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終わる悲しさより始まりが楽しみな理由
「春からの新生活が楽しみだね」
こういった言葉を最近よく耳にします。そして自分もよく言ってます。
でも「何かが始まる」ということは「何かが終わる」のです。
自分の場合は2000年から始まった学生生活が終わります。終わるとあっという間ですが、ぴったり20年間。保育園も入れると、、何年に入ったか忘れたので良いか。でも20年以上続いた学生生活が終わってしまうのです。
これって今25歳の自分にとってはすごく大きいことだと思うんです。何なら悲しいことだと思うんです。
なのに呑気に「春からの新生活が楽しみだね」と口にしています。俯瞰してみるととても不思議です。
「自分の選択は間違ってなかった」
よく考えたら、自分はこんなこともよく言います。今自分が置かれている環境がとても幸せな環境だと。改めて自分で文字に起こすとムズムズしますが、悪いことでは無い気がします。前向き、、というのか。ん〜ムズムズしますね。
ただ、人生を振り返ると決して簡単な選択ばかりではありませんでした。というより、よくよく考えたら自分は選択をしていなかったかもしれません。難しすぎて選択を諦めてたかもしれません。
でも自分の選択は間違ってなかったと思っている。ん〜なぜだろう。そもそもどう思ったら選択は間違ってなかったと思えるのだろう。
「○○って良い学校 / 会社だな〜」
こんなことを思った数年後に自分はその学校や会社に入ることが多いです。でも、そう思った時って到底そんなこと叶わないと思っていて。能力的にも立場的にも経験的にも。雲の上の存在というか、そこに入った人たちはヒーローなんだくらいに思ってました。なれるもんならなってみたい!みたいな。
でも人間って不思議なもんで、多分素直に良いなと思ったことって心にずっと残り続けてるんです。だから少しでも「あれ?自分今調子いいんじゃね?このまま行けば成長しちゃうんじゃね?」って思ったらいつもよりちょっと頑張れちゃうんです。そんで理想の自分にちょっとずつ向かって行っちゃうんです。あとはどれだけ自分をよいしょ出来るかみたいなとこですね。
そう言った素直さと少しの調子乗りみたいなのが積み重なって出来ているのが自分だと思います。
「春からの新生活が楽しみだね」
では改めて、続けてきた生活が終わってしまうのになんでこう思うのかって話です。それは自分、もしくはあなたがなりたい自分にさらに近づけると思えるからではないでしょうか。なりたい自分に近づけるのに、そこで足踏みする理由はありません。
自分も大学院に入った時は、大学院に入ることでなりたい自分に近づけると思ってました。でも今は入社予定の企業に入った方がなりたい自分に近づけると思っています。だから楽しみです。
つまり、長く続いた生活が終わってしまうのにその悲しさよりも新生活への楽しみが勝つのは「なりたい自分」に近づけるからだと思うんです。そして、なりたい自分へ近づけると思えた選択を間違っていなかった選択というのではないか、と思っちゃいました。
「親は自分にとって永遠のヒーローです」
また、文字にするとムズムズするんですけど、じゃあ自分にとって次の「なりたい自分」って何なのか。それは親です。自分が置かれている環境が幸せだと思えるのは親のおかげだと思ってます。自分の人生は決して幸せなことばかりではありませんでした。小中学校はほとんど不登校だったし、人生って難しいなって何度も思いました。でも帰ったら親がいて、何か相談したらきちんと答えてくれて、いろんな悩みを解決してくれました。だから、総合的に見て「自分が置かれている環境が幸せだ」と思えたんです。
将来的に結婚が出来るか、子供が出来るかなんてまだ分からないですが、「自分の親って良い親だな〜」って今は思ってます。なんか変な言葉かもしれない笑
でもこの25年間、全てを支えてくれて素直に過ごせたのは間違いなく親のおかげです。長かった学生生活は終わりますが、そこで得たものを存分に発揮して今後も「良いな〜」って思えるヒーローになり続けられたらと思います。
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