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【仕事の経歴】競馬雑誌編集時代vol.4

ほどなく訪れた会社都合退職

マルサ突入の事件後、社内は一変した。税務署にしっかりとロックされ、未払いだった税金を払う。今思えば、資金繰りなのか、社内整理の一貫なのか、、、。時間をおかずに個別面談がスタートした。

個室に呼ばれ事情を聞かされる。何を言われたか詳しく覚えていないが、会社都合での退職勧告だった。僕は怒りに震える中、受け入れざるを得なかった。

怒りの根源は、休みも取らず、誰よりも仕事に時間をかけて貢献していると思っていたからだった。この時の経験が後に人生に大きな価値を持たせるとは当時全く思わなかった。

切られるのは実力がないから

業務の引き継ぎをしている中でも、僕は会社の文句タラタラ。対象者は全体の3割程度くらいだったと思う。「なんで俺なんだ」と周りに吹聴していた。

そうこうしている時、同僚のデザイナーにこう言われた。「都丸さんさ、僕は対象になっていない。それって、会社に不要と思われたからだよ、言いにくいけど」

確かに彼のデザインは一級品だったし、明るく会社の人気者。当時はすんなり受け入れられなかったけど、今思えば、僕の実力のなさが招いたことだった。でも、イキがっていた当時の僕は、そんなことを微塵も思わなかった。そこにあるのは、会社への恨みだけだった。

インターネットとの出会い、専門学校へ

僕は夢だった競馬の仕事を辞めることになった。新卒の会社を逃げ出した時と同じように、周りにはそのことをしばらく言えず。

失業保険をもらいながら、職業訓練学校の一環として、町田にあるwebデザインスクールに通う道を選んだ。adobe Flashが前世を迎えていた時期だった。

DTPとライティング技術を磨いた2年半。競馬の仕事の道を離れ、インターネットの未知なる世界に没頭することになる。
当時、検索エンジンとしてYahoo!全盛の時代。Googleのシンプルすぎる検索窓を思い出す。18年前、2002年の夏のことだった。

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