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『人類と病』

都立大の詫摩佳代先生の『人類と病』。サントリー学術賞を受賞した話題の本で、ずっと読もうと思っていたのですが、2021年に入りやっと読むことができました。

以下簡単な気付き_________________________

ペストから新型コロナウイルスまで感染症の歴史を、グローバルな視点から概観する。さらに現代の病である生活習慣病など非感染症に対する国際社会の取り組みを見る。著者があとがきで述べるように、人類が病に対して協力する姿と大国政治の中で病が政治的闘争に巻き込まれる姿が歴史を通してみることができる。

以下二点指摘したい。まず国際政治における「個人」の役割、そして「新しい中世」観についてである。

一点目に感染症との戦いという国際政治において、「個人」の大きな力がみられるということだ。例えば、第二次世界大戦下においても国際協力の重要性を意識し感染症日報を発行し続け、戦後国際保健機関構想にも携わることとなるゴーディエやビロー。また米ソ冷戦下で天然痘をめぐりソ連との軋轢を生まないように腐心したアメリカ人ドナルド・ヘンダーソンや生ポリオワクチンの治験において十分な被験者の確保のために米ソ間の協力を模索したアメリカ人科学者アルバート・セービンとソ連のウイルス学者のミハイル・チェマコフらである。これらの人物なしには国際保健における感染症との戦いはもっと悲惨なものとならざるを得なかっただろう。国際政治の歴史を振り返れば、細谷雄一先生の言葉を借りるのなら「協調の均衡」であるウィーン体制を築いたメッテルニヒやカールスレイ、「力の均衡」を築いた鉄血宰相ビスマルク、ナチスドイツに対する徹底抗戦を貫徹したウィンストン・チャーチル、など多くの顕著な「個人」によって国際秩序は築かれてきた。このような「個人」の役割はやはり国際保健体制においても重要であり、国家をブラックボックスとみるJ・ミアシャイマーをはじめとするネオリアリズム的視座からは見えてこないものだ。

二点目に「新しい中世」、あるいはグローバルガバナンスについて、これらの概念は21世紀にかけて国際秩序はかつてのような主権国家のみによるものではなくてNGOや市民社会などの様々なアクターが封建時代のように活躍するというものだ。このことは国際保健体制において、ほかの国際政治の場面と比べると、より顕著にみられる。例えば保健分野において唯一の拘束力のある条約であるたばこ規制枠組み条約においてたばこ会社の規制に対する反対運動はその発行を難航させたのに対し、NGOなどはそれらに対し健康被害を証明し対抗した。また、感染症分野でワクチンの開発があまり進まないことについて、著者は数回打てばもう打たなくてよいため利益になりづらく、副作用などの健康被害が発生すれば大きな損害となるため製薬会社の投資インセンティブが生まれにくいと指摘している。このような企業内のシステムにより国際保健体制が左右されるというのはあるいみ、主権国家同等の影響力を感染症分野では製薬会社が持っていることの証左となろう。しかし、より歴史を深く見れば、この現象は全くの新しいものというわけではなく歴史の連続の中にあるとも見て取れる。というのもペストやコレラの時代においてその治療法の一つとなったのはキリスト教教会であり、国家ではなかった。もちろんアクターの数は現在の方が比較にならないほど多いが、まさに黒死病が流行した中世の封建システムが、現在も引き継がれているとも解釈できるのではないだろうか。(この点において私は「新しい中世」という言葉はグローバルガバナンスよりも優れていると思います。)

以上国際保健の歴史の中で「個人」そして「新しい中世」について指摘したが、この二つからいえることは、陳腐な表現ではあるが歴史の重要性である。技術が途方もなく進歩しても、経済的相互依存がグローバルな規模で広がっていても、確実に人類は歴史を一歩ずつ歩んでいるのであってそこから飛躍することはできない。それは新型コロナウイルスのパンデミックがこれまでの感染症との戦いと同じく大国間の政治的闘争と、グローバルな協力という二つの間でもがいている姿から容易に見て取れる。今回のパンデミックに対する評価は歴史がのちに示してくれるであろうが、少しずつでも進歩したといえる対策を取ることができたといえるものであったらいいなと感じた。


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