喜んでいる。

ニンゲンは、こんな形でもぶつかり合うことができるのだ。
憎悪ではなく、敬意をもって。
武器ではなく、身ひとつで。
殺しあうことなく、それでもただただ本気で。
あらゆる課題に対して、
コミュニケーション通じて解決をはかることができる。
人種も、文化も、宗教も超えて、例え国同士のぶつかり合いであっても。

この、ある種奇跡的なの文化の極み、
ニンゲンの善性の集大成を、わたしはラグビーと、その精神にみる。

ところで、その逆の、ニンゲンの悪性の集大成は戦争だろう。

2023年という、現代にいたってもなお、悲しいほどに戦争は終わらない。
有史以来、多くの人が反対を表明しているにも関わらず、新たな戦争が、あちこちで進行し、また更に起きようとしている。
こうなってくると、どう反論しようとしたところで、ニンゲンは争わなくてはいけない生き物なのだと認めざるをえないだろう。

で、あるならば、もっとこう、うまいことどうにかならんか、と
サステナブルな戦争として考え出されたのがラグビーであると説明されたらわたしは納得してしまう。

時に大きな悲劇を生む人間の暴力性を理性とルールでコントロールし、ニンゲンがニンゲンとしてできる限りのことをやろうとし続ける。
ラグビーに見られるような姿勢がニンゲンの本来の姿であるというなら、人類はまだ捨てたもんじゃないと信じることができる。


今夜というべきか明日の早朝にも絶対に盛り上がることが約束されている、前回大会チャンピオンの南アフリカと、自国開催で初優勝を狙うフランスという、屈指の試合がある。
それでもまだ準々決勝だから、最低でもあと3試合は見られる。

止められない戦争で多くの命が犠牲になっている今だからこそ、ニンゲンの可能性の輝くこのお祭りを最後までできる限り見届けたい。

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