なぜ話がかみ合わないのだろうか(2)

少し前、「なぜ話がかみ合わないのだろうか」を考えて、話の前提が違うと書いてはみた。確かに前提は違うと思うものの、しっくりこない。

そんな時、衝撃的な説明を聞いた。そもそも自分の意見などなく、世の中のトレンドから背をむけているからかっこいい、とだけ感じて行動する人がいる、という話だ。内容など関係ない。世の中と逆のことをやっている自分ってかっこいい!それだけだ、と言うのだ。

例えば、「テレビで報じない、ネット上でもすぐ消されてしまうような情報を知った」「自分とごく少数の人だけが知っている」。消されるのだからこそ、この情報は正しいはずだ。俺らは気が付いた。知ってしまったからにはもう元には戻れない。多くの人はこれに気付かない、気づこうともしない。俺ら、すごいだろう!

このような思考回路なのだと。

このような思考回路で物事を考えると、以下のようなことが起きる。

多くの人がマスクをしている。マスクなど不要だ!そもそもコロナなど風邪の一種なのだから。5類は不要。だからPCR検査も不要。そもそもPCRは偽陽性が出る。
国がワクチンを推進している。ワクチンなど打ってはいけない!死亡例や後遺症が出ている。そもそもコロナは人工的に作られた、コロナもワクチンも人口を減らすことが目的だ。
世の中、ロシアへの侵略に対する反対ばかり。アメリカも悪い。ロシアにも一理ある。

全て、先に大多数の人が信じたり推進する事柄があって、それと真逆の意見を採用する。その後、説明する理由を探している、という共通点があります。(先日「部分切り出しの怖さ」に書いたように、自分が欲することを選んで切り出しせば、いくらでも期待する内容を探すことができます。)

つまり、このような思考の前提は、世の中の逆こそが正しい、となるのでしょう。

このため私が前提として意識している点、

 (1) 事実認識:わかないことをわからないと認める
 (2) 不明なことへの対応:わからないことをわかないとして扱う

とは全く思考が異なる訳です。先に何かを事実だと決めている訳ですから、事実認識について議論できる訳がない。それが不明なことだと思っていないから、わからないことをわからないということを考えさえしない。

議論がかみ合うわけがない、同じ土俵で話ができない、とはこういうことなのか。。。


でも、自分達だけが知っている真実、そう簡単に見つかると思いますか?

そして最近見つけた記事「不正確な情報はやさしい 」では、「嘘はもっともっとやさしい」と書かれていました。確かに。自分でも理解できた!も気を付けたいものです。


・自分が簡単に理解できたことは、本当か?と疑ってみる
・自分だけが知っていることなど、普通は存在しない
・何かを勝手に事実だと思い込んでいないか、考える
・自分の意見に合致する情報ばかりを探してないか自問自答する
・わかないことをわからないと認める

まずはこれが前提になると思います。