見出し画像

ありのままの自分に自信を持ち、好きになることについて

(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)


なんというかここ最近は、ちょっと落ち着いてというのかひと休みしながら改めて自分を見つめ直しているというのか、「自分てどんなんだっけなあ」とか「自分は今何が好きで何をやりたいのかなあ」みたいなことと、じっくり向き合っている。

前にも書いたけれど、今年はなんというか大きなターニングポイントになりそうというのか、まあこれまでもターニングポイントはあったのだけれど、自分もそうだけれど、世界がまるっと変わっていくような、そんなことが身近でもいろいろと起きていて、「今年はなんだかこれまでの年とは違うぞ」ということを鈍感な僕でもひしひしと感じている。

なのでもうやりたいことは片っ端からやろうと思いながら、思いつきで何かを始めたり、行きたいところへ行ってみたり、会いたい人に会いに行っていた。

けれど、なんだろう、そうやって動いているうちに「何か行動している自分」じゃないと自分を認められないというのか「ただ存在している自分」「ありのままの自分」では物足りない、好きになれていない自分がいることにふと気がついた。

やっぱりいろんな人に会い、それぞれがそれぞれの活動をされていて、やりたいこと、ビジョンがあって「すごいなあ」と思いながらいろんな人に会ってきたわけだけれど、いつの間にかすっかり手放したつもりでいた「人と比べる」ということを、無意識でやっていたのかもしれない。

というのも、そもそもぼけっとしたり、何も考えずにぼんやりしたり(これはいつもそうかもしれないが)のんびりすることが好きというか自分には向いている、合っていると感じている。

けれど、ついつい頭で「何か行動をしないと」みたいに考えていたというのか、特に何もせずじっとしていることが落ち着かなくなったというのか、「ただでさえ自分には特別なものは何もないのだから、動いていないと」みたいなことを、いつの間にか感じてしまっている自分がいることに気づいた。

だから「おおっと、ちょっと待ったあ」というブレーキが心、魂からかかったというのか、疲れが出たのもあるのか、ちょっと体調を最近は崩したりして、休んだりこれまでよりもペースを落として過ごしているし、SNSも普段からほとんど見ないけれど、今はいつも以上に見ないようにして「そもそも、何にもしていない自分でもOK」という感覚を、また取り戻そうとしているところである。

何かしているから、行動しているから、人に語れるような夢があるから自分が好きで受け入れられて認められるのではなくて、「ありのままの自分」で、「ただただ存在している自分そのもの」にOKを出してあげるというのか好きになり、受け入れて、認めることをすっかり忘れていた。

まあそこに今ちゃんと気づけたのだからラッキーだなあと思うし、またこりずに人と比べて勝手に焦っていた自分を責める必要も全くない。

またここからゆっくりと、特別でも何者でもない、ありのままの自分に自信を持ち、受け入れて好きになっていきたい。

ありがとうございます! いただいたサポートは、イラスト集やエッセイ集づくりなどの活動に使わせていただきます😊。