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月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚 第二話 タイコたたきの夢

オルランド公国南端―― エンヒェンブルグ

 ぴかぴかに磨かれ、胴が真っ赤に塗られた太鼓《ドラム》を抱えた軍楽隊が、何列も縦隊を組んで行進していった。

 綺譚蒐集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツはソファに座りパイプを吹かしながら、ホテルのバルコニーから軍事パレードを眺めていた。

「あれだけ綺麗に揃って演奏するために、どれだけ時間が費やされたのかな」
「そりゃ、練習は熱心にやってるんだろうさ。それが仕事だからな」

 メイド兼従者兼馭者のズデンカは、ひどく真面目に答えた。

 エンヒェンブルグはオルランド公国五指とは言わないまでも、十指のうちに入る主要都市だ。

 先日、ルナとズデンカが発ったボッシュから更に南下した場所に位置する。

 陸軍第三師団が軍事パレードを挙行するので、ルナはこの都市にどうしても寄りたいと言ったのだ。

「知り合いが来ているんでね」

「男か、女か?」

 ハッとしてズデンカが訊いた。

「女だよ」

 とたんにズデンカの顔は曇った。

「軍人の女かよ。珍しいな」

「まあ、軍医なんでね」

 敗戦後、独裁国家スワスティカは三つに分かれた――オルランド公国、ヒルデガルト共和国、カザック自治領――以来十年。

 複雑怪奇な構成を持つスワスティカ軍は解体され、新たに三つの国で陸海軍の編成が行われたが、芳しくはない。スワスティカを破った連合軍側から軍縮要請を受けているため、あまり拡充は出来ていないのだ。

 当然、政治や軍の要職にもスワスティカに国を追われた者が多く返り咲くことになった。

「彼女はシエラフィータ族でもあるからね。わたしと同じだ」

 スワスティカによって大量虐殺にあった民族、シエラフィータ。連合軍に解放された後は一転して世間で持ち上げられる存在となっている。ルナもその一人だ。

「ルナ、身体は?」

 ホテルに着いてから体調を崩したルナを心配して、ズデンカは訊いた。

「もう良くなったよ」
「じゃあ、さっさと済ませようぜ」

 嫌なことは早く終わらせたいと思うズデンカだった。

「ちょっと待って、下で何か騒ぎが起こっているようだよ」

 確かにたくさんの人の慌てた声が聞こえてきた。

「ズデンカ、行ってきて」
「あたしがか?」

 ズデンカはめんどくさそうだった。

「まだ、体調が悪いんだ」
「お前、さっき良くなったって言っただろうがよ!」

 そうぼやきながらもズデンカは歩き出した。
 
 階下に降りてみれば何と言うことはない、よくある酔っ払い騒ぎだと言うことが分かった。

 玄関の階段に小柄で腕の細い兵士が一人、瓶を片手に寝転がっていた。その腰には行進していた者たちと同じ、太鼓が据えられてあった。
 
 小綺麗なお客ばかりのホテルのためか、騒ぎになっただけのようだ。

「なんだつまんねえ」

 遠巻きに眺めてズデンカはつぶやいた。

「面白そうだね」

 ルナが傍に立っていた。

「しんどいんじゃなかったのかよ、っていうかただの酔っ払いだぞ」

「軍楽隊だろう。さっき話題にしてたじゃないか。インタビューしたいね」
「酔っ払いにまとも話は訊けんぞ。世間知らずだな」

 ズデンカが止める間もなく、ルナは兵士に近づいた。

 制服はよれよれで半ば泥だらけだった。髪はぼさぼさで何日かは風呂に入っていないようだ。年頃は若く、まだ十代後半といったところだろうか。

「あー、頭いってぇ!」
「君はどこからやってこられたんですか?」

「陸軍第三師団軍楽隊所属!」
 
 酔っ払いは大声で怒鳴った。

「誰だよ一体! 俺はどうなろうが知ったこっちゃないんだよ! 放って置いてくれよお!」

「わたしはルナ・ペルッツ。旅をして回っている者です」

「あー、ペルッツ。シエラフィータの女か。俺はハンス。どこにでもある名前だろ? クラスで三人も被るやつがいたよ」

「なるほど、君は平凡に思われたくないんですね」

 ルナはクスッと笑った。

「平凡だからなんなんだ!」

 ハンスは怒鳴った。

「おめえ軍務はどうしたよ? 一人サボってると営倉入りだろ?」

 突如割り込んできたズデンカがハンスの胸倉を掴んで吊り上げた。

「そんなもん……どうでもいい」

 ハンスは首を背けた。

「こちらはメイドのズデンカです。ぜひ、君とはお茶でもご一緒したいですね。ホテル内の喫茶室で一服しましょう」

 ルナはパイプを取り出した。

 ズデンカは周りの目が気になった。

 さきほど、玄関口で自分から騒ぎを起こしておいて気になるというのも変だが、喫茶室のソファに腰掛けたぼろぼろのハンスを見やる周囲の視線はあまり芳しいものとは言えなかったからだ。 

「俺は音楽家になりたいんだ。だが、兵隊なんかに入って何になる? 一斉に揃って演奏しても、俺に注目されることはない。金を貰えてもな」

 ルナに奢って貰ったお菓子を頬張り、紅茶でむせながら流し込んでハンスは言った。

「なるほど、それはサボるのにうってつけの理由だ」 

 ルナがぽんと手を打った。

「馬鹿言え。皆が当たり前にやっていることをこいつはやっていないだけの話だ。つうか単なる言い訳だろ。ちゃんと働け、このクソガキ」

 ズデンカはハンスの頭を小突いた。

「まあまあ。でも、注目されたいなら、それなりの工夫はしなきゃいけないでしょうね」
「どんなのだよ?」

 ハンスはちょっと興味を引かれたようだった。本当に子どもなのだと、ズデンカもルナも思った。

「例えば、道ばたで楽器を弾くとかね。ちょっとはお金を貰えるかも知れない」

「俺に出来るのはこいつだけだ」

 と言って、ハンスはスティックで強く太鼓を弾いた。

 周りのお上品な客はまた顔を顰めた。

「ドラムだけだとけっこう厳しいかな。友達と組んでバンドでも始めるのはどう?」
「とっ、友達なんかいねえよ」

 ハンスは辛そうに言った。

「いいか、クソガキ」

 ズデンカは渋い声を唸りだした。

「なんだよ?」
「さっさと現実を見ろ。好きなことで食っていけるやつなんてほとんどいないんだぜ。あたしだってな、こんなコドモ大人の面倒見るのは」

 と、ここでルナを見やって、

「ごめん被りたいが……」
 「え? そうなんだ」
 ルナが心細そうな顔をした。ズデンカは焦って、

「いっ、いや、楽しいって感じられる日もあるぞ。……ま、仕事なんてそんなもんだ。たまの息抜きを楽しみに、辛いことを繰り返すのは当たり前なんだよ」

 ルナの丸顔に満面の笑みが浮かんだ。騙されたとズデンカは気付いた。

「お前ら女こそ軍隊の暮らしがどんなに辛いか知らんくせに!」

 ハンスは身を乗り出した。

 そこにルナは手を差し伸べ、

「ハンスくんだって、これまでズデンカみたいな現実的なことは一杯言われてきただろ。耳たぶが重くなるぐらいね。わたしから提案できることはただ一つだ」
「なんだよ」

「面白い綺譚《おはなし》を教えてください。わたしが記録するに足る」
「面白い……うーん」

 ハンスは考え込んだ。

「最近、俺の……同期が見た夢の話ぐらいしかねえ」
「夢か。ぜひぜひ」

 パイプに火を点すルナに急かされるまま、ハンスは話し始めた。

 俺たちは普段兵舎で寝てるんだが、あまり睡眠時間は取れない。夜の九時に消灯で、朝の四時前にゃ起きねえといけないからな。都合七時間もない。天井は低く、ベッドとベッドの幅も狭い。やることは限られてる。

 なら、しっかり寝ろよって思うだろ?

 だが、そんな短い時間すら妨害されるんだ。
 誰にって?

 そりゃ、もちろんお仲間にだよ。同じ兵隊にさ。
 そいつはいじめられてたんだ。まず冷たい水をかけて起こされる。枕もシーツも何もかも水浸しになって、寝られやしない。

 もちろんそれで終わることはないさ。
 腹に一発殴られるのが最初だな。

 思わず食ったものを吐いちまう。鼻の奥が思わずツンとなって、口を押さえてうずくまるんだ。

 「おう、お嬢ちゃん」

 耳元でそう囁かれるのさ。女扱いされるのは俺たち若い兵士にとっちゃあえらく屈辱だ。耐えようのない嫌さを感じる。

 「今日もぐっすりお休みですかぁ」

 また、腹を殴られる。続いて股間だな。寝ないで傍観してるこっちだって肝が冷えるさ。
 丸裸にされ、皆の前で晒し者にされる。顔を赤くしながら髪を引っ掴まれて、犬のように地ベタを這い回らされるんだ。

 見ていられなかったね。

 およそ酷いって思われるようなことはたいがいやられたさ。靴を舐めさせられる。煙草を肌に押し当てられる。首を絞められる。

 排泄物を食わされるというのもあったな。おっと、淑女方には失敬だったか?
 そんな訳でそいつは寝ることも出来ない。いつもへろへろと歩いていた。だから当然上官からも顔をぶたれるさ。

 鉄拳制裁だとよ。

 これもイジメとは違って堪えたようだぞ。いや、ほとんどイジメだったな。顔がゴム毬のように腫れていたんだから。

 少しでも時間に遅れたら殴られるぶたれる、その繰り返しだった。

 皆で練習する時も一人だけ先走って音を乱す。それでどやしつけられる。やり直すと今度は遅れる。

 一日何時間も練習は続くんだ。あんたらみたいな淑女方は堪え難いだろうな。今日のパレードに向けてみんな汗水垂らしてる最中だ。そん中でそいつだけが空気を乱す。

 いじめに加わわらないやつらも、そいつのことを影で罵りだした。

 流石に可哀想になってな。

 「苦しかったら言ってくれよ」

 俺に友達はいないけどよ。そいつも誰もいないようだったからさ。太鼓叩きとして何か声を掛けてやりたくもなった。

 「ここから出たい」

 そいつは言ったよ。

 「兵役で取られた以上、終わるまで出れねえよ。俺も出たいんだ。でも、我慢するしかねえさ」
 「じゃあいい。自分で何とかする」

 なかなか心を開いてくれなかった。

 そいつが寝る時間をうまく作ってやることにした。と言っても俺だって一人の兵士に過ぎない。

 夜にいじめられて寝れないなら、昼に寝れる時間を作ってやろうと思った。

 外出が許された時間に店へ行って枕を買ってやった。そいつの枕はとっくに盗まれてたからな。で、昼休みの間、倉庫の裏だったり、兵舎の横だったり、誰もいなさそうな場所へこっそり連れ出してやって寝かせてやった。

 本人にはとても余裕はなかった。枕に頭を預けると、そいつはすぐに眠った。と言っても昼休みは三十分もない。寝られるのはほんの僅かな時間だけだ。

 で、短い夢からさめたそいつは、

「やっぱり僕は夢の中でも太鼓を叩いていた。音楽がやりたいんだなあ」

 って繰り返してた。

 今まで同じ年頃のやつと音楽の話で盛り上がれる機会なんてなかったよ。
 俺が子供の時は戦争で逃げ惑ってばっかだったし。

「ほんとうに、素晴らしい夢だった」
「分かるよ。俺もそうだ。夢の中でもドラムを叩くぜ」

 時間があれば、二人で音楽の話が盛り上がった。

「兵隊に取られる前からずっと毎日太鼓を叩いていたよ。親にはそんな趣味は何にもならないんだから、止めなって言われたけどさ」

 あいつは言った。

「俺もそうだ。時が来て軍隊を辞められたら、音楽で食っていくんだ」

 男同士の趣味の会話ぐらい面白いもんはねえよな。他の連中は仕事でやってるやつがほとんどだろう。一般兵で辛い思いをするのが嫌だから、軍楽隊を志願したのもいる。

 だが俺たちは違った。将来、音楽家になりたくて、この楽器を選んだんだ。他の連中とは違う。

 でも、夜になるとそいつはまた嬲られる。

「お嬢ちゃぁん、今日はガン付けてくれちゃってどうしたのかな」
「そんなことしてな……」

 またそいつの腹が殴られた。両脇を挟まれて何度も何度も。いつも以上に強く殴られ続けていた。

 俺はベッドの中で毛布を被って見ているしかなかった。

 なんで庇ってやることができないんだ。自分を責めたよ。でも、俺はこんなに非力だろ。何もしてやることが出来なかった。

 そいつはどんどん弱っていった。そんな中で目を輝かせて、夢だけは熱心に語るんだ。いつか、こんなところ出て音楽で身を立てたいってな。太鼓叩きであることを誇れるようになりたいって。

「もう無理だよ」

 パレードも近づいて来たある時、そいつはぽつりと呟いたんだ。別に目立って絶望している訳ではなく、普通の顔で本当にいきなり。そして、高らかにスティックでドラムを叩いた。

 凄い音だったさ。

 やめろって言いたくなったよ。人に気付かれるからな。

「何言うんだ!」

 虫の知らせっていうのか、悪い予感がしたんだ。でも、やつは黙ってうずくまり、もう何も言わなくなった。

 もっと聞きたかったが、時間は来た。練習を続けなくちゃならず、そいつは上官にまた殴られていた。

 夜になるとみんな異常に気付いた。そいつがいなくなっていたんだ。

 就寝前の巡検でそれを知らされた上官は声を荒げ、草の根分けて探せ、見つかるまで就寝することはならないと告げた。

 イライラしながら、みんなで探した。いじめっ子たちは、みつけたらタコ殴りにしてやると豪語していた。俺は一人であいつの居そうな場所、これまで二人が昼休みを一緒に過ごしたところを探した。

 でも、やつはいなかった。

 目の前が真っ暗になりそうだった。俺は声が枯れるまで叫び続けた。

 すると、ドラムの音が聞こえてきたんだ。どこからだろう。

 はっきりと、何度も何度も繰り返すように鋭く響く。
 あいつの言葉を思い出した。夢の中でもドラムを叩いているんだ。

 きっと、あいつだ。
 間違いない。

 俺は駈け出した。その時には、どこから声が聞こえてくるかもよく分からなかったけどな。
 だが、あいつは見当たらなかった。

 やがて、兵舎の近く、やたら年経た楡の木に、黒い影がぶらぶらと揺れているのがわかった。

 ぶらぶら、ぶーらぶらと。

 静かに、音も立てずに。

 ドラムの響きが、まだ耳の中で木魂していた。

 あいつだった。蝋燭の光を当てて見るまでもなく分かった。ろくに食い物も飲み込めず、痩せきった身体。

 どこから手に入れたのだろう。太い縄を首の周りに巻いて、そいつは死んでいた。
 安らかな死に顔だったとはとても言えないさ。

 俺はしばらく人を呼ばずに、木の幹にへたりこんでいた。

 というか、呼びたくなかった。

 なんで、こんなことになるまで放って置いたんだ。

 怒りが込み上げてきた。

 お前らがイジメ殺したようなもんだろうが。

 なのに、太鼓の音は響いている。なぜだ。どこからだ。
 我慢ならなかった。

 何でこんな風にしたんだ。死ぬしかないなんて。そんなの嫌だ。

「なるほど、君は逃げたんだね」

 太鼓の音は近付いて来た。

「俺が?」

 俺は頭をもたげた。

 そこには丸顔でモノクルを掛け、パイプで煙草を吹かした女――

 お前だ、ルナ・ペルッツ!
「何度も腹を殴られ、お嬢ちゃん呼ばわりされるのがいやだった。そうだね」

 俺じゃない。

 それは俺じゃなくて。

「なら、木に吊されている『彼』の顔を見てごらん」

 いやだ。

 何で見ないといけない。

 お前は。

 なぜ、見せてくるんだ。

「こういうことだったのか」

 黒髪の背の高いメイド――ズデンカが掲げたカンテラの灯りが死体の顔を照らし出す。

 木から吊されているのは、俺だ。

「君は自殺しようとしたんだね。でも、死にきれなかった。だから、逃げ出した」
「分かった口を利くな!」

「でも、それは事実だろ?」
「……」

 言葉が出ない。襟の下が酷く痛む。縄の痕をずっと隠してきた。

「残念ながら君は生きのびてしまった。それは仕方ない。じゃあ、出来ることは二つだ。また死ぬか、また生きるか」

 ペルッツは言った。
 答えられなかったよ。

「今決めなくてもいい、君には時間があるんだ」
「でも、脱走したら銃殺だ」

「そこを何とかして、兵士も辞めさせてあげよう。わたしは願いを一つ叶えられるのだから」
「だが、俺の話は嘘だった!」

 そうだ。何もかも嘘だ。

「俺は逃げた理由を知られるのが嫌だった。だから同僚の話にした。俺は独りぼっちで、でも、下手かも知れないけど、音楽は誰よりも好きだった。話す相手すらいない。自問自答の中で相手を作り出して、そいつを殺すことで」

「脱走した。君は生きようとしたんだ。逃げた方がいいことはたくさんある」

 ルナは落ち着いて言った。

「もう、あんなところに戻りたくない。俺は生きたい」

 涙が頬を伝うのが分かった。でも、なぜかこいつに話を聞いて貰うとすっきりした。

「お前を殺す場所に帰ることはないさ」

ズデンカは腕を組んでいる。

「なんだよ。お前はさっきちゃんと働けって言っただろ」
「あたしも鬼じゃねえよ、クソガキ。話を聞いた後じゃ意見も変わるぜ。つーか、口答えできるぶん、まだ元気ってことだ」

 そうやって頭をごしごし撫でられた。でも、さっきとは違って荒くない。

「つまらない本当より、面白い嘘がいいな。わたしは君の綺譚《おはなし》、十分面白かったよ」
「別に俺は、話なんて聞かせたかったわけじゃない」
「まあ、いいじゃないか。とりあえず、現実に戻ろう」

 ルナは俺の額に軽く指を置いた。
 
 
  ハンスは涙を流したまま、目を覚ました。
 ルナはパイプを燻らして煙を辺りにまき散らしていた。
 
「願いを叶えてくれるのか」

 ハンスは怖ず怖ずと口にした。

「二言はない。でもね、このホテルにずっといちゃあ話が進まない。直談判と行こう」

 ルナは立ち上がった。

「と言うか、お前は軍医の女のところへ行くんじゃなかったのか?」
「行く場所は変わらないよ。単に冷やかしにいこうと思っていたところに面白い土産話が出来たしね」

「なんだよ土産話って!」

 ズデンカとハンスが同時に言った。

 ズデンカが牽く馬車はオルランド公国陸軍エンヒェンブルグ司令部に止まった。

 ハンスは軍服から近くで買った衣類に着替えていた。そのままの格好で本部に行くのはさすがにまずいからだ。

 ルナの顔を見たとたん、厳めしい門番の兵隊たちは一礼して案内した。

「顔パスってやつだね」

 ルナは堂々と敷居を跨ぎ、二階の各幹部の個室へ案内された。

 その部屋の扉には『軍医総監仮室』とあった。

「軍医の階級なんぞ詳しくないけどよ。こりゃ一体どういう?」

 そうズデンカはハンスに聞いたが、こちらは顔を真っ青にして震えていた。

「なるほど、相当なご身分ってわけだ」

 ドアをノックすると、

「入ってこい」

 と声が響いた。ルナたちは言われた通りにする。 

「ルナァ!」

 入ってきたルナを見たとたん、声の主が大きく手を広げて凄い勢いで突進してきたではないか。

 眼鏡を掛け、軍服を来た女だった。

「久しぶりだね。アデーレ・シュニッツラー」

 そう言ったルナはアデーレに抱きしめられていた。その勢いにハンスは身を仰け反らせた。

「会いたかったぞぉ!」

「妙に馴れ馴れしい奴だな」
 相手が偉そうだからと躊躇していたズデンカだったが、とうとうたまりかねて毒づいた。

 アデーレは横目で睨んだ。

「何だ貴様。ここをどこだと思っているのかね? なぜ勝手に入ってきたのだ」
「あたしはこいつ――ルナの連れでね」
「連れ!」

 アデーレの顔が青ざめる。

「お前、予というものがありながら! 他に女を作るだと!」

「いや、君とわたしは何の関係もなかったはずだよ。ズデンカは旅の連れさ。情けないことに、わたしは身の回りの面倒が何も出来ないんでね」

ルナはあっさりバラした。

「くやじい。ルナと二人旅が出来て!」

 アデーレは袖を噛み、紅涙を振り絞った。

「閣下には職務があるでしょう」

 ルナは穏やかに言った。

「職務など放棄してもルナと一緒が良いのだ」
「ところでアデーレ、今日は頼みがあって来たんだよ」

 ルナは言った。

「頼みだと? 何が望みなのだ」

 アデーレは目を輝かせた。

「彼、ハンスくんはこんな格好をしてるけど実は脱走兵でね。何とかしてやりたいんだけど」

 と言って、ルナはハンスを指差した。

「一兵卒なぞ、予の関わり知るところではない」

 アデーレは仏頂面になり、興味がなさそうに応じた。いつも部下に接するときはこんな感じなのだろうとズデンカは思った。

「まあ、そう言わずにさー!」

 ルナはさっとアデーレの近くに詰め寄る。アデーレは唾を飲んだ。

「どっ、どこの所属なんだ」
「軍楽隊だよ」

「なら、余計に予とは繋がりがない。衛生兵だったら話が別だが」
「でも、上司へ手紙を書くぐらい出来るだろう?」

 ルナはなおも食い下がる。

「ルナがどうしてもと言うなら、やってあげてもいいが……具体的に何を?」

 アデーレは顔を紅潮させた。

「ハンスくんは音楽をやりたいんだってさ。だから除隊させてあげて欲しい」
 言った瞬間、俯いていたハンスが目を上げてルナの方を無言で見つめているのがズデンカに分かった。

「一度兵士になった者を簡単に除隊させる訳にはいくまい。復隊なら話は別だ。脱走ではなく、単に遅刻したという扱いで元の場所に返すぐらいならできない話ではない。営倉ぐらいは入れられるかもしれんが、何分予の管轄ではないのでな」

 アデーレはイライラしながら細長い葉巻を取り出して先を噛み切った。

「俺は、帰りたくないんです!」

 ハンスは思わず叫んでいた。

「その意気や良しだ。だが一兵卒よ。軍とは冷徹な決まりによって動くものであり、それは何者をもってしても曲げがたい」

「さっき、職務放棄とか言ってたのはお前だろうがよ」

 ズデンカは思わず突っ込んだ。

「もちろん、予はその青年を見ていないことにすることはできる。ここに案内した連中も別の師団の者だから直接の繋がりはないだろう。後から聴取される可能性も薄い。青年が一人で逃げたいなら逃げればそうすればよい。だが第三師団の上司たちはどう判断するかな? それは分からん。今はパレードで浮かれ騒いでるが、後で逮捕令が下るかもしれん」

 ハンスはまた力なく俯いた。

「なるほど、仕方ないね。上に話を通すのは難しそうだな」

 ルナは諦めたようにも見えた。

「俺は……どうすりゃいいんだ。逃げたって絶対捕まっちまう」

 ハンスは震えていた。将来を悲観していたのだ。

「そうだ」

 ルナはぽんと手を打った。

「ハンスくん。君は一度死のうとして果たせなかったよね。なら、また死ねばいい。そしたら、絶対脱走できるよ」

「はあ?」

 その場の全員が驚きの声を上げた。

 
 死体置場《モルグ》の中をルナとズデンカとハンスは歩いた。
 ハンスは深く帽子を被り、身を縮こまらせていた。ルナとズデンカは過去に何度も立ち入ったことがあるらしく、スイスイと進んだ。

 そう簡単に入れる場所でもないはずだが、アデーレが許可を出したのだろうか。

 戦後兵士になった者は皆そうだが、戦地に行ったことのないハンスは二人が過去何をやらかしてきたのか考えるとますます己の先行きが不安になるのだった。

 冷え冷えとした仄暗い部屋。壁に埋め込まれたかたちで、無数の大きな銅製の抽斗が並んでいる。

 ルナとズデンカはそれを一つ一つ確認していった。

「女か、酔っ払いのおっさんばかりだな」
「ちょうど良さそうな死体はないね」

 中には惨い殺され方をしたものもあるようだったが、二人はまるで気に留めない。そこに異常さを感じ、ハンスは怯えた。

「要は、君の身代わりになる屍体があればいいんだろ? それに軍服を着せて川にでも投げれば偽装完成さ」

「そんな簡単にできるものですか? 顔とかは?」

 ハンスは思わず敬語になっている自分に気付いた。

「潰せばいいだろ。誰かなんて分からなくなるさ。君はたかだが一兵卒さ。気に掛ける人なんて正直それほどいない。適当な証拠さえ出れば、顔が分からなくても嘉納するだろうさ。科学的調査を行ったりなんてしない」

 あっけらかんとルナは言い放った。

「さすがにそれは……」

 ハンスは言い澱んだ。

「逆に言えば証拠が見つからないと脱走が確定となって君は追われ続ける。なら、どうする? 川に飛び込んで屍体にでもなる?」

 ルナはおどけて言ったが、ハンスには冗談に感じられず、涙を浮かべ赤くなった目を拭った。

「生きている以上、何らかのリスクはとらないといけないよね」

 ルナは泣いている相手も考慮に入れず続けた。

「お前が探してみろよ、いい屍体も見つかるさ」

 助け船のつもりか、ズデンカは声を掛けた。

 ハンスは怯えながらも、ズデンカが差し出すカンテラを頼りに、ハンスは抽斗を一つ一つ開けていって中を確かめた。

「おっ、おえっ!」

 ハンスは嘔吐いた。腐りきって変色し、蝿が纏わった肌、膨れた唇。もう既に頭を潰されているものすらあったし、女の身体の中には弄ぶためか、各所が切り裂かれたものや強姦の痕すらあった。いや、女だけではない、ハンスより幼い少年は……。

「もう耐えられない! 何でこんな思いしないといけない? これじゃあ、死んだ方がましだよ」

「最後の抽斗が残ってるよ。開けてごらん」

 ルナが言った。

「おい、ルナ」

 ズデンカは止めようとした。

「開けてみなきゃ分からないさ。さあ、生きるためのリスクだ!」

 ハンスは震えたまま動かなかった。

 ズデンカが進み出て、抽斗を開け放った。

「嫌だ、苦しいって言ってるやつに嫌なことをやらせる訳にはいかないぜ」
「君は相変わらず」

 ルナは微笑んだ。

 ハンスは驚いて目を瞠っていた。そこにはハンスと同じ年頃、背格好の青年の屍体が横たわっていた。しかも、ハンスが着ていた軍服まで寸分違わず。

「顔見知り、だろうね」

「これは、俺が思い描いていた空想の……友達……うっ、うわーん」

 それ以上は言葉が続かず、ハンスは泣きじゃくり始めた。

「君には友達がいなかったんじゃなかったかな?」

 ルナはパイプに火を点した。

「今認めたんだよ、やつは。なんだよ……空想でも良いじゃねえか」

 ズデンカの声も震えていた。

「しかし、実に興味深いね。君はわたしに嘘の話をした。嘘の中で架空の同僚は首を吊って死んだ。でも、実際は首を吊って死ねなかったのは君の方だった。ところが今ここに、まるで君の身代わりになってくれるかのように、彼の屍体が現れた。架空の存在が現実に現れたんだ」 

ルナはそう言って鴉の羽ペンを取り出し、手帳にすらすらと書き付けていった。するといつしかその遺骸の顔立ちが流れ去るように溶けていき、ハンスのものへと変わっていった。

「面白い話を聞かせて貰ったよ」

 そして、ハンスの肩へポンと手を置き、

「さあ、これを川に流そう。ズデンカ、遣ってくれるかな。君の力ならすぐにできるだろう」
「あいあい、分かったよ」

 ズデンカは荒々しく叫んだ。

 
外へ出て屍体を川に沈めてしまっても、ハンスは暗い顔を浮かべたままだった。

 「あれ、おかしいな。君はこれで自由の身になったはずだ。あの遺体はじきに川面へ浮かんできて騒ぎになる。兵舎を脱走した君だってね。そもそもあの屍体自体架空の存在だから消えても騒ぎになることはないだろう、なったとしてアデーレが揉み消してくれるし。良いことづくめじゃないか」

「普通に考えて明るい気持ちになれるかよ。こいつは将来の保証も何もないんだぞ」

「陸軍に見つかったら騒ぎになりかねないんで、この町はすぐに出た方が良いだろうね」

「お前はそうやって簡単に言うが、人間、すぐに気分を切りかえられるもんじゃねえぜ」

「もう人間ではない君がそれを語るのか」

 ルナはくすりと笑った。

「普通に考えりゃわかるだろ!」
「わからないね」

 言い合う二人をよそにハンスは黙り込んでいた。

 ルナはその肩にまた手を置いて、

「将来が不安なんだろ。でも、生きている限りその不安は付きものだ。君の前にはまだなにもやってきてはいないのだから、楽にしたらどうだい?」

 と言って親指を人差し指をピンと突きたて、銃の構えを作り、

「しけた幻想に報いあれ」

 ハンスの頭を撃ち抜く真似をした。

 その瞬間、はっとハンスの表情が明るくなった。

「そうだ、俺はまだ生きてるんだ。あいつは死んだけど」
「意気や良しだよ、ハンス君」

 ルナは励ました。

ハンスを町の外へ送り出してしまうと、ルナとズデンカはアデーレの元へ帰った。

「なんだルナァ! まだ、予と話したいことがあったのだね。え、もしかしてそのクソメイドとは別れて、予と旅をしたいとでも言うのかな? 軍務は絶対だ。だがお前との愛のためならば……」 

 一人で悶えているアデーレを放置して、ルナはいつの間にか拵えていた書類をポンと手渡した。

「先日、ボッシュの町でややこしい事件に関わってね。報告書にまとめておいたから上へ通して貰っていいかな。町の連中はわたしを恨んでいるだろうから、後々追ってこられたら面倒だし。早い話がもみ消し工作だね。頼むよ」

 ルナは上目遣いでアデーレを見つめた。アデーレはぶるんと身を震わせて、

「これはっ、予の職務を越えるものなのだがぁ! お前がどうしてもと言うならばあっ!」

 書類の匂いを嗅ぐかのように、抱きしめるように持ちながら懐へと収納した。

「じゃあ、また機会があったら」
「どこへいくんだ? ぜひ予の休暇中に……」

「北上してヒルデガルト共和国へ向かおうと思ってる」
「共和国だと! 最近旧王族の処刑が行われるというではないか!」

 ヒルデガルトは戦前は大きな王国として栄えたのだが、王族の熱い支持によってスワスティカに併合され、戦後開放された国だった。王族の多くは戦犯として捕らえられている。

「それで、だよ。面白い綺譚《おはなし》が期待できそうだから」

 ルナは颯爽と歩き去った。

 「おい」

 並んで歩むズデンカの声には明らかに怒気が含まれていた。

「ヒルデガルトに行くなんて、今初めて聞いたぞ、正気か?」
「至って正気さ。さっさと馬車を出してくれたまえ」
 
「パレードを見るんじゃなかったのか」
「ここではもう収集できたんでね」
「……」

 結局、ズデンカはルナの言う通りにするのだった。
 
 二人が乗り込むと馬車はゆるゆると司令部から走り出した。

オルランド公国南西国境付近――

「君はまだ怒ってるね」

 幌を外した馬車の客席からルナが声をかける。

「怒ってるさ」

 ズデンカは御者台に坐り、背中を向けたまま言った。

「理由が分からない。急に行き先を決めたりなんて日常茶飯事だから、それで怒ってるわけじゃないだろ?」

「……お前があの、アデーレって好きでもない女にだな」
「ほうほう」
「色目を使ったことだよ!」

 ズデンカの声はまた震えた。怒りや悲しみではなく羞恥の色合いが籠もっていた。

「なーんだ。娼婦や酒場の女はお金《もくてき》のために客の男に使いたくもない色目を使うんじゃないか。わたしはお金に困らず、男にもアデーレにも興味ないけど、目的のために同じことをしたまでだよ」

「お前にそんなことして貰いたくなかった。だいたい気色が悪い」
「わたしの柄に合わないってことかな?」

 ルナは不思議そうに言った。

「いや、なんかあたしの中で収まりがつかないだけだ。言葉にはしにくいな」
「ふーん」

「そもそも、男に色目を使うこと自体あたしは嫌いだしな」
「わかるよ、君らしい」
「なんでだよ」

「じゃあ逆に、わたしに男に色目を使って欲しいのかい」
「嫌だよ。なんでそんなこと言うんだ!」

 ズデンカの声が沈んでいた。

「君は不思議だな」

 ルナは理解していないようだった。

「お前が不思議なんだよ」

「そうかなあ」

「……」

 ズデンカは黙っていた。

「詩は書けた?」

 ルナは話題を変えた。

「書ける訳ねえよ。最近お前の面倒見るので精一杯だったからな」
「そうなんだ。わたしは君の詩がたまに読みたくなる」
「たまにかよ」

 そう吐き捨てたズデンカだったが何やら嬉しそうだった。

「本にでもしてみたらいいじゃないか。詩人として名前が知られるようになるかも知れないよ」

「あたしの書いた詩なんで誰も読まねえよ……それに」
「それに、なんだい?」

 ルナは興味津々だった。

「恥ずかしい」

 ぼそっとズデンカは言った。

「自分のためだけの一冊の本にしてみるのもいいだろう」
「なら紙に書いたままでいい」

「ハンス君の音楽みたく、詩で名を立てることを目指しては?」
「詩で食っていけるやつなんていねえよ。できたとして、あたしはやる気ねえが」

「もったいないな」
「ルナは残酷なやつだよ。ハンスだって後で食っていけるかわかんねえのに。捕まるかも知れねえし」

 早い話ズデンカは心配していたのだ。

「そうだね。わたしは残酷だ」

 ときどき小石を車輪で蹴飛ばしながら、馬車は進んだ。
 二人はしばらく会話をしなかった。

「馬車、止めてよ」

 もうすっかり夜だった。空にかかった月は半分になっていた。
 馬車は静かに止まる。

「なんだよ」

 そう言ったズデンカに覆い被さるようにルナが立った。御者台へ身を乗り出したのだ。
 絹の黒マントが翻る。

 ルナは指先を差し出していた。ナイフで切られ、赤い血が流れている。

「労《ねぎら》いだ」
「気取ってるぜ」

 月光を頼りに、ズデンカは跪くように身を屈め、ルナの指に口を寄せ啜った。

#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門


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