比較するために必要なこと

比較。私たちは、毎日何度も何かを比較し、判断を繰り返しています。その判断の結果として今がある。ほとんどの場合、判断する前にどれが良さげか、メリットがは何か、ダメージとして何が考えられるかなど、意識するしないに関わらず、メリットとデメリットを天秤にかけて比較をしているはずです。今回は、この「比較する」ことについて考えます。


例えば今話題のワクチン。接種するかを判断する時は、明確にメリット、デメリットを意識するのではないでしょうか。ワクチン接種による直接的恩恵・リスクの比較は勿論のこと、実は受けることによって「自分は接種した!」と周囲に言えることをメリットと考える人もいるでしょう。受けなで感染してしまうことを恐れ、受けないことをデメリットと感じる人もいるかも知れません。(ワクチン接種していないと肩身を狭く感じる人がいるので、効果に関わらず接種をメリットと考える人は必ずいるはず)

しかし、判断のための「比較」が、実は比較になっていない、比較すべきでないことを比較している(つもりの)こともしばしば起こります。

例1:有名な例では、「心筋梗塞で死亡した人の95%がこの食品を食べていた。」という話があります。これでこの食品が危険だ、となりますか?

例2:もう1つ、難しいかも知れないのが、とある有名大学近くの不動産屋さんには「毎年お申込み頂いた受験生さんの合格率は(通常の合格率より高い)72%を超えています」と書かれているという話。これを読んで、受験前に下見に来た親御さんが、じゃあ契約しようか、と判断する場合があるようです。

この2つの例であげた95%、72%は、いずれも正しいのでしょう。正しかったとしても、この食品が危険かどうかはわかりません。契約したからといって合格率が上がるわけでもありません。

問題は、比較すべきでない対象を比較してしまったから起きたことです。最初の例では答えは例えばお米。日本人なら多くの人がお米を食べています。95%という数字が正しかったとしても、心筋梗塞にならなかった人も恐らく95%位の人がお米を食べているでしょう。そもそも数値に差がない訳です。危険だ!というならば、心筋梗塞になった人だけが持つ(または持たない)特徴を言わなければ意味がありませんね。
2番目の例は、事前に契約する人は元々自信がある人だろうと考えることで理解できます。自信がある人の方が合格率が高かった。それだけです。通常の合格率より高い数値を示されたから契約し、合格率アップを期待しても無駄でしょう。これは数学では条件付き確率として知られるものです。


以上の例からもわかるように、比較するからには必ず比較対象があります。正しい比較対象と比較をせず、比較すべきでない対象と比較をしてしまうと、結局判断を間違ってしまうのです。

そして新型コロナウイルス関係の情報では、比較すべき対象以外のものと比較をしてしまう、という例が非常に多くなっています。

その代表が「後ろ向きの評価」です。最近、ワクチン接種後の感染リスクに関していろいろ議論されていますが、その多くがワクチンを接種した人、しない人での評価となっています。しかし、接種した人、しない人は、元々何かの理由があって接種したりしなかったりを判断しています。同じ条件での比較ではないのです。「後ろ向きの評価」の問題を知らずに議論しても(実際そのような例は多い)、結果は参考程度にしかなりません。例えば「重症者の6割がワクチン接種者」と言っても意味がありません。
25人中24人がブレイクスルー感染」も同様です。接種後にクラスターが発生したという事実としては重要です。しかし関係者がほとんどすでに接種済みだったとしたら、この数値から接種した方が感染しやすいなどとは言えません。(情報不足なので、わかりません)

これら例は、上の不動産屋の契約と同じ構造です。


本来、ワクチンの有効性を調べる時は、RCT(ランダム化比較試験)でなければ意味がないのは、これで理解できると思います。


何かを比較する。比較して判断する。常々我々が行っていることでしょう。しかし、比較すべき対象と比較できているのか。データの元はどのように選ばれたのか、評価が後ろ向きではないかを、常に意識したいものです。