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グレービーレードル

数年前から、スパイスカレーの美味しさを知りました。

幼い頃はスパイスカレーという存在すら知らず、カレーはルーから作るもの、そして外で食べることが美味しさの秘訣、なんて思い込んでいました。まさか、見たことも聞いたこともない香辛料達からあの味わいが生み出されているとは、思いもしませんでした。自然の偉大さを感じます。

先日、道を歩いていると小学1年生くらいの男子2人がカレーの話をしていました。どんな具材が好きか、辛口か甘口のどっちが好きか、給食のカレーは好きかどうか、そんな話を自分もしていた記憶があります。

懐かしいなと思っていると1人の男子が「なにカレーがでる?」と聞くと、もう1人の男子は「ぼくんちはスパイスカレー」と答えました。

嘘だろ。年を重ねてやっと知ることが出来た世界感にも関わらず、もうご存知ですか。今となってはテレビや雑誌でも目にする機会が多くなったこともあり、共通認識、標準語として社会に普及されているのだなと思います。

そんなスパイスカレーの魅力に気付いてからは、あまり行く機会がなかったインド料理やカレー屋さんを調べ、足を運ぶようになりました。店内に漂うスパイスの香りは、異国に来たのだと実感します。

そして先日も行ってきました。店の看板に書かれた「本場・高級ホテルの味」に目が惹かれました。本場?インドには行ったことがありません。本場の高級ホテル?味のイメージが全くつきません。店の前で少し悩みましたが、未知の領域だという好奇心から味わいたい気持ちが高まり、こちらの様子を伺うスタッフに軽く会釈をしながら扉を開けて店内に入りました。

メニュー表には目的の料理以外にも魅力的な料理がありましたが、そこはもう全くぶれない。本日のオススメである「本場・高級ホテルの味」のカレーを選びました。あとマンゴーラッシー頼みました。頼むつもりなかったけど。ぶれました。

高揚する気持ちを抑えながら待っていると、という表現を使いたいけど、抑えている状況ってどんな状況?抑えてなかったらどんな状況?「楽しみだなー」とか独白をしたり、右手にスプーン左手にもスプーンを持っていたり、そんな状況?

そんなことを考えながら先に来たマンゴーラッシーを軽く飲んでいると、お目当てのカレーが目の前にやってきました。早速、一口、二口、、、。美味しい。深い味わいと複雑な味わい。これが本場・高級ホテルの味かと、自分はもうインドの全てを知ることができたと、1人錯覚に陥っていました。

しかし1つ気になったのが、なんか食べずらい。骨付き肉の骨は飛ぶし、ルーもズボンに飛び散る。おかしいなと思い、ふとテーブルに置かれたスプーンを見て、おやっ?と気付きました。食べるのに使っていたスプーンはどうやらルーを取る用のグレービーレードルだったらしい。おたまで食べてました。もう7割ぐらいは食べ切ってしまいました。

ここまで来たからには最後まで、という意地になる理由もなかったので普通のスプーンに変えました。なんとも食べやすいこと。目的が異なり、形が異なるだけでこんなにも印象が変わるのは不思議です。人間と道具の関係は、違和感やエラーを少しでも無くせるよう感覚を大切にしながら選んだりつくる必要がありますね。

そして無事に食べ終わって店を出ました。店内にいたお客さん、誰もおたまで食べてなかったなとふと思い出し、かっと少し身体が熱くなりましたが、まあ本場は手で食べるしなと冷静になり、いそいそと店をあとにしました。

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