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ギャンブル好きは本能?〜「きのこ狩り」と「山菜採り」を通じてなんとなく理解が深まった話〜

きのこ狩りと山菜採りとギャンブルと

昨年の夏、とある場所で山籠りをしていた時のことだ。宿の若旦那が連れられてときのこ狩りに出かけた。
きのこ狩りをするのは人生初だったのだが、これが面白い。今にも熊が出てきそうな道を歩きながら、きのこを探す。

「きのこ狩りはやめられないね」
歩きながら若旦那が言う。
「山菜採りよりも格段に面白いよ」

これは面白いと思った。きのこ狩りも山菜採りも大自然の中を歩き回り、山中で食物を得るという点では同じなのにその面白さには違いがあるらしい。

「何が違うの?」
そう尋ねると、
「そうだなぁ。山菜は毎年どこで取れるか分かっているけど、きのこは分からないからかな。」
と、若旦那は返答した。

なるほど。きのこ狩りがより面白いのは、きのこがどこに生えているのかわからないからか。目を凝らしながら、道なき道を歩き続け今か今かと待ち続けていると、突然お目当てのきのこと出会う。まるで宝探しをしているかのようなドキドキ感があるわけだ。

タマゴタケ
松茸

どこかで聞いたような話だな。そうだ、ギャンブルをしている人たちだ。
ギャンブルに向き合う人間の心理ときのこ狩りを楽しみにしている人間の心理にはどこか共通する部分があるのではないかと考えついた。
そんなこんなで色々調べてみると2つほど面白いワードと出会った。「射幸心」と「間欠強化の法則」だ。

射幸心、間欠強化の法則

射幸心

Wikipediaによると射幸心とは以下のようなものらしい。

射幸心(しゃこうしん)とは、偶然の利益を、労せずに得ようとする欲心。まぐれ当たりによる利益を願う気持ち。

射幸心

小難しいことを言っているが、ようはラッキーしたいなという感情のことだ。

「セット引けないかなぁ…」
ポーカーをプレーしたことがある人なら誰しも一度は考えたことがあるのではないだろうか。

ポーカーをしていなくても「宝くじ、当たらないかなぁ…」そう願って年末ジャンボに手を出す人は多いのではないだろうか。
そういった幸運との僥倖を願う感情を射幸心と言うらしい。

間欠強化の法則

アメリカの心理学者バラス・スキナーが開発した「スキナーボックス」という装置を用いた実験がある。箱の中にネズミや鳩を入れて実験を行うらしいのだが、その内容は簡単にまとめると以下だ。

A. ボタンを押すと、エサが出てくる
B. ボタンを押しても、エサは出てこない
C. ボタンを押すと、エサが出たり出なかったりする

A, B, Cの実験のネズミのうち、ボタンをたくさん押すようになるのはどのネズミだろうか?
答えはCの実験のネズミとのことだ。Aの実験のネズミは「ボタンを押すとエサが出てくる」と学習するためやたらめったらボタンを押すことはない。Bの実験のネズミは「ボタンを押してもエサは出てこない」と学習するためボタンを押さなくなる。
一方Cの実験のネズミは押せばボタンが出るかもしれないという希望からボタンを押し続ける。
つまり動物は、ランダムに報酬を与えられる場合、あきらめずに行動を繰り返すようになるということだ。


ギャンブルに向かうという性質は本能に近い

人がギャンブルに向かってしまうというのは、一部のギャンブル好きの問題なのだろうか?僕にはそうは思えない。

お祭りのテキ屋のクジ、ソーシャルゲームのコンプガチャ、カジノのゲームetc. 周りを見渡せば、人間の射幸心をハックし、やめられないように適度に報酬を与える(間欠強化の法則)ことでお金を稼ぐサービスが腐るほどある。

先の、きのこ狩りが山菜採りより楽しいという論は、運良く良いきのこが見つからないかなぁと射幸心が刺激され、適当な頻度で見つかることから説明できそうだ。僕がよく見るカジノの客だけでなく、普段全くギャンブルをしない宿の若旦那でさえそうなのだから、そもそも人間には射幸心があり、ランダムな報酬に動機づけられるという性質があると考えても良さそうである。

推測でしかないがギャンブルを好む性質を持つ個体は、種の生存戦略に役立ってきたのかもしれない。未知の領域を探索は危険が伴ったはずだが一定のギャンブル好きがいるおかげで新たな猟場を得られ種の繁栄に繋がった。そんな物語が生物史にはあるのかもしれない。


終わりに

最後に「ギャンブルが好きとはどういうことか」への解像度が少し上がったところで対策も考えてみる。ギャンブル依存症の専門家でも何でもないのでその点はご留意いただきたい。

相手が本能であるならば、相当な自制心がなければ起動した時点でコントロールするのは難しいと考えられる。そして止めたいはずだったのにギャンブルをしてしまった場合に、ギャンブルが好きな自分に大して自己嫌悪に陥り責めたって仕方がない。それは本能なのだから。「なんで私はお腹が減るんだ!」と責めたところで意味がないのと同じだ。

とすると、理性が働いているうちに、本能を刺激しうる周囲の環境を操作して対策をするのが良いのではないだろうか。ソシャゲやSNSのしすぎを止めたいなら、そもそもスマホからアプリケーションをアンインストールする。ギャンブルに使うお金を減らしたいなら賭場に行く頻度を下げればいい。そもそも誰かに財布を握ってもらうというのも一つの手かもしれない。
食欲自体を断つのは無理だから、そのコントロールのためにお菓子を家に買い溜めしないようにするのと同じだ。


「そうだ理性が働いているうちだ。」
スーパーでポテトチップスを買うか買うまいか悩んでいたが、そう自分に言い聞かせてなんとか帰路についた。
帰ってプロテインでも腹の足しにしよう。

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