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これからは自分の仕事をつくるしかないのかもしれないことについて


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今さらながらではあるけれど、自分は既存の働き方に向いていなかったのかもしれないなあと思う。

いわゆる、決められた時間に決められた場所へ行って、決められたことを週5くらいでするというのが一般的というか、既存の働き方だと思っていたし、そういう仕事をいろいろ経験してきたわけだけれど、まあ楽しいと感じたことはなかった。

それに、たいてい仕事をしている時はストレスを感じていたし、僕の場合で言うとどこまで行ってもそれは人間関係だったわけで、仕事の内容そのものが嫌だと言うよりは、極端な話、そんなに好きでもない人と長い時間を過ごすことが嫌だったのかもしれない。

はっきりと言ってしまえば、これまで働く、仕事に行くと言うのは、お金を稼ぐためだった。

それというのも、学校を出たらみんなそうするものだと思い込んでいたからだ。

学校を出たらというか、学校を卒業する頃になるとたいてい、みんなそれが普通のように、就職という目的地に向かい始める。

それはもう決まった流れというのか、何も疑うこともなく、特にやりたいこともやりたい仕事もなくても、何かしら「自分に合いそうな」仕事を求人票から探すということをするわけである。

僕は仕事とか働くことに、ほとんど興味を持てなかったけれど、みんながやっているからそうしなきゃいけないのだろうなと思って、仕事を探した。

まあ、そんな気持ちで仕事をするわけだから、やっぱり楽しくないわけである。

それに僕はというと、そういう一般的な会社からしたら「使えない人間」だったのだろうし、いろんな人たちの度重なる理不尽さに「仕事って、働くってこういうものなのかな」と感じながらも仕事に行っていた。

ところが、自分でも思わぬうちにストレスが極限まで達したのか、メンタルを壊してしまった。

その時のことはなんとなく覚えているけれど、自分でも何が起きたのかよくわからなかった。

自分の心と体が別々になっちゃったような感覚、それは初めての経験だったし、とてもショックでもあった。

もう会社の前に行くと、体が震えてしまって、自分ではどうにもできないくらいだった。

しばらく休んだけれど、結局その仕事は辞めることになった。

それから全く違うジャンルの仕事について、数年その仕事をしたけれど、それもいろいろあって辞めてしまった。

それからは短期間のバイトだったり、パートの仕事をやってみるようになった。

とはいえ、そのころは精神的にも不安定だったし、週2のパートでさえも1年が経つ前に、会社に近づくと手が震えて動悸がするという、あの時と同じような経験をして、そこで「ああ、もう自分は普通の働き方はできないのだろうな」と感じた。

世間ではそれが一般的であろうと、たいていの人がキツくてもそれをやっていようと、僕にはその働き方は向いていなかったのだろうし、それでも無理をしたから結局は体が「そうじゃない」と教えてくれたんだと思う。

だからこれからの自分は、自分の働き方、自分の仕事をつくっていくしかないんじゃないかと感じている。

まあそれが何かわからず、今は日雇いの農作業のバイトなどをちょこちょことやりながら、思いついたことはいろいろやっているわけだけれど、気持ちは不安というよりはむしろスッキリしている。

なんだ、みんながやっているから自分もそうしなくちゃいけないと思っていた仕事、働き方は、単純に自分には向いていなかった、それはかけっこが得意な子とかけっこが得意じゃない子がいるように、ただそれだけのことだったのだいうことに気づいた。

僕がやっていたことは、なんというか、ほとんどの子がかけっこができるクラスで、自分はかけっこが得意じゃないのに、無理をしてかけっこができるようになっていただけのようなもの、なのかもしれない。

そもそもかけっこが向いていないのだったら、自分が得意なこと、例えば絵を描くとかそっちをやればいいだけのことである。

無理にクラスのみんなに合わせて自分には向いていない、かけっこをやる必要はない。

だからそんなふうに、これからは自分の仕事を見つける、というよりはつくっていくことがきっと必要になってくるだろうし、そのためにできることはいろいろやってみようと思う。

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