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AIはどこまでいくと聖域を犯すのか

先日行った森美術館での
未来と芸術展にいってきました。
日曜だったからか子供連れも多かったです。
わたしもよく父に美術館に連れて行ってもらいましたが、今回で言うとところどころ参加型だったりポップなものもあるので子供もガヤガヤと楽しんでいました。(後にも書きますが、ただ観た後わたしは胃もたれのような不気味さがずっと残ってトラウマものだな、と思いました)

人間はどこまでAIの介入を許し、どこまでいったら聖域を犯してしまうのか。もうすでにAIの介入が怖く不気味さを感じる展示会でした。

最後にわたしが読んで
ドキッとした解説文を載せておきます。


(気分の建築)は、現代科学が提示する、 人間の身体性を生理学と化学平衡を通して読み直すための潜在的可能性に基づいている。この仮説は、バイオテクノロジーによって、「動物的身体」の感情の処理と神経化学とを触知可能で理
解可能なものにする試みであり、私たち自身の病理、 脆さ、 傷つきやすさ、 私たちのバトスや主観性、つまり私たちの魂(プシュケー)や無意識から新たな論理や新たな建築の条件を作り出すために、 ある状況ないし環境に私たちを直面させることで「動物的身体」の適応性、 共感能力、 感情移入についての情報を提供してくれるのである。

アニミズム、生気論、 機械主義である(気分の建築〉は、 未知なるものに直面
する必要性を、コンピューターや数学による判断を用いるという矛盾したやり方で表現し直すのだ。 それは 「マルチチュード(群衆)」を、その鼓動と異種混合性において発生させ、 諸関係の組織に基づいた社会的プロトコル(規約、
約束事)を生み出す。 そのブロトコルを構成するのは、 コードと人体組織の双方から「近親相姦的に」 同時に作られた、 アナログでありデジタルでもあるデータ

あ〜気分の構築もAIが進むとできて
『近親相姦的』なコードと人体組織の双方からできるデータなのだと思うとざわざわしました。


#AI #森美術館 #気分の構築 #未来と芸術展