「語笑」

 友人が2件目の家を借りた。

普通家を借りるときは、不動産屋に行き、内見をし、諸条件を確認して契約書に判を押して使用許可を得る。2日で済む話だ。金を払えれば基本的には借りられる。

彼は大学の前の酒屋の角打に通った。何回も通って、大学の先輩や、街に住んでいる人と酒を酌み交わし、身内になっていった。その中で、自分のやってみたいことを人生の先輩やときには後輩たちにもぽつぽつと伝えていったのだと思う。そして、地元を盛り上げる活動をしている人たちを見つけ、信頼の糸に手繰り寄せられて、お祭り男たちと出会った。お祭りの手伝いに行って雨に降られたり、地域の運動会に僕ら友人を引き連れて参加したりして、地域を楽しんだ。楽しむことを教えてくれた。

その結果としての、家である。最初にお客様として家を探し始めてから、一年以上が経っている。お金を払う「だけ」では手に入れられなかったものだ。もちろん多くのご好意を頂いているが、サービスを受けているわけではない。一緒に街を作っていく仲間として、一つ認められた証なのではないだろうか。家を借りるというサービスの「消費」を目的とするならば、面倒くさい遠回りである。けれど、これからまちに参加して、ともにつくる第一歩としてならどうだろうか。契約書を貰った日、そこにあった笑顔はただ家を借りるプロセスを踏んだやつの顔じゃなかった。これからどれだけでも笑顔をつくれる顔だった。

彼が町屋にいる。「語笑」がそこにある。そのことが、みんなの頭の中に根付いていく。そんな道を一緒に作らせてもらえたら、こんなに嬉しいことはない。僕はいろいろ目移りしてしまうけれど、どんと構えてここにある場所が、近くにあってくれることがとても頼もしい。

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