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とりあえず動いてみるクセをつけることについて


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僕は基本的にめんどくさがりでナマケモノで、三日坊主の人間ではあるのだけれど、それでも昔の自分から比べると、だいぶ行動するようになったと思う。

例えば何かやらなくちゃいけないことがあったとして、前だったら「うわあ、やりたくないなあ、めんどくさいなあ、どうしようかなあ」とひたすらグダグダと考え続けて何も動こうとせず、さらにめんどくさく感じてきて、いよいよやらないといけないとなって、しぶしぶながらやるという感じだった。

なので、小学生の時の夏休みの宿題なんかもギリギリまでやらなかったタイプで、むしろ親の方が焦っていたように思う。

とはいえ、そうやってずうっとめんどくさいことからはできるだけ逃げて、行動するということは、なかなかやらないという生き方をずるずると続けてきたわけだけれど、それってなんだかもったいないというのか、自分の限られた時間を無駄にしているように感じるようになった。

これは僕の考えではあるけれど、めんどくさいことってその「めんどくさいなあ」と感じた瞬間が、実は1番にめんどくさくない時というのか、その時に「えいやっ!」とやってしまえば、そのやらないといけないめんどくさいことも完了してそれきりだし、気持ちもスッキリする。

ところが、その「めんどくさいなあ」と感じてからそのまま動き出さずに「やりたくないなあ、どうしようかなあ、でもやらないといけないなあ」とグダグダ考えているうちに、めんどくさいことはさらにめんどくさくなる、というのか作業そのものは変わっていないのだけれど、最初にめんどくさいと感じた時からさらにめんどくさく感じられるようになる。

そうなるとグダグダと「めんどくさいなあ、嫌だなあ」とか思っているためだけに使っている自分の人生の時間がもったいないし、まずは手をつけるというのか、動いてしまえば実はそれほどめんどくさいことでもなかったし、「なあんだ、これならとりあえずやってしまえば良かったんだ」と思うことが多かった。

なので、何かやらなきゃいけないことがある場合、気づいた時は、「めんどくさいなあ」と思うことは思うのだけれど、とりあえず何かしら動くというのか、行動することを意識するようになった。

最初のうちはそれこそ「めんどくさい、めんどくさい」と思いながら動くわけだけれど、これも慣れというのか「とりあえず動く」というのを意識的にやっていくうちに、体が覚えてルーティンのように無意識に、何かやることが目の前に出てきたら、反射的にまず動くということができるようになってきた。

そうなると、目の前のやることはとりあえず動いて完了せていくようになるのでタスクがたまらないし、なんというかゲーム感覚でこのミッションはクリアしたから次みたいな感じで、行動することそのものを楽しめるようになってきた。

そうやって普段からとりあえず動いてみるクセをつけて、行動することを楽しめるようになると、新しいことも始めやすくなるし、行きたい場所に行ってみたり、会いたい人に会いにいくという行動もできるようになったし、そこからまた楽しいことにつながる経験をするようになった。

なので「とりあえず動いてみる」というのは、人生を面白くする今すぐにできるアクションなのだと思うし、そうやって動いてみて自分の人生の瞬間をもっと楽しめるようになりたい。


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