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自己満足と他者貢献について

(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)


昨日、奥さんと音楽フェスティバルに行ってきた。

その音楽フェスティバルのお知らせは、SNSでたまたま見かけたのだけれど、なんとなーく「あ、楽しそうだな、行ってみたい」と感じたので、家から車で1時間くらいの場所だったし、奥さんも音楽フェスティバルに行ったことがないということだったので、行ってみることにした。

ちなみにその音楽フェスティバルは、僕が普段から聴かないジャンルの音楽だったのだけれど、それでも新鮮でとても楽しかったし、お客さんもたくさん来ていて、キッチンカーや屋台もたくさんあって、お昼くらいから夜の6時くらいまで、音楽を聴きながら何か食べたり飲んだりして過ごした。

その日はとても天気が良く、まあまあというかだいぶ暑くて、もうすっかり夏だなあという感じの天気だった。

お昼から夕方までずっと外にいたので、帰るころには暑さでちょっと疲れたけれど、まあいつもできる経験ではないので、やっぱり行ってみてよかったなあと感じた1日になった。

ベンチに座って、のんびりとライブを楽しみながら、ステージで楽しそうに演奏したり歌っている人たちと、その音楽を聴いて楽しそうにちょっと踊ってみたり笑顔になっているお客さんを見ていたら、ふと音楽をこうやってライブで演奏したり歌っている人は、それが大好きでやっているんだよなあと、まあそりゃそうだろうということをなんとなく思った。

そして、自分が大好きでやっているということは、つまりは自分がやりたくてやっていることだから、「自己満足」とも言えることを思いっきりやっているわけだけれど、その音楽を聴いている人たちは僕も含めて楽しい気持ちになっているし、「ああ、いい時間を過ごしているなあ」と感じているわけだから、言葉が正しいかわからないけれど自分を満たすことをしながら「他者貢献」と言えばいいのか、そういうことも同時にしているんだよなあと感じた。

そういう自己満足と他者貢献がちょうど重なるところ、と言えばいいのか「自分が好きで楽しくてワクワクすること」と「誰かが求めていること」が一致するというのは、とても幸せなことだなあと音楽を聴きながら思った。

まあ自分が好きで楽しくて、ワクワクしてやっていることなら自己満足でも十分というのか、そもそも他者の評価がないとしても自分がハッピーなのだから、それでもいいのかもしれない。

僕の場合で言うと、文章もイラストもラジオも自分が好きで楽しくてワクワクするから始めたものばかりであるし、今も続けているわけだけれど、始めたころは、まさか僕のつくった文章やイラストやラジオを喜んでくれたり、何かしらの反応をいただけるとは思っていなかった。

自己満足で言うと、もうバリバリ自己満足なことしかやっていないというのか、自分が好きで楽しくてワクワクすることばかりやっているわけで、それで他者貢献できているか?というとそこまではわからない。

けれど、もし僕が自己満足で、好きで楽しいワクワクの気持ちでつくったものが、誰かの気持ちをリラックスさせることができたり、「ぼく、わたしだけじゃないんだ」とちょっとホッとさせることができたら、それこそ過去の僕が求めていたけれど見つけられなかったものだから、他者ではないけれど、過去の自分をちょっと救えたというのか、役に立てた気持ちになるからとてもとても嬉しい。

ライブで音楽を聴いていて感じたけれど、やっぱりその人の心というのか、魂から出ているものというのは、やっぱり人を惹きつけるなあと強く感じた。

上っ面なものというのか表面的なものというのは、なんだろうキャッチーかもしれないけれど、同じく人の手前までは行っても、そこから先、人の心の奥、魂までは届かないんじゃないかとも思った。

じゃあ僕のつくったものはどうか?というと、自分でも正直よくわからないし、浮かんできたというか、降ってきたものを言葉やイラストにしているという感覚なのだけれど、自分の心、魂から出てきたものであることは確かだと言える。

きっと、これからも僕のやることは、自分が好きで楽しくてワクワクしてやめられない、とてもとても「自己満足」なことだろうし、それが「他者貢献」になるかは、それこそ僕の想像を遥かに超えたところにあるというのか、おまかせして、いつか僕の「自己満足」と「他者貢献」が重なる時が来るのを楽しみにしている。



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