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じいちゃんは僕を呪わない

サスペンスを見ながら寝ている。寿司は好きなネタだけ食べて後はくれる。ばあちゃんの散歩の誘いは断るのに、ゴルフのための筋トレはする。そんなどこにでもいる90歳が、僕のじいちゃんだ。いまだにゴルフをフルラウンドで回る、ちょっと元気なおじいさんでもある。

じいちゃんはとてもよく僕のことを見てくれている。

大学1年の夏(一回目の方だ)、東京の地理について話をしていたら、
「やっと話ができるようになったな」
と言われた。
「ずっと話してたやんけ」
当時の僕には意味が分からなかった。

6年後、家を出ていた僕は帰省したときに久しぶりに6つ下の弟と話をした。
「やっと話ができるようになったな」
そう思った。

19になる夏に人と話ができるようになる。僕ら兄弟の2つめの似ているところ(1つ目は電話越しの声)。相手の話を本当の意味で聞くことができはじめる年だったんだろうと今は思う。


昨夏、医学部に入り直して2年目。大学内外で活動を始めていたころに、1人でじいちゃんに会いに行った。正直なところ、僕は疲れていた。今やっていること、成し遂げたいことについて聞かれる日々。ありがたいことだったけれど、誰かに面白がられる何かをしなければいけないのではないか?という、初めての感覚に慣れていなかった。

じいちゃんは、開口一番
「いい目をしている」
とだけ言って満足そうに頭を上下に揺らし、そしてお気に入りの焼酎を呷った。


先日、卒寿のお祝いに家族で旅行に出かけた。僕は迷っていた、、、のだと思う。今、自分が選んでいる道を正解にしていけるのか。相変わらず少し疲れてもいる。

旅行前日にじいちゃんの家の前でBBQをしていると、
「うん、いい顔をしている。そのまま行け」
と、感極まったような目をして言った。
「金髪でも顔はちゃんと一緒だな」
とおどけていたけれど。

じいちゃんはいつも僕のことをよく見てくれている。呪いをかける言葉ではない。目を、顔を、纏う空気をよく見て言葉をくれる。

澄んだ言葉を僕にくれる。

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