予算委員会答弁を聞きながら、日本書紀に思いを馳せる

参院予算委 令和3年度補正予算案(2021年12月17日)の午後最初の質疑。国民民主党足立信也議員(医師)の質問と答弁(約15分)を聞きました。質疑では、データを大事にしている、していないの意識の違いを感じました。特に政府は統計を大事に扱うべき立場でありながら、そして「建設工事受注動態統計」不正の発覚直後であるにも関わらず、やはりデータを大事に扱おうとする気配が微塵もないようです。1300年の伝統には、負けるしかないのか…

Qが足立議員の質問、Aが厚労大臣または総理の回答です。大体の意訳です。

まず、質疑の概要:
Q: 感染者が減った。理由は?
A: わかっていない。ワクチン、三密回避の可能性。
Q: 第5波で急速に減ったのは感染者?有症状者?
A: 減ったのは感染者。
Q: 感染者数は少ないが、検査が少ない。検査が増えれば感染者が増える可能性がある。潜伏期、無症状者を調べていないことは問題。
A: 陽性、陰性でも検査で判明した・・・が数字。(意味不明)
Q: 行政検査でPCR陽性者が減った。発病率(発症者数/感染者)は出せる?
A: 発生届が出された感染確認者の中なら把握可能。
Q: 発症率は出せるか?
A: 7月~10月までの発症率、ワクチン接種者40~50%、未接種60~80%。
Q: 日本の検査対象は、有症状者&濃厚接触者、無症状者がわからない。
A: できる限り答えたいが、すべての国民の検査をしているわけではないので、そういうこと。
Q: 実際の感染者数に対する重症化、死亡の割合は、わからないのか?
A: 言葉の定義による。報告義務の中ではわかる。それで政府は対応。
Q: サンプリング調査であることが明らかになった。
 無料検査をすると言うが、この結果は感染者数に反映されるか?
A: 行政検査に加え自費検査も協力を得られた所を含んでいる。
Q: 現状は、PCR検査を行政で受けた後での数字。
A: 民間検査等で陽性となったものも、あわせて入れている。
Q: 実態とは違う。多くの人がわかっている。胡麻化してもしょうがない。
A: 減った理由。ワクチン、発症率が減ったから。感染者ではない。
Q: 免疫2種類。抗体は落ちる。15か所/30か所の変異。
 抗体を持っているかを調べる抗体検査は無料検査に入るか?
A: 入らない。
Q: 多くの人が困っている。自分の抗体価が不明。やらない、は決定か?
A: 検査を行うことによって、・・・・(意味不明)
 目的は感染蔓延防止。政府がやるべきことではない。
Q: 不安は自分の状態がわからないから。
 データがきちんとあって判断できることが重要。
Q: 大分県。国が統制管理するより、体制を改めるべき。
A: 接種券でブースター接種を考えている。無くても認める。
Q: 検疫は一時しのぎ。従事者の確保は、公立ベッド数は3割しかない。
行政と医療関係者のコミュニケーションが大事。何をすべきか?
A: (グダグダ発言でよくわからない)
Q: ウイルスの特性。コロナは2週間に1回。季節性のインフルエンザに近づいている。感染症法上、コロナだけ自己負担なし。出口戦略は?
 いずれにしても手洗い、マスク、換気が大事。

以上でした。

足立議員は日本のコロナの蔓延状況がわからない、特に陽性者数が見かけ上少ないがPCR検査も少ない現状では、無症状者の感染状況がわからないことを前半の質疑の中心に据えています。そして感染状況の把握には、もっと広い範囲でPCR検査をすること、自主検査なども含めること、ことの必要性を述べています。さらに安心のためには、各自の抗体が十分機能しているかを把握できるようにすることこそ、安心が得られる、と主張しています。

一方の答弁。無症状者の感染状況は把握できていないことは認めつつ、PCR検査を増やさない理由をグダグダ。数字は上がって来たもの(つまり報告された”サンプリング”の結果のみ)を使って判断している。また、抗体価の検査も国がやるべきことではない。

どちらがデータを大事にしているかは一目瞭然。

一番重要なのは、政府こそが定量的データを集める仕組みを作ることができる立場だ、という点です。にもかかわらず、自治体から上がって来たものを使う、という。責任から逃げているとしか言いようがありません。(この状況は、去年から一歩も進歩していない)

定義と正確な数字がなくてば、本当の議論はできません。最低限、このような共通認識がある人となら、議論できます。


ところでなぜ、日本ではデータを大事にしないのだろうか。
歴史上、日本では記録が大事にされて来ませんでした。権力側が都合の良いように歴史を編纂するのが当たり前。日本最古の正史「日本書紀」(奈良時代、西暦720年)からの伝統。歴史を都合よく書いて構わない。この感覚が明治以降も生きていて、データが願望によって書き換えられることが当たり前になっている。時々こんなことを考えています。