拝啓、キングコング様。
自分が芸人でもないのに、こういう表現はいささか違うのかもしれない。
でも、おかげで漫才が好きになれた。 そして関西が好きになった。
〈漫才の原点〉は、彼らだった―
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20年くらい前、少しだけ関西に住んでいた。転勤等ではなく自ら決めた“移住”だが、初めての関西―。最初の一年は、正直アウェイ感しかなかった。 周りは皆、いい人達ばかり。日常生活においても特に何が嫌ということもなかったが、関西特有のコテコテの文化(という表現が正しいのかどうか)だけは、どうも馴染めない。 住み始めて数ヶ月が経っても、例えば朝テレビを付けて、関西ローカルの番組が目にとまると「そういえば今、関西にいるんだった…」と思う。(要は、なかなか慣れない) だから、休みのたびに地元に戻っては「こっち(関東)の方がやっぱ性に合うわぁ」と、いつも再確認していた。
そんな折、転機となった一つの《漫才》。
週末の午後。何かの新人漫才コンクールのようなものだったと思う。 何となくテレビを付けたまま部屋の片付けをしていた時、ふと手が止まった。
何これ、かっこいい...
テレビにはキングコングの二人。 気付いたら、彼らの漫才に釘付けになっていた。
自分の中で、それまでの漫才のイメージは ベテランの方の、いわゆる“しゃべくり”芸。 お笑いといえば、ほぼバラエティかコントにしか親しんでこなかった中で、同世代の若い人達(キングコングに限らず)が漫才をやっていること自体も新鮮に映った。 動きとかボケツッコミだけじゃないスタイルとか、しゃべり以外の部分も「結構自由なんだ...」と。
漫才って、なんか面白そう...
それ以降、関西に対して抱いていた「壁」は、一気に崩れていった気がする。 観るのは関西ローカルの番組ばかり。 休日には関西の色々な街に足を運ぶようになり、地元に帰ることもほとんどなくなった。
そして、時同じくして『M−1グランプリ』の放送がスタートする。 当時観ていた芸人さんの活躍もあり、関西を離れた後もそれぞれの年に思い入れのある大会となったが、 唯一、自分事のように緊張したのが、2007年。 決勝の三組は、正座して観た。 ...悔しかった。
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お二人のお笑い以外の活動にネガティブな印象を抱いたことはなくて、 梶原さんは芸人YouTuberの先駆者的存在だと思うし、西野さんの絵本作家としての成功は、まさに才能と情熱の賜物なのだろうという憧れでしかない。 バラエティでの知名度が、ともすれば足かせにもなるんじゃないかという懸念を物ともせず、味方を増やしながら我が道を突き進む潔さは、羨ましさと同時に多少の嫉妬すら覚えた。
今日、テレビで芸人としてのお二人を拝見する機会はほとんどないとしても、活動を現在進行形で知ることができるのは、ネットの時代で良かったなとも思う。 とはいえ、今でも西野さんに対しては、ビジネスの知恵やノウハウを享受することへの興味よりも、やはり純粋に「人」としての興味―。個人的には、それに尽きる。 だから肩書が変われど(そんなものがなかろうとも)ずっと気になる存在であり続けていくのだろうし、今後も陰ながらお二人を応援していきたい、その気持ちが変わることはないと思う。ただ...
『吉本キンコンSHOW』を聴いてたあの頃、
ポスト・ダウンタウンは、キングコングだと信じていた
その思いは、20年の時を経てちょっとだけ(否、かなり)裏切られた感はある。(笑
...まあ、ウォルトディズニーになりたい人にとってみれば、大衆のこんな思い出話は、味の無くなったガムみたいなものなんだろう、きっと。
でもなぁ。
この前、マンションの玄関前に留めてた俺のバイクに 知らんおっさんが勝手にまたがっててさ、
西野「ちょっ、何?何??何でそんなことしてんの!?」
おっさん「...カッコイイから。」
そんな関西時代の他愛もないラジオ話、大好きだったなぁ。