【短編小説】空気に何が書いてある(3/10)
「ねえ、ママー」
息子はうれしそうにスプーンでプリンをすくいながら、甲高い声を響かせた。
「今日ね、みんなでアポロくんをシカトしたんだよー」
女は思わず自分のこめかみを指で強めに押した。
息子の同級生にアポロという名前の子どもがいるのは知っていた。確か、「宇宙」と書いて「アポロ」と読ませていた。キラキラネームだかなんだかわからないが、同じ親として、品格を疑いたくなる。本当に子どもの将来を考えて名付けているのだろうか?
ただ、それはそれ。今は我が子への教育として、正すべきところを正さねばならない。
「どうしてシカトなんかしたの?」
「だってねー」
にこにこしながら、息子は言葉を続けた。
「アポロくんがね、ケンちゃんにウソついたんだよー。だからみんなが、ウソつきは犯罪者だっていって、それからシカトしたのー」
「シカトして、どういう気分になった?」
「みんなでゲームしてるみたいで、楽しかったー」
無邪気に笑みを向ける息子を見て、女はここが頑張りどころだと下腹部に力を入れて息子の顔を覗き込んだ。
「お友達をシカトしちゃうなんて、ママすごく悲しいな」
女の言葉に、息子はポカンとした表情を浮かべた。
「それはイジメっていうの。イジメってやっていいこと? 悪いこと?」
息子はようやく、自分が叱られているのだと理解した。そして同時に、不満気に唇を突き出した。
「でも、悪いのはアポロくんなんだよ」
「そうね。ウソをつくのはよくないことね。でもね、みんなで一人をいじめるのは、もっとよくないことなの。本当にいい子は、いじめられてる子を助けてあげられる子なのよ」
「ぼく、アポロくんを助けてあげればいいの?」
「そうよ。イジメなんてしちゃいけないの。わかった?」
「うん。わかったー」
澄んだ宝石のように無垢な息子の返事に、女は大きく頷いた。
母として為すべきことを的確にやり遂げた。
そんな満足感を感じながら、お茶を入れようとポットに手を伸ばす。
そんな女の耳に、ふすまの向こうからうめき声のようなくぐもった声が届いた。
やれやれ。どんよりした落胆を感じながら、胸の中でそう呟いた。
ベッドの脇のポータブルトイレで、義母の排泄介助をしなければならない。
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